第56話 親切な冒険者
「アレン、僕は金よりも人の命を優先するべきだという話をしているんだ。なぜ、僕の考え方で人が死ぬことになるのさ?」
クリスは俺の言葉にむっとして即座に言い返した。
よほど癇に障ったのだろう、あれほど夢中になっていたワイングラスからその手が離れている。
「あのおっさん――――馬車の主人は俺たち冒険者が馬車に乗っていたから、護衛を雇う金をケチった。いざ魔獣に襲われれば俺たちが助けてくれるだろうと高をくくってたのさ。まあ、結果的に依頼料を吹っ掛けられることになったわけだが、あのとき無料で助けたらどうなってたと思う?あのおっさんが次に冒険者を馬車に乗せたとき、護衛を雇ったと思うか?」
「それは……。まあ、雇わないかもしれないね」
「だろうな。馬車に乗ってる冒険者だって命は惜しい。金が払われなくても、魔獣が襲ってくれば相手をするしかないから、あのおっさんの考え方はおっさんの儲けだけを考えれば一番賢い方法なのかもしれない。でもな、そうなると困る連中がいる」
「アレン…………キミはまさか、馬車の護衛をしている冒険者の稼ぎを奪うことになるから、タダで彼らを助けるのをやめろと、そう言っているのかい?」
「鋭いじゃないか、だいたい正解だ」
「……そうかい。キミは、馬車であの危険な街道を通る人たちの安全よりも、冒険者たちの稼ぎの方が大事だというんだね」
クリスが冷めた目でこちらを見つめている。
その瞳には失望の色が濃く、俺の話から興味を失いつつあることがありありと感じられた。
しかし、俺の考えを言い当てたクリスだが、俺が言いたいことを完全に理解していたわけではなかったようだ。
「なにか勘違いしてるぞ、クリス」
「なんだって?」
「俺が言いたいのは馬車の護衛を生業にしている冒険者の仕事を奪うと、馬車の護衛をする冒険者がいなくなるってことだ。そうなると馬車の護衛を雇いたいのに雇えずに、それでも無理して馬車を走らせて犠牲を増やすことになる」
「それは大げさだよ、アレン」
「そんなことはないさ。馬車の護衛を専門にしているのは、言っちゃ悪いがD級以下で腕に自信がない奴らだ。腕に自信があるなら馬車の護衛よりも狩りの方が稼げるからな」
この街道で馬車の護衛をしたって日当で銀貨1枚がいいところだ。
ここからケガの治療費や消耗品にかかる費用を出すとほとんど手元に残らないから、彼らの懐事情に余裕があるはずもない。
だから一度馬車の護衛の仕事がなくなってしまえば、彼らは気長に次の仕事を待つことなんてできず他の仕事に手を出さなければならなくなる。
それは狩りに出ることかもしれないし、他の街に行くことかもしれない。
あるいは都市の中にある普通の仕事かもしれない。
どんな仕事だって、安くて不安定な護衛の仕事よりは魅力的だろう。
一度馬車の護衛をやめた彼らが、馬車の護衛を受けるために南門に戻ってくることはおそらくない。
「お前みたいなお人よしが守ってくれるうちはいいだろうな。でも、お前だってずっと馬車の護衛を続ける気なんてないんだろ?今日、俺たちのせいで護衛の仕事にありつけなかった冒険者は、他の仕事を探すために都市を出て行ったかもしれないぜ?親切な冒険者がそいつらの仕事を代わってあげるたびに、誰かが護衛をやめて行く。いつか、南門から冒険者がいなくなるかもしれないな」
かもしれないだけであって、実際はそこまで急速に護衛不足になることはないだろうが。
クリスはまだなにやら考え込んでいる様子。
ならば、もう少しだけ話を続けよう。
「そうか。なら、もっとわかりやすい極端な話をしてやろう。昔々ある街に――――」
とても優しい治療師がいたそうだ。
どんなケガや病気も治してくれる。
お金がない人でも治療をしてくれる。
だから、街の人たちみんなが優しい治療師を頼った。
街の人たちは優しい治療師の家の前に長蛇の列を作り、優しい治療師はそのすべてを癒した。
街の人たちは、優しい治療師のことを素晴らしい人だと褒め称えた。
でも、優しい治療師は死んでしまった。
優しい治療師も、自分の寿命を延ばすことはできなかったからだ。
「そして、治療師が死んでしまった後、しばらくしてその街は滅びてしまった。なぜなら――――」
「その治療師が仕事を奪ったせいで、街に治療師がいなくなってしまったから……?」
「正解だ。仕事がなくなり街を追われた治療師は二度とその街へは戻ってこない。新しい治療師を街に呼び込むのも簡単ではない。街で病気にかかった者は治療師のいる別の街に移っていき、その街は緩やかに滅びを迎えるというわけだ」
「………………」
「もちろん、治療師と冒険者は違う。馬車の護衛を受ける実力のある冒険者なんてそこら中にいるし、高い依頼料を積めるなら受ける冒険者がいないなんてことはまず起こらない。もっとも、そうやって護衛の依頼料が高騰すれば、それは馬車の運賃に跳ね返って利用者の生活を圧迫するし、経営が立ち行かなくなる馬車もあるかもしれないけどな」
「……僕一人が無料で護衛をしたって、そんなことにはならないはずだ」
「そうだな。馬車に乗る冒険者がみんなお前と同じような考えだったならともかく、お前だけなら問題にはならないだろうな。クリス、お前だけは親切な冒険者でいられるわけだ」
「…………」
とうとうクリスは俯いて黙ってしまった。
(最後の一言は余計だったか。少し言いすぎたな……)
酔いが回っていたのはクリスだけではなかったらしい。
酔いで饒舌になって言わなくていいことを言ってしまうとは、俺もクリスのことを責められたものではない。
一人でいるときは自衛のために酒は飲まないようにしていたから今日の酒は久しぶりだった、というのは言い訳でしかないだろう。
「まあ、なんだ。お前の言うとおり、ちょっとくらいなら大した問題はない。無闇やたらにタダで受けるようなマネさえしなければ――――」
「ぐすっ……」
「うん?」
「また、だ……。僕は、知らないことだらけで、余計なこ、ことをしてしまって……」
「おーい、クリスさーん?」
なんだか変なスイッチが入ってしまったらしい。
銀髪イケメンの瞳からはらはらと涙が流れるさまは、近くの席で食事をとっていた若い女性冒険者たちの視線を釘付けにする。
彼女らの視線は次第に俺を責めるようなものに変わっていき、俺にとっては居心地の悪い雰囲気だ。
「おいクリス頼むから正気に戻ってくれ。な、もう大丈夫だ!俺がついてるだろ?なっ?」
「あ、アレン~~……」
「あ、こら…………ったく」
席を立ってクリスの横にまわり、肩を叩いて励ましたのだが、ぐでんぐでんに酔ったクリスは感極まったのか俺の腰に抱き着いてきた。
さきほどのお姉さま方のテーブルから歓声が上がったが、彼女らは男の友情に感激したのだと俺は信じることにした。
「……取り乱して悪かったね。みっともないところを見せてしまった」
「酒が入ってのことだ。気にするな」
俺たちは気を取り直して、ワインと料理を楽しむことにした。
肉料理が少し冷めてしまったのは残念だったが、パンにはさんで食べてみればこれはこれで悪くない。
「でも、良かれと思ってやったことが、彼らの首を絞める結果にならずに済んで本当によかった。キミのおかげだ、アレン」
「理屈の上ではそういうこともあり得るってのを大げさに話しただけだ。そもそも、タダで護衛を受ける奴はお前くらいだよ」
自分で不安を煽っておいて自分で慰める。
完全にマッチポンプだが、男を相手に俺は何をやっているのか。
それでも、クリスからの素直な感謝が少し照れ臭くて俺はワインを一気に煽った。
「……結局2人でボトルを空けちまったな。明日大丈夫だよな?」
「安心してくれ。僕はお酒が抜けるのは早いんだ」
「ほんとかよ……」
酒に関してクリスを信用するのは難しいと学習した俺は、クリスに疑念の目を向ける。
しかし、何が面白いのか、クリスはにやにやと笑って俺の方を見返してきた。
「僕としては、キミのほうが心配なんだけど?」
「うん?なにがだよ」
酔っ払いに心配されるようなことなどないはずだが。
「ふふっ、バレないとでも思ってるのかい?キミはさっきから、あっちの席に熱い視線を送っているじゃないか。まさか、こんなところでナンパを始める気じゃないだろうね?まあ、僕は構わないけれど、明日に支障がない程度にしてくれよ?」
「はあ?一体誰のことを――――」
「あの人だよ。ほら、あそこにいる――――」
――――年上の紅い髪の女性さ。
そのとき、俺はどんな顔をしたのだろうか。
面白がってにやけていたクリスが目を見開いて呆けるくらいだ。
きっとろくな表情ではなかったのだろう。
彼女に視線を向けている自覚はなかった。
ただ、金色や茶色系統の髪色が多くの割合を占めるこの地域で、深紅の髪は珍しいと思った。
深紅の髪を持つ少女がどんな顔をしているのか、少しだけ気になった。
こちらに背を向ける少女が、ふとした拍子にこちらを振り向かないか。
そう思ってしまっただけだ。
「すまない。何か気に障ることを言ってしまったみたいだね……」
「い、いや……なんでもない。ただ、赤い髪の知り合いがいたから、少し気になっただけだ」
「……そっか。……どうだいアレン、もう少しだけ飲まないかい?今度はワインじゃなくて、エールなんてどうだろうか?」
クリスが気を使ったのか、話題を変えるために酒を勧めてくる。
明日を考えるとそろそろやめてくべきなのかもしれないが、今の俺がその誘いを断ることは少しばかり難しかった。
気が付いたとき、赤い髪の女は席を立っていた。
きっと、もう見かけることもないだろう。
これでいい。
彼女の顔を見たからといって、何があるわけでもない。
失われたものが戻るわけでも、ない。
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