第57話 火山




 一夜明け、少しだけ酒が残った頭を覚ますために頭から水を被り、寝ぐせを直してから部屋を出た。

 剣を持っていくか少し迷ったが、朝から酔っ払いにコナをかけられることもないだろうと考えた末、部屋に置いていくことにする。

 新しい剣はその大きさから街中で護身用に持ち歩くには不便だから、それ用の武器を別に用意した方がよさそうだ。


 食堂では例によってクリスが先に来ており、すでにカウンター席で朝食を食べ始めている。

 あれだけ飲んだのだから二日酔いでグダグダになっていることも覚悟していたが、どうやら酒が抜けるのが早いという部分は事実であったらしい。


「おはよう、クリス」

「おはよう、アレン。なかなか降りて来ないから先に食べ始めてしまったよ」

「お前がいつも早すぎるんだ。メニューは…………パンとスープと、あとはソーセージとフライドエッグを頼む」

「朝からよく食べるね……。そんなに食べて動けなくならないのかい?」

「何言ってんだ。動くからこそ食うんだろうが」


 クリスが呆れたように聞いてくるが、餓死寸前まで飢えた経験のある俺としては冒険の前には食べられるだけ食べておかないとむしろ不安になるくらいだ。


 優雅に食後のコーヒーを楽しむクリスの隣で温かい朝食をかきこむと、俺たちは準備のためにそれぞれの部屋に戻る。

 冒険に出る前の準備も4年も続ければ手慣れたものだ。

 脛までを覆うグリーブ、急所を守るブレストプレート、盾代わりのガントレットを装着すると、ロングソードは背負うようにして身に着ける。

 防具は全財産の大半を使っただけあって全て鋼鉄製。

 かつてはさまざまな問題から諦めていたが、<強化魔法>の常時使用にも耐えられるようになり体も十分に成長した今では、耐久性重視の重い防具も十分使いこなせる。


 装備の装着が済んだら備え付けの鏡を用いて確認することも忘れない。

 鏡に映る黒髪の少年は使い込まれていない装備に年齢も相まって駆け出しの冒険者に見えてしまうが、盗賊もそう思って油断してくれるなら、それはそれで好都合だと割り切った。

 街中で絡んでくる相手がいたら、それは実力で黙らせてやればいい。


「よし……」


 忘れ物がないかあたりを見回してから部屋をあとにする。


 客が少なくなってきた食堂で片付けをしていた宿の女将にチップを渡し、目的地までの道を簡単に確認してからクリスとともに街を出発した。




「道は事前に調べてきたんだろう?わざわざ金を渡してまで確認する必要があったのかい?」


 街を出て目的地に向かう道すがら、クリスが地図を見ながら尋ねた。

 俺がクリスに手渡した地図は都市の冒険者ギルドで支給されたもので、今回調査地点として指定された2か所に旗のような形の印が付けられており、それらと街を結ぶようにフィーネが最適な経路を書き足してくれている。

 一見、彼女のおすすめルートを進めば問題ないようにも思えるからこその疑問なのだろう。


「冒険者ギルドだって、ギルド施設がない街の最新情報を全て把握してるわけじゃないだろうからな。火山の麓を掠めるように進むだけだが、道として整備されてない部分もある。崩れて通れなくなってる場所とか、盗賊に出くわしやすい場所とか、場合によっては命にかかわるような話が聞けるかもしれないだろ?」

「なるほどねえ……。それで、何か聞けたの?」

「新情報は特になかった」

「結局無駄じゃないか……」

「こういうのは基本無駄になるもんだ」


 いくつもの無駄の上に一回のアタリがあればそれで充分。

 そういう気持ちでやっていることだから、がっかりするようなこともない。

 命はひとつしかないのだから、小銭で排除できるリスクがあるなら排除しておくのが当然のこと。

 特に今回のような不確定要素がある依頼ならなおさらだ。


「お前がどれくらい腕に自信があるのか知らないが、何人いるかもわからない盗賊の情報を不要だと思うようじゃ、そのうち痛い目にあうぞ」


 むしろ、痛い目にあうだけで済むなら幸運かもしれない。

 生きてれば、それを教訓としてやり直すこともできるのだから。


「心に留めておくよ。この分岐は右だね」

「そうだな。そろそろ道といえるかどうか怪しくなってくると思うから、しっかり地図を見ていてくれよ」

「了解」


 クリスに地図を渡しているのは誤って所定のルートから逸れることを防ぐためだ。

 俺はすでに地図の内容を頭に入れてあるため、クリスに地図を任せて自分は周囲の警戒を行うことで、俺の勘違いや地図の読み間違いによる遭難を防ごうという狙いがある。

 地図によるとそれほど複雑な道はないので、二人とも勘違いするということはないはずだ。




 街を出て1時間ほど歩いたところで、なだらかな上り坂が多くなる。

 いつの間にか街の近くではちらほら見かけた木も枯れ木以外は見かけなくなり、足元の土の質も渇いたものに変わっていた。


 そしてさらに1時間ほど歩いたところで――――俺は思わず立ち止まった。


「これは……どうしたもんかな」


 道が途絶えているわけではない。

 俺とクリスはフィーネの描いた道筋を辿ってここまできたわけだし、目の前にそのルートが続いているのだが。


 俺が見つめる先にあるのは何の変哲もない岩だった。

 まだ辛うじてこれは道だと判断できる荒れた道の横に、ごろりと転がるただの岩。

 問題は、その岩の大きさが人ひとりくらいなら余裕で隠してしまうくらいに大きいということだ。


 そんな岩が見える範囲だけでも数えるのが億劫になるほど転がっている。

 さらに遠くの方を見ると、岩がなくても地形だけでかくれんぼができそうな起伏がそこかしこに見つけられた。


「これじゃ、どこに盗賊が潜んでるかわかったもんじゃないぞ……」


 起伏が多いということは知っていたが、警戒しながら進むと言っても限度がある。

 こんなときに攻撃魔法のひとつもあれば適当に威嚇しながら進むこともできるのだが、この急造パーティは魔法どころか飛び道具にすら事欠いている。

 迂回するなら火山を別方向から一度上ってから降りてくることになるが、このような地面と岩の起伏は高度が高くなればなるほど増えていくだろうから、迂回が有効とは思えない。

 ないものねだりをしても仕方がないのはわかっているが、盗賊からの不意打ちを防ぐ手段を思いつかなければ、俺の足はずっと止まったままだ。


「アレン、進まないの?」

「どうやって進めばリスクが小さくなるか、考えてるんだよ」

 

 暢気な声をかけてくるクリスに少し呆れながらも、しかし、解決策は見つからない。


「たぶん大丈夫じゃないかな」


 俺が知恵を絞っているとクリスは解決策を思いついたのか、俺を残して道を進もうとする。


「一体何を…………おい、クリス!」

「うん?どうしたんだい、アレン」


 岩の横をあっさりと通り過ぎ、振り返って俺の叫び声に応えるクリスだが、どうしたもこうしたもない。

 盗賊が隠れているかもしれない岩のすぐ横を、なんの警戒もせずに進んで行きやがった。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。


「アホか!盗賊が隠れてたらどうするつもりだ!」

「盗賊なんていなかったじゃないか」

「それは……そうだが。たしかにいなかったが……」

「危険なところに踏み込まなければ、冒険者なんてやってられないんじゃないかい?」

「ぐっ……」


 たしかに、危険がある仕事だからこそ高い依頼料を得ることができるというのは正論だ。

 しかし、盗賊がいるという情報があるにもかかわらず、盗賊が潜んでいそうなところに無防備に歩いて行くことが冒険者として正しいとでもいうのか。


 驚くべきことに俺がこうして迷っている間にも、クリスは地図を見ながら予定したルートをどんどん進んで行く。


「くそっ、頼むからこんなとこで襲ってこないでくれよ……」


 こうなってしまえばクリスに続く以外の選択肢などありはしない。

 俺は覚悟を決めて、クリスの背中を追いかけた。






「……何もいなかったな」

「だから言ってるじゃないか。アレンは心配しすぎなんだよ」


 いくつもの岩の横を通り過ぎ多くの起伏を乗り越えて1つ目の調査地点に到着したが、この間盗賊どころか魔獣の1体すら見かけなかった。

 最初は危ないだの気を付けろだの声をかけていた俺も、こうも何も起きないと次第に声が小さくなり、ここしばらくは黙ってクリスの後ろをついて行くだけの存在になり果てている。


「なあ、クリス。確認するが、<索敵>スキルを持ってるわけじゃないんだよな?」

「もってないよ。だけど、僕は自分のカンには自信があるんだ」


 俺とクリスはすでに互いの冒険者カードを見せ合い、それぞれのスキルを把握している。


 俺の冒険者カードに<強化魔法>と<家妖精の祝福>しか記載されていないことを知ったときのクリスの反応が少し不安だったが、クリスは気にした様子も不満を漏らすこともなかった。

 都市から麓の街までの道中で魔獣との戦闘を経験したことが、良い方向に作用したようだ。


 一方、クリスの方は予想どおり<剣術>のスキルを持っていた。

 俺のがむしゃらな我流剣術と違う、しっかりと剣術を修めたことが見て取れる洗練された剣閃。

 俺の心にわずかながら嫉妬が生まれるほどに綺麗だったから、さもありなんといったところだ。


 しかし、それだけではクリスの行動に説明がつかない。

 盗賊が不意打ちを仕掛けてきても対処できるほどに自分の剣に自信を持っているのかとも思ったが、散歩でもするかのように剣を納めたまま歩く様子を見せられれば、そんな考えも霧散してしまう。

 クリスの態度は、まるでそこに盗賊がいないことを知っているかのようなのだ。


(もしかすると、クリスも俺に伝えていないスキルがあるのかもしれないな)


 その可能性に思い至ると、クリスの行動も理解できるように思えた。

 というか、自分がそうなのだから真っ先に思いつくべきことだろう。


(なら、この先も警戒はクリスに任せるとしよう)


 この場所の岩のような地面を少し削って皮袋に詰め込み、報告書に書くべきことを忘れぬよう地図の端にメモを取る。

 もっとも特に変わったところもない以上、書くべきことは少ない。

 空模様や寒さ、風の強さなど、金貨を出してまで定期的に調査する意図がわからないようなことばかりだ。

 もちろん、この調査依頼のおかげで高額報酬を受け取ることができるのだから、文句を言うつもりなど一切ないのだが。


「お前のカンは信じるが、警戒はちゃんとやってくれよ?」

「わかってる。大船に乗ったつもりで任せてくれ」


 決められた手順をこなすと、周囲の警戒もせずに休憩していたクリスに声をかけた。


 空を見上げると、そこには分厚い雲が彼方まで広がっている。

 風も強くなってきて少し肌寒い。

 まだ雨こそ降っていないが、山の天気は変わりやすいというからゆっくりしてはいられない。


 俺たちは再び荒れ果てた山道を進み始めた。



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