第55話 火山の麓の街へ3




 馬車の速度が落ちてから完全に馬車が停止するまでの間が、最も無防備になる。

 そう思って警戒していたのだが、先走った1体目が被害を受けたためか、魔獣たちは馬車を囲うように位置取りを変えただけで馬車を襲ってはこなかった。


 俺とクリスは完全に止まった馬車の左右、後方へのフォローもできる位置に陣取ってそれぞれ魔獣と向かい合う。

 馬は逃げ出し馬車の主人も馬車の中に逃げ込んだため、馬車の外には俺とクリスの二人だけだ。


「さてと……」


 買ったばかりでまだ手に馴染んでいない剣を正眼に構える。


 頑丈さと重さが取り柄の両刃の剣で、刃渡りは90センチ程度。

 小さい頃、木剣で世話になったこともある武器屋の偏屈な店主に勧められた逸品だ。

 いまだに剣術スキルを習得できない俺が、どうやって斬撃の威力を向上させるか。悩んだ末にたどり着いた結論が、この剣だった。


(重量のある頑丈な剣を、<強化魔法>で底上げした腕力にまかせて振り回す……!)


 それだけで、この地域に生息する弱い魔獣は斬り飛ばせる。

 仮に刃が通らなくても、剣の重量と遠心力、そして強化された腕力があれば打撃としても相当の威力になる。

 左手に装着した盾替わりのガントレットや両足に付けたグリーブなどの防具も頑丈なものを買ったから、最悪の場合は殴る蹴るでも何とかなる。

 もちろんせっかく幼い頃から剣の練習をしてきたのだから、剣を放り出して魔獣と殴り合うのは避けたいところだ。


 こちらから動けば馬車を守れないため、魔獣がこちらに近づいてくるのをじっと待つ。


 魔獣は6体で俺の周囲を囲み、じりじりと距離を詰めて今にも飛び掛かろうとしていた。

 このまま同時に飛び掛かられては流石によろしくないので、適度に距離が詰まったところでこちらから打って出る。


「ハッ!」


 一番馬車の後方に近い魔獣を選んで斬りかかる。


 フェイントもなにもない速攻。


 頭を両断するつもりで放った斬撃は、しかし、魔獣の鼻先を傷つけるだけに留まった。


『キャイン!』


 それでも感覚器官が集まる鼻先への傷は魔獣を怯ませるには十分だったらしく、傷を負った魔獣は俺から離れるように草の上を転がった。


 この隙を逃す手はない。


 こちらへと猛チャージしてくる残りの5体を横目で見ながら、俺は再び一息で距離を詰めて最初の1体にトドメを刺す。


 振り向きざまに剣を水平に払うと、2体目の魔獣の喉元は半ばまで斬り裂かれた。


 3体目と4体目が飛び掛かってくるタイミングはほぼ同時だったため、一旦右に回避してやり過ごし、5体目を斬り上げて今度こそ頭を両断する。


 返り血が新品の装備を汚していくのを残念に思いながら、若干怯んでいた6体目に斬りかかる。


 6体目は先ほど馬車の上から一突きしてやった魔獣で、傷のせいか動きが鈍かったため、難なく仕留めることができた。


『グルルル……』

『アオーーン!』


 振り返ると、先ほど躱した3体目と4体目が仲間の死骸を見ながら唸り声をあげている。


 先ほど俺を囲んでいたときよりもずっと遠いところをうろついていた2体は、俺が近寄ろうとすると襲撃を諦めたのか街道を越えて南の森の方に逃げていった。


 魔獣の背を見送り戻ってこないことを確認すると、俺も逃げた魔獣を追うように街道を横断して馬車の反対側で戦っているはずのクリスの下へ向かう。


「こっちは片付いた!加勢する!」

「くっ……」


 クリスの方は残り3体。

 俺に先を越されたことが悔しかったのか表情に少し苦いものが混ざるが、その戦いぶりは危なげないもので、このまま見ていても遠からず魔獣を撃退できるだろうことは明らかだった。

 もちろん、だからといって棒立ちで観戦している理由もない。

 俺はクリスと一定の距離を保ちながら魔獣たちを牽制し、少しずつ森の方へと追いやっていく。


 魔獣が俺の方に気を取られたとき、クリスが一瞬の隙をついて4体目を仕留めると、やはりこちらの2体も逃走を始め、森の方へと消えて行った。


「おつかれ。ケガはないか?」

「大丈夫だよ。アレンもおつかれさま」


 俺とクリスは手分けして死骸を数え、逃げた魔獣と合わせて12体分になることを確認すると、馬車の主人に魔獣が片付いたことを知らせて、逃がした馬を呼び寄せてもらう。

 それを待つ間、俺たちも一人ずつ防具を外して付着した血糊を拭い、武器に破損がないことを確かめる。

 ほとんど返り血を浴びていなかったクリスとは対照的に返り血を盛大に被ってしまった俺の方は、防具だけでなく中に着ていたインナーも魔獣の血で汚れてしまっており、溜息をつきながらインナー脱ぎ水で湿らせた布で軽く体を拭いた。


 俺としては馬が戻ってくるかどうかが一番の気がかりだったが、しばらく待つと無事に合流できたようで一安心。

 乗客たちの感謝の言葉を受けながら元の席に戻り、腰を下ろした。


 馬車が動き出すと途端に眠気が押し寄せてくる。

 体の疲れはほとんどないはずだが、やはり実戦は俺の集中力をごっそり削り取っているようだ。

 街に到着するのは夕方になるだろうから、それまで少し眠って気を休めることにした。






「アレン、起きて。街に着いたよ」

「……お?すまん、寝ちまったみたいだな」


 俺は席から立ち上がり、大あくびをしながら馬車から降りる。

 すでに他の乗客たちは街へと入ったようで、俺とクリスだけがその場に残っていた。


「今日は助かったよ。約束どおり銀貨10枚だ」


 馬車の主人が小さな袋に入れて渡してくれた銀貨を数え、約束どおりの額であることを確認すると、馬車の主人に右手を差し出す。


「毎度あり。次は吹っ掛けられないように気を付けろよ」

「わかってるよ。まったく、今日は大損だ」

「命あっての物種だと思うがなぁ」

「はははっ、違いないな」


 馬車の主人と握手を交わして別れると、俺もクリスを伴って街の宿へと歩き出した。


 フィーネから仕入れた情報によれば、この街の宿の数は3件。

 このうち街の中央通りに面する酒場兼宿屋が彼女のおすすめの宿だった。

 酒場と言っても食事だけ注文することもできるため、食事のためにいちいち宿の外に出る必要がなく俺のようなものぐさな冒険者に人気があるらしい。


 ガラの悪い者も多い冒険者が集まると揉め事が増えそうなイメージもあるが、実のところ先日のチンピラのような冒険者はそれほど多くない。

 人口数万人と言われる都市でも冒険者数は数百人程度で、恒常的に活動する者はその半分にも満たないため、揉め事ばかり起こしていてはあっという間に名前が知れわたってしまうからだ。

 腕自慢の冒険者が集まるところにわざわざ忍び込む盗賊もいないと考えれば、冒険者が集まりやすい宿は一種の安全地帯であると言えるだろう。


 街の風景を眺めながら歩くこと数分。

 目的の宿屋を見つけた俺たちは日が沈むころに1階にある酒場で待ち合わせることを決めると、早速部屋で一休みする。

 素泊まり一泊大銅貨3枚の安宿では流石に風呂はないようで、仕方ないからお湯に浸した布で体を拭くことにしたが、やはりこれだけでは満杯のお湯に体を浸すような満足感は得られない。


(思えば、身の丈に合わない贅沢な環境にいたんだな……)


 2階建ての大きな屋敷。

 可愛らしく有能な家妖精。

 いい匂いのする柔らかい寝具。

 綺麗に手入れされた浴場。

 温かく健康的な食事。


 孤児上がりのD級冒険者には不相応な生活だ。

 もしかすると上級冒険者よりも贅沢な生活をしているかもしれない。


 それでも、手放す気はない。

 絶対にこの環境に相応しい人間になってみせる。

 今回の依頼を成功させることが、その一歩目なのだ。


「よし!」


 昼間の戦闘で汚した服を軽く洗って干して置く。

 一通り終えて窓の外に目をやると、ちょうど日が沈んでいくところだったので、簡単に身だしなみを整えると剣だけ肩に引っ掛けて1階へと降りて行った。






「待たせたか?」

「いや、僕もさっき降りてきたところだよ」


 階段を降りると、すぐ近くの席でクリスが待っていた。

 肉料理がメインの定食と一緒に、宿泊客は1杯だけ半額で飲めるという誘い文句につられて安物のワインを注文すると、クリスがもう待ちきれないと言わんばかりに昼間のことについて尋問を始めた。


「さあ、アレン。話してもらうよ」

「え?なんだっけ?」

「なんだっけ、じゃないだろう!昼間の馬車の中でのことだ!」


 クリスが大声で上げたが、この前フィーネといった料理店と違ってこの程度の大声で視線が集まることもない。

 周囲ではすでにできあがった男たちが、もっと大きな怒鳴り合うような声で言葉を交わしていた。


「そう怒るなって。ちゃんと覚えてるよ」

「ならなんでとぼけたのさ!僕は、真面目に聞いているんだ」

「クリスはせっかちだなあ……。なあ、ワインが来るまで待たないか?素面で講釈垂れるのはちょっと辛い」

「……ワインがきたら話してくれるんだね?」

「ああ、わかったよ」


 よほど我慢していたのだろう、俺を見つめるクリスの目が据わっている。

 答えによっては火山に入る前にパーティ解散を言い出しかねない雰囲気すらある。

 これ以上焦らしてもいい影響はなさそうだ。


 ワインが来るまでにクリスに話す内容を頭の中でまとめておく。

 同じ内容を伝えるにしても、説明順序と言葉選びで相手が受ける印象は大きく変わってくるからだ。

 俺とクリスはまだお互いのことを何も知らないが、互いに隠したい過去がある故の適度な距離感が今の俺にとっては心地良い。

 些細な行き違いでおしまいになるのは、俺としても本意ではなかった。


 俺の頭の中の整理が終わって間もなくワインが到着すると、クリスの視線に促されるように、俺は話を進めていく。


「まず確認だが……。クリス、お前は何について腹を立てているんだ?」

「アレン!さっきワインがきたら話すって――――」

「こういうのは順番が大事なんだよ。まずは、論点の整理だ。『相手はきっとこう思ってるだろう』なんて中途半端な決めつけを前提に話し合ったって、時間を浪費するだけで意味がない」

「……わかった。僕が疑問に思っているのは、魔獣が迫っているにもかかわらず、キミが馬車の持ち主と依頼料の交渉を始めたことだ」

「まあ、そうだろうな。それで、クリスはどうするべきだと思ったんだ?」

「あの状況なら、まずは魔獣を退治するべきだった。僕たちだけじゃない、幼い子どもの命も懸かってたんだ!」


 クリスはワインを一気に飲み干し、さらに追加をボトルで注文する。


「生活費が苦しいんじゃなかったのか?頼むから、明日二日酔いで動けないなんてことになってくれるなよ」

「安心してくれ。僕は酒には強いんだ」


 酒が入って早くも興奮し始めたクリスの言葉に説得力などありはしないが、それを口に出してもこじれるばかりで意味がない。

 これは、完全に酔っぱらってしまう前に話を終わらせた方が良さそうだ。


「お前の言いたいことはわかった。だがな、魔獣を退治してしまってから依頼料を請求したって、たぶん誰も金を払ったりしないぞ?」

「別にそれでもいいじゃないか!あそこで依頼料をもらえなかったとしても、僕らは大して困らないだろう!」

「なるほど、そう…………待て、そのワインは少し横においておけ!これ以上飲んだら俺の話が理解できなくなるぞ!」

「あっ!アレン、そのワインは僕が頼んだものだぞ!返してくれ!」

「ダメだ!話が終わるまでお預けだ!」

「キミがワインを飲みながら話そうって言ったんじゃないか!」

「ワイン1杯でここまで酔うと知ってたら、酒なんか勧めなかった!」


 すったもんだの末、グラス1杯分だけワインを注ぎ足してから話を続けることになった。

 料理も運ばれてきたので一旦仕切り直しだ。

 メインの肉料理は下ごしらえが良いからか、あまり良い肉ではないにもかかわらず柔らかくて美味しい。

 うまい料理でワインが進むのは結構なことだが、あまりゆっくりしていると酔っ払いのグラスが空いてしまうので、俺はさっさとこの話題を終わらせてしまうことにした。




「クリス、結論から言うぞ。お前の考え方は、いつか多くの人を死なせることになる」

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