第53話 火山の麓の街へ1
食事のあと、俺は応接用のソファーに場所を移して紅茶を味わいながら本を読んでいる。
なにやら知的に聞こえる表現だが、実際のところは明日に備えて行先の地理や魔獣の情報などを頭に入れているだけであって文学的な要素などありはしない。
俺の隣には家妖精のフロルが寄り添うように腰掛けて、その手を俺の腰にまわし、抱き着くような体勢でうっとりと目を閉じている。
なにやら退廃的に聞こえる表現だが、実際のところは単に食事をしているだけであって、やはり退廃的な要素など欠片もありはしなかった。
フロルが食べているのは俺の魔力だ。
手を握っているより寄り添っているとき、寄り添っているときより抱き着いているときの方が魔力の抜ける量が多くなっていく感覚があるから、おそらく時間当たりの食事量は触れている面積に依存するのだろう。
フロルをペットのように扱うつもりは毛頭ないが、俺は彼女の食事のルールというものを決める必要に迫られた。
妖精も人間と同じようにものを食べることができる。
しかし、それはあくまで嗜好品として食べるのであって、栄養としてはほとんど機能しないらしい。
よって彼女は俺が魔力を与えないといつか存在を維持できなくなって消滅してしまうわけだが、だからといって俺も無制限に魔力を与えるわけにはいかない。
魔力が枯渇すれば人間は気絶してしまうし、仮に気絶しなくても俺の稼業に支障が出てしまうからだ。
とはいえ、だ。
悲しいことに<強化魔法>も<結界魔法>も、普通に使う分にはプールに満たされた水を小さなコップでくみだすのと大差ない。
試行錯誤を重ねていた幼い頃ならともかく、戦闘スタイルが前衛に決まった今となっては、魔力消費が多い攻撃系の魔法を新たに習得することもできないだろう。
俺が2歳の頃からの日課によって手に入れた膨大な魔力を自力で有効活用する手立ては、おそらく今後も得られない。
だから体力と集中力の続く限り戦闘を続けても魔力総量の2割も消費できないのではあるが――――それを踏まえてもカラにされては流石に困ってしまう。
そこで、俺はフロルに対して『俺の魔力量がこれくらいになるまでは好きなときに食事をしてもいい』と基準を示すことにした。
目安としては魔力残量が体感で3割くらいになるまでだ。
これだけ残っていれば戦闘に支障が出ることもないだろうし、もし何か問題があればそのときにフロルと相談すればいい。
どうせ今までも無為にまき散らすしかなかったし、最近は訓練による魔力量の上昇も実感しにくくなってきた。
それならばフロルのご飯になった方が、俺の魔力も役に立つというものだろう。
幸い人間のようにお腹がいっぱいになるということもそうそうないらしく、食いだめもできるようだから一安心だ。
「フロル、これくらいだ。ちゃんと覚えておいてくれよ」
フロルが食事を始めてから結構な時間が経過した。
俺がフロルにそろそろ基準値だと伝えると、フロルは名残惜しそうに食事をやめた。
魔力が抜けていく感覚がなくなってもフロルは俺に抱き着いたままだったが、約束を守っている分には好きにさせてやる。
最初はソファーに腰掛ける俺の膝の上に座って寄り掛かるような体勢で食事を始めようとしたため、本を読むのに邪魔になるからと隣で勘弁してもらうことになったから、その埋め合わせも兼ねている。
それに今は見た目が10歳くらいで凹凸のない体型だから気にならないものの、これがラウラのように育っていくとしたら、その体勢ではどこかでまずいことになるという危惧もあった。
「頼むから、可愛い姿のままでいてくれよ?」
こちらを見上げて首をかしげるような仕草をするフロルは、贔屓目なしに見ても非常に可愛いらしい。
これがこのまま大人の姿になれば間違いなく美人になるはずだ。
そんな美人がこうして夜な夜な抱きついてきたら、ダメだわかっていても理性を保てないかもしれない。
見た目は人間の少女そっくりでも妖精と人間は異なる存在なのだから、そもそも妖精とそういうことができるのかという問題はあるが――――きっと彼女は俺が望めば、食事のために我慢してそれを受け入れるだろう。
ラウラによると、妖精にとって魔力というのはそれほどに重要なものなのだそうだ。
フロルに爛れた関係を強いるのは絶対に嫌だから、フロルにはいつまでも可愛いらしい姿でいてほしい。
自分の意思が強固であるなら美人に抱きつかれても耐えることができるのかもしれないが、俺の意思はそれほど強くはない。
そのことを、俺は十分に理解している。
情けないことを考えながら、パタンと本を閉じてフロルの頭を撫でる。
フロルは気持ちよさそうに目を細めた。
「さて、明日に備えてそろそろ寝るよ。留守の間はよろしくな、フロル」
彼女は俺から離れると微笑んで、力強くうなずいた。
◇ ◇ ◇
翌朝、俺より先に冒険者ギルドに到着していたクリスと合流すると、フィーネにクリスをメンバーに加えることを伝えてから南門近くにある乗り合い馬車の停留所へと向かう。
フィーネに話を伝えたときの彼女の目つきを考えると、依頼から帰ったらまた彼女をランチに誘う必要があるかもしれない。
「移動は馬車なのかい?」
隣を歩くクリスから質問が飛んでくる。
「ああ、そのつもりだ」
「そうか。魔導馬車は椅子の座り心地が良いか悪いかで評価が大分変わると思うんだ。いい馬車に当たるといいね」
「おいおい、何言ってんだお前」
「え?」
クリスが俺の反応に驚いたような顔をする。
これは、もしかしたら本気で言っているのだろうか。
「魔導馬車なんて使うわけないだろ。あれは稼ぎのいい連中専用の乗り物だぞ?俺たちが使うのは馬車だ。読んで字のごとく、馬が牽く車だ」
「え?あ、ああ、そうだよね。あはは……」
クリスは周囲を確認する振りをして俺の追及を躱そうとする。
これは現場に入る前にしっかりと認識のすり合わせをしておいた方が良さそうだ。
装備や立ち振る舞いからして商人か役人か、いずれにせよ裕福な家で育てられたんだろうとは思っていたが、こういった認識の齟齬は放置しておくと大事な場面で致命的な影響を与えかねない。
「まったく、頼むぜ……。たしかに魔導馬車の方が速いし乗り心地もいいが、料金も相応で銀貨2枚から3枚くらいまでが相場になる。それが普通の乗合馬車なら高くても大銅貨5枚で釣りが出る。料金の問題を考えなくても、今日の行先は普通の馬車でも日が沈むまでに街に到着するし、魔導馬車で行っても今日のうちに火山には入れない。だから普通の馬車一択だ」
「なるほど、アレンはこの辺りのことにも詳しいんだね。頼りになるよ」
「……昨日調べておいたからな」
馬車の値段なんて地域ごとに劇的な差があるものではないと思うが、深く追及されるとこっちもボロを出すかもしれないから、この件はここまでにしておこう。
俺は最近この都市に来た冒険者のアレンであって、決してこの都市で育った孤児のアレックスではないのだ。
この地域のことにあまりにも詳しいと、俺の経歴と辻褄が合わなくなる。
乗り場にたどり着くと、いくつかある馬車の中から定員に対して空間が広い馬車を選んだ。
馬車の主人と少し話をしてから運賃を支払い、クリスと二人で馬車に乗り込む。
左右の長椅子に6人ずつ座る幌馬車で、木製の椅子の上に申し訳程度に薄い布が敷かれているが、まだ乗客は俺たちだけだ。
一番御者に近い席でクリスと向かい合うように席を取り、荷物を椅子の下に押し込むとき、ふとクリスの荷物が少ないことに気づいた。
装備一式はあるようだが、他には腰につけるには少しだけ大きいポーチくらいで、荷物らしい荷物が見当たらない。
「クリス、荷物はどうした?」
「ここに入ってるよ」
クリスは腰のポーチをぽんぽんと叩きながら答えるが、一体その中に何が入るというのか。
俺の訝しげな表情を見て合点がいったのか、クリスはポーチについて説明を始める。
「これ、いっぱい物が入る魔道具なんだ。こう見えてアレンの大きな背負い袋の倍くらいの荷物が入ってるんだよ」
「マジか……」
「うん、マジマジ」
そんな便利なものが存在したとは。
金に余裕ができたら是非とも手に入れたい逸品だ。
「心配しなくても、ちゃんといろいろ準備はしてるよ。ケガ用のポーションと解毒用のポーションと、寝袋と――――」
「待て、わかった!わかったからしまってくれ。そろそろ他の客が来るから!」
「ああ、もう少しで出発の時間だもんね」
次々と取り出される物資が明らかポーチ本来の容量を超えたところで、俺はクリスを制止する。
俺が心配しているのは、荷物を広げると他の客に迷惑が掛かるということだけではないのだが。
「悪いことは言わない、小さい背負い袋も用意しておけ。それは結構値の張る魔道具だと思うから、余計な面倒事を招きそうだ」
「あ、なるほど。気を付けるよ」
寝袋が小さなポーチに吸い込まれていく様子に目が釘付けになりながらも、不用心なクリスを窘める。
もう少し警戒心を持ってほしいところだが、言葉を継ぐ前にほかの乗客が乗り込んできたため、言いたかったことは飲み込んだ。
それからまもなく、馬車は都市を出発した。
(これが、この都市で受ける初めての依頼だ。絶対に成功させてやる!)
俺は決意を新たに、幌に空けられたのぞき窓から草原を見渡した。
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