第52話 怪しい少年
「そう警戒しなくてもいいじゃないか。僕は別に、キミの不利益になるようなことをしようとは思ってないよ」
いつからそこにいたのか、大通りよりも一段高い冒険者ギルドの入り口に佇んでいたクリスが俺の近くまで寄ってくる。
「内緒話を盗み聞きするような奴に言われてもな」
「盗み聞きしたわけじゃないさ。たまたま、偶然、聞こえちゃっただけだよ」
「そりゃあ良く聞こえる耳をお持ちなことで、羨ましい限りだ」
まずい、非常にまずい。
一体どこから聞かれていたのか。
聞かれた内容によっては、フィーネにまで影響が及びかねない。
冷や汗を流しながらクリスの出方をうかがっていると、彼は大げさな身振りと困ったような表情で話を続ける。
「そんなに怖い顔をしないでほしいね。警戒するキミの気持ちはわかるけれど、本当にキミに不利益な話をするつもりはないんだ。とりあえず、立ち話もなんだから隣で腰を落ち着けて話をしないかい?」
「……わかった」
主導権は完全に相手が握っている。
断る選択肢はなく、俺はクリスに従って酒場に足を踏み入れた。
冒険者ギルドの隣にある酒場兼食堂。
店を開けたばかりの時間帯であるからか、客は俺たちのほかに1組だけだった。
大通りの近くの席に陣取ったもう1組から離れるように、俺たちは店の奥の席を選んで向かい合う。
「ご注文は?」
「……今日のおすすめの果実水」
「じゃあ、僕もそれをお願いするよ」
注文を取りに来た給仕の少女に銅貨を2枚ずつ渡して飲み物を頼むと、クリスへと向き直る。
「それで、何の話だ?」
「せっかちだねえ、アレン。飲み物が来るまで待ったっていいじゃないか」
「俺は忙しいんだ。用がないなら帰るぞ?」
「用ならあるさ。キミが金髪のキュートな受付ちゃんからもらった南の火山の調査依頼、僕も参加させてほしいんだ」
思わず頬が引きつりそうになったが、耐えることができただろうか。
『南の火山の調査依頼』という言葉が出てきたということは、クリスは俺とフィーネの会話のほぼ全部を聞いていたということになる。
ブラフの可能性もなくなった以上、シラを切ることもできなくなった。
俺は大きくため息をついて椅子の背もたれに寄り掛かる。
「果実水2つお待ちー。まだお昼まで時間があるから、ごゆっくりどうぞー」
クリスの方に手を振りご機嫌そうに戻っていく給仕を目で追いながら、飲み物に口を付けた。
よく冷えた果実水が体に染み渡る。
爽やかな後味をしているが、そんな果実水も俺の心に爽快感までは与えてくれない。
この後の会話を思えば、それも仕方のないことだが。
「あいにく、分け前を多く寄越せなんて話なら受けられないぞ?こっちも大金が必要な事情があるからな」
交渉が決裂した場合、俺が依頼の注意書きに気づいてフィーネの気遣いを台無しにすることになるかもしれないが、譲れないラインはある。
それにせっかく危ない橋を渡ってまで流してくれた依頼を横取りされるような無様を晒しては、彼女に申し訳が立たない。
「そうなんだ?じゃあ分け前は3:1くらいでどうかな?」
「ふざけんな。1:1でも多いくらいだ」
「うん……?いや、キミが3で僕が1だよ?」
「え?」
「え?」
男が二人、きょとんとした間抜けな顔で見つめ合う。
クリスは「何言ってんだこいつ?」と言いたげな顔でこちらを見ているが、たぶん俺の顔も似たような感じになっていることだろう。
少しの沈黙の後、クリスがこほんと咳払いをして徐に話を始めた。
「…………僕はこの都市に来たばかりだと昨日言ったけど、ご覧のとおり冒険者にもなったばかりで実績がないんだ。腕にはそこそこ自信があるんだけど、これでは受け入れてくれるパーティも見つからなくてね。キミがソロで難しい依頼に挑戦するようだから、同行して依頼達成の実績づくりと、ついでに当面の生活費を稼げればいいなと思ったわけなんだ」
クリスは自分の首に掛けられているE級の冒険者カードをつまんで俺にみせる。
たしかに『よそ者』『E級』加えて『実績なし』と三拍子そろっていれば、なかなか組む相手は見つけられない。
しかし、そうなると――――
「つまり、俺の弱みにつけこんで金を巻き上げようと考えてたわけじゃあないと?」
「最初からそう言ってるじゃないか……」
クリスから責めるような目で見つめられ、俺は視線を泳がせる。
まさか相手の弱みを握った状況で自分の方が少ない分け前を提案してくるとは。
俺の人生経験からはクリスのような発想に至ることは難しい。
「す、すまん……。なんというか、いい奴だな」
「……そうかな。そうだと良いんだけど」
「…………?」
クリスの表情が、少しだけ辛そうなものに変わった。
高そうな鎧を着ているのに生活費に困っており、冒険者としては素人なのに見知らぬ土地で活動している少年。
これだけでは彼の背景を推察することなどはできないが、彼にも複雑な事情があるのかもしれない。
なんにせよ、俺にとっては渡りに船だ。
二人とも前衛になるが、この人数ならパーティバランスもクソもない。
今回の報酬は大金だし単純に戦力が増えることのメリットを無視できるほど楽な依頼でもない。
ここはありがたくクリスの申し出を受けるとしよう。
「わかってるだろうが、手練れの盗賊団が想定される地域に足を踏み入れることになる。死ぬかもしれないぞ?」
「危険なのは承知の上さ。言っただろう?腕にはそこそこ自信があるんだ」
「わかった。じゃあ、臨時ではあるが俺とお前で2人パーティ、リーダーは俺だ。依頼の報酬は金貨2枚、200万デルだから、お前の取り分は50万デルになる。報告内容によって報酬が変動するから、この額から増えるようなら追加報酬は半々にしよう」
「それでお願いするよ。よろしくね、リーダー」
俺たちはしっかりと握手を交わすと、明日朝にギルドの正面で待ち合わせることを約束し、それぞれ準備に取り掛かった。
◇ ◇ ◇
「――――というわけで、数日留守にすることになった」
俺の言葉の直後、カランと音を立てて金属製のトレイが床に落ちる。
トレイの持ち主は我が家の家事全般を取り仕切る家妖精のフロルだが、先ほど食欲をそそるおいしそうな食事を食堂に運んできたときの自慢げな顔は見る影もなく、今はまるで大金を要求された貧乏な冒険者のような顔になってしまった。
涙がにじむ瞳は力なく足元の絨毯を見つめ、その表情は絶望に彩られている。
(いや、なんで!?)
そんなフロルを見て、こちらも思わずフォークを取り落としそうになる。
俺が帰って来なくなったら彼女が心配すると思い、明日からの予定を告げただけだ。
初日こそ俺が出かけることを嫌がったフロルも今日は笑顔で俺を見送ってくれたし、明日からだって数日留守にするだけでここからいなくなるわけではないのだ。
もちろん依頼に失敗してそのまま帰らないという可能性もないわけではないが、わざわざ彼女を心配させることもないと思って伝えていない。
だから、彼女がここまで絶望的な顔をするような理由が思い浮かばない。
(あれ?そもそも俺の言葉は、ちゃんとフロルに通じているんだろうか?)
彼女は言葉を話さないから、俺は彼女の考えを身振り手振りから理解していた。
フロルが少女の姿をしていて、これまで意思の疎通に不都合を感じなかったから、彼女は俺の言葉を理解できているものだと思い込んでしまっていた。
しかし、いつだったかラウラから聞いた話では、妖精の意識は個体ごとに様々で、なかにはまったく意思の疎通ができないものもいるらしい。
それらは基本的には妖精が生きた年月によって成長するものであるというから、どう見ても長く存在しているようには見えないフロルが俺の言葉を理解できなくてもおかしくはない。
あるいは理解できる部分と理解できない部分があって、意味を勘違いしてしまったということも十分にありそうだ。
「なあ、フロル。大丈夫だぞ?俺はまた、この家に帰ってくるぞ?」
そう言って、フロルの頭を撫でる。
「何日か、たぶん5日くらいだと思うが、それだけ経ったらここに帰ってくるから。だからそんな顔しないでくれ」
フロルは顔をあげると、頭を撫でていた俺の左手を両手で掴んだ。
そのまま彼女の胸のあたりまで持っていき、目を閉じると、その仕草はまるで何かに祈るようなものになる。
俺は、その様子をしばらく眺めていたのだが――――
「……なるほど」
思わず苦笑いしてしまう。
どうやら俺は、恥ずかしい勘違いをしていたらしい。
彼女が恐れているのは、この家に住む人間がいなくなってしまうことだと思っていたのだが、それは半分正解で半分間違いだったということだ。
俺は彼女が恐れるものを最初から知っていたにもかかわらず、すっかり忘れてしまっていたのだ。
俺は先ほどフロルの様子を、大金を要求された貧乏な冒険者のようだと思ったが。
数日間ご飯抜きと言われた家妖精も、きっとそんな顔をするだろうと思った。
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