第48話 閑話:とある少女の物語13




 自分が夢を見ている、ということを理解できる夢をみることがある。


 私の場合、それは死んだ人が登場する夢だったり、あるいは自分の過去の夢だったりする。


 今もそうだ。


 故郷へ向かう飛空船に乗っていたはずの私は燃え盛る炎の中、狭いリビングの絨毯の上に体を横たえている。


 どれほど力を入れても私の体が起き上がることはない。


 当然だ。


 私はこのときこの場所で、炎の中で死んだのだから。




 炎に焼かれて死ぬのはとても苦しいと言う。


 だから、そんな苦しい思いをしなくて済んだのは不幸中の幸いだった。


 このときの私には四肢の感覚がなかったし、血を流しすぎていて寒いくらいだったから。


 けれど、身体的な痛みはなくても、私の心は激痛に喘いでいた。


 あと少しだったのに。


 ずっと我慢してきたのに。


 大学を卒業した今日、私の隣ですでに事切れている母をここから連れ出すことができていれば、私の人生はもっとマシなものになったはずなのに。


 酒におぼれて私たちに暴力を振るう父から、逃げることができたはずなのに。


 結局それは叶わなかった。


 いつものように酒に酔った父は私の視界の外で、私たちに掛けた保険金でもっと酒が飲めると喜んでいる。


 本当におめでたいことだ。


 無職のアルコール中毒者が一人だけ生き残り、莫大な保険金を手にするなんて状況で、誰も事件性を疑わないと本気で思っているのだろうか。


 きっと思っているのだろう。


 これは、そういう男なのだ。




 こんなくだらない男に人生を踏みにじられたことが悔しかった。


 居もしない神を、心から呪った。


 そして――――


 もし、私に来世があるのなら。


 今度こそ――――自分の好きなように生きてやると誓ったのだ。






 私に二度目が与えられたと気づいたのは、今の私が1歳くらいのときだった。

 生後1年にしてすでに父親が死んでいたというのは一般的な感覚では悲劇だけれど、死んでいる父親は私を殺すことができないから一度目よりは恵まれているといえた。


 それだけでなく、今生の私は才能にも恵まれているらしかった。

 前世のことを思い出して悔しさを噛みしめていたら、前触れもなく手が燃え始めたときは本当に驚いたけれど、それが魔法だと理解してからは、その力を高めることに幼児期の全てを費やした。

 この場所のことを知らなくても、この力を高めることが自由に生きる近道だと、本能的に理解したからだ。


 けれど、この力は醜い嫉妬を呼び、結果的に私は母親と離ればなれになった。

 もしかしたら捨てられたのかもしれないけれど、それでも私は母親を恨みはしない。

 いつも威張り散らしていた鬼婆に一矢報いてやったときは、本当に心が軽くなった。




 孤児院で暮らすようになって、私は一人になった。

 炎を操る私は孤児たちにとって恐怖の対象でしかなく、私も同年代の子と一緒にいて楽しいわけもなかったから当然といえば当然の結果。

 孤児院の職員も同年代の子と比較してどこか行動がおかしい私を扱いかねているようだった。


 早く自立して好きなように生きたい。

 私の思いは、ただそれだけだった。


 そんな私の人生に転機が訪れたのは私が3歳になった頃。

 また一人、捨て子が増えた。

 私のあとに孤児院に来た子はその子以外にもいたし、その子以外のときは気にも留めなかったのだけれど、その日捨てられてきたのは1歳にもならない赤子だと聞いて、本当になんとなくその子の顔を見に行ったのだ。


 顔を見ても特別かわいいとは思わなかった。

 もともと子どもが好きというわけでもなかった。

 つんつん、と赤子のそこかしこをつついて反応を楽しんでいたけれど、やはりすぐに飽きてしまった。


 私は赤子の傍から立ち去ろうとした。

 私は赤子の傍から立ち去ることができなかった。

 

 その小さな手が、私の指を優しく握っていたからだ。


 無理やり赤子の手をはがすことは躊躇われて、けれどどうすればいいかわからなくて、私はそのまま赤子を見つめていた。

 今思えば一人でいることが寂しかったのかもしれない。

 他の子と違って赤子は私のことを怖がらなかったから、寂しさを紛らわすのに都合が良かったのかもしれない。


 私は気まぐれに、その子の面倒をみることを申し出た。

 3歳児のできることなんてたかが知れているけれど、私のことを扱いかねていた孤児院の職員たちは私の変化を歓迎した。


 それが、私と彼――――アレックス君の出会いだった。




 それから私は、積極的にあの子の面倒を見ることにした。

 ミルクを上げたり、あやしたり、最初は簡単なことしかできなかったけれど、私が4歳になるころには体が自由に動くようになってきて、できることは増えていった。


 あの子に怖がられることがないように、あの子の近くでは絶対に魔法を使わなかった。

 それでも、あの子が育って言葉を話せるようになると私は不安になった。


 あの子がもっと育ったら、いつか私の魔法を見てしまう。

 あの子がもっと育ったら、いつか誰かから私のことを聞いてしまう。


 そのときアレックス君は私にどんな目をむけるのだろうか。

 今までの経験から結果を想像することは難しくなかった。

 だから私はいつか来るそのときが、少しでも先になることを祈っていた。




 そして、ついにそのときは訪れた。


『もええう!』


 孤児院の裏庭で、魔法の練習をしているとき。

 部屋で寝ているはずのあの子の声が聞こえ、その目が私を捉えていることを理解して、私の目の前は真っ暗になった。

 これでまた、私は一人になる。

 元に戻るだけ、前からわかっていたこと。

 そんな言葉で自分を励ましても、結果は変わらない。

 それでもせめて言い訳くらいさせてほしいとあの子に近づいて――――その様子がおかしいことに気が付いた。


『あえあー!もええう』


 何を言っているのかはわからない。

 けれど、あの子は私を恐れていなかった。

 そう、あの子は私を心配してくれていたのだ。

 自分の魔法で火傷するなんて間抜けなこと、この私がするわけないのに。


 泣きわめくあの子に私がかけた声は、少しだけ震えていた。




 あの子は私の魔法を怖がるどころか、私と同じように魔法を使いたがった。

 私は孤児たちに教養を教えている先生に聞いた魔法に関する断片的な知識から、試行錯誤して魔法の使い方を練習していたけれど、それを1歳児が理解できるように説明するのはなかなか難しい。

 あの子が理解できるように簡単な言葉で説明してみても、やっぱりわからなかったのか、困ったような顔をされてしまった。

 どうすれば伝えられるのかと頭を悩ませていたら、魔力の枯渇で気絶したらしいあの子を見つけてとても驚いた。

 もしかしたら魔法の才能があるのかもしれない。

 上達をみながら、私に教えられることがあればいろいろ教えてあげようと思った。


『リリ姉、怖いよー。リリ姉が一緒にいれくれないと不安だよー!』


 あの子は賢い子だった。

 そして臆病な子でもあった。

 いつも私の後をカルガモのヒナのようについてきて、今もそこまで強くない魔獣に怯えて私の腰にしがみついている。

 我ながらひどい話だと思うけれど、そんなあの子の様子をみて、ついついにやけてしまう。

 あの子が怯える様子をかわいいと思ってしまう。


 最初はそれだけだった。

 次第にそれだけじゃなくなった。

 私の心の中で、少しずつ大きくなる想いがあった。


 あの子に頼られたい。

 あの子にもっと頼られたい。


 私を見ていてほしい。

 私だけを見ていてほしい。


 彼を、私の色に染めてしまいたい。


 そう思っていることに気づいてからは、この想いは日を追うごとに強くなっていった。

 幼い娘を育てて大きくなったら嫁にするという古典文学があったことを思い出し、男女逆だってかまわないだろうと自分を正当化する。

 年齢だって彼が15歳で成人するときに私は17歳だから何も問題はない。

 幼い少年を相手に何を考えているんだと思うこともあるけれど、私を頼って不安げに揺れる瞳の前では、そんな正論など意味をなさなかった。


 私は魔法使い、彼は官吏として、二人で領主に仕えるとか。

 二人で一緒に冒険者になるとか。

 彼との将来を空想したことは数えきれないほど。

 彼に近づこうとする同じ年頃の女の子を、本人に気づかれないように睨みつけて追い返したり、彼が別の女の子のところに行こうとするのを抱きしめて引き留めたりもした。

 あとから思い返せば、私は結構危ない子だったかもしれない。


 でも、そんなことが気にならないくらい楽しかったのだ。


 これでいいと思っていた。

 このままでいいと思っていた。


 そんな私に深い衝撃を与えたのは、彼と仲がいい一人の少年の言葉だった。


『ほら、この棒を拾ってこーい!』

『このやろう!!』


 よくあるじゃれ合いの最中に放たれた言葉が、私の胸に突き刺さった。

 彼にペットのように扱われた少年も本気で怒っているわけではない。

 お互いがふざけていると理解した上でのたわいのない掛け合いだった。

 けれど、私は思ってしまったのだ。


 私は彼を、ペットのように扱っていないだろうか。


 私は彼を、歪めてしまっていないだろうか、と。


 このときから、私が傍にいると彼を壊してしまう気がして、彼に近づくことが怖くなった。

 しばらく彼から離れてみたけれど、彼が普段通りに過ごしていることがわかって、今度は私が彼にとって不要な存在なのかと怖くなった。

 私が無理やり傍にいただけで、本当は彼の隣に私の居場所なんてないんじゃないか。

 一度考え始めると、思考は際限なくどこまでも沈んでいった。


 魔女の使いから誘いがあったのは、そんなときだった。


 私は迷わずそれに飛びついた。

 彼の傍にいられない理由を自ら作りだすことで、私の心は安寧を得ることができた。

 私が彼の傍にいられないのは、彼が私を遠ざけるからではない。

 そう信じるためだけに、私は彼の傍から離れることを選択した。


 私がそれを後悔のは、出立前夜のことだった。

 彼は私を嫌ってなどいなかった。

 彼は私を慕ってくれていた。

 そのことは部屋に飛び込んできた彼の表情から、十分に伝わってきた。


 そこからは我慢なんてできなかった。


 離れていた時間を埋めるため、異性への興味が芽生えているかもわからない彼をベッドに誘い、力の限り抱きしめた。

 思い出を語り合い、彼の匂いを胸いっぱいに吸い込み、私の匂いを彼に擦り付け、彼の頬に何度もキスをした。

 絶対に戻ってくるという誓いとともに、彼の寝顔をこの目に焼き付けた。


 そして――――





 ◇ ◇ ◇





「じきに到着だ。そろそろ目を覚ませ」

「…………ん」

「寝ぼけているのか。お前が待ち望んだ帰郷だというのに。もう少し喜んだらどうだ?」

「…………ああ」


 部屋を出てデッキから地上を見下ろすと、広大な農地と都市の外壁、それと都市のシンボルの時計塔が目に飛び込んでくる。

 私は故郷に戻ってきた。

 その事実が、少しずつ体中に染み込んでいく。


 誓いの夜から気づけば3年以上の月日が流れていた。

 かつては毎夜のように魔女を呪ったものだけど、結果的に私は十分な力と地位、そして自信を得ることができた。

 今なら恥じることなどなにもない。

 心置きなく彼との再会を喜ぶことができる。


 そう、私は今日――――


「やっと、アレックス君に会える」



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