第46話 閑話:とある少女の物語11
side:リリー・エーレンベルク
暑苦しい季節は過ぎ去り、最近は昼間でも過ごしやすくなってきた。
庭の置かれたテーブルに体を投げ出して気だるさを全身で表現してみると、テーブルに触れた頬にひんやりと冷たさが伝わる一方で、背中に当たる日の光がぽかぽかと暖かくて心地良い。
今なら日の光を求めて葉を差し出す植物の気持ちが理解できる。
そのまましばらくできもしない光合成に精を出していると、頭の後ろから髪を引かれるような感覚が伝わってくる。
大方、レオナが毛先をクルクルといじっているのだろう。
さして親しくもない相手ならともかく、レオナならこれくらいのスキンシップも不快に感じることはない。
レオナと反対側、私の視線の先ではニーナが微笑ましいものを見るような優しげな表情でティーカップに口を付けている。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出していく。
昼食を少し食べすぎたせいか、魔術講義の前だというのに押し寄せてくる睡魔に身を任せたくなってしまう。
きっとこのふたりのこと、私が眠ってしまっても時間になったら優しく体を揺すって起こしてくれるだろう。
愛すべき穏やかな日常。
今日の天気のように穏やかな心で、安らかなひとときを過ごせることを神様に感謝しながら、私はゆっくりと目を閉じ――――
「――――じゃなくて!」
ガバッ、と体を起こして自分に突っ込みを入れる。
神様に感謝などしている場合ではない。
つい天気に騙されそうになったけれど、私の心は穏やかな陽気とは正反対に荒れ狂っているのだ。
「ねえ、15歳にならないと宮廷魔術師になれないって理不尽だと思わない!?」
突然の挙動に驚くレオナとニーナに、私は荒ぶる思いをぶつけた。
そう。
激闘の末、わずか10席しかない宮廷魔術師の椅子に手をかけたと思ったのもつかの間。
『すまない……。宮廷魔術師への推薦だが、その、年齢要件があることを失念していた……』
約束どおり、私を宮廷魔術師に推すべく宮廷内で根回しを進めていた魔女から聞かされた言葉だった。
最初は知っていてわざと黙っていたのかと思って頭が沸騰しそうになったけれど、今まで見たこともないような歯切れの悪さと、私を呼びつけるのではなくわざわざ宿舎まで足を運んで詫びるというあり得ない対応から、私は魔女が本気でそれを失念していたのだと理解した。
一般的に、魔術師は年齢が高くなればなるほど強くなる。
これは歳月を重ねることで魔術の練度がより高くなる一方で、多少体が衰えても魔術師にとってさほどデメリットにならないということに起因するのだけれど、そうなると当然の帰結として、帝国最強の魔術師集団である宮廷魔術師の平均年齢は高くなる。
魔女の弟子であるヴィルマ・アーベラインは30代半ばといったところだけれど、それでも現任の中では2番目に若い。
そういった事情から宮廷魔術師の年齢要件など誰も気にしたことがなく、魔女がそのことに気づいたのは友好的な貴族や宮廷魔術師たちへの根回しが済んだ後、宮廷の事務方に話を通しに行ったときだったというから、魔女も大恥をかいたに違いない。
「理不尽です!リリー姉さまなら宮廷魔術師だって立派に務まると思います!」
「でしょう?そうでしょう!」
「私もリリーさんなら、とは思いますが。国にお仕えする身分ですから、未成年だといろいろ問題があるんだと思いますよ」
「ん、まあ…………そうねー……」
私自身、自分が未成年だという当たり前のことをすっかり忘れていた。
宮廷魔術師は、宮廷で役職を持つ上級貴族たち集う会議などにも出席し、ときには外交も行う帝国軍の幹部職だ。
それが未成年では他国に舐められるし、子どもを働かせているというのは、やはり体面が悪いということもあるのだろう。
事情も理由も理解できる。
理解はできるが、感情は納得しない。
「でも、せっかく魔女の出した条件をクリアしたのにー……」
正直、ヴィルマ・アーベラインがあれほど強いとは思っていなかった。
宮廷魔術師は席次と戦闘能力がおおむね一致しているらしく、私は第三席である魔女だけでなく、第九席の力量を知っていた。
だから、思ったのだ。
第八席が、第九席を少し強くした程度の魔術師なら負けることはない、と。
結果として、帝国の宮廷魔術師は第九席だけが飛びぬけてポンコツなのだということを体で理解させられたわけなのだけれど。
(彼女は……、ヴィルマ・アーベラインは、私より強い)
先手を譲られたこと。
初撃で深手を負わせたこと。
時間帯が夕方だったこと。
彼女の行動範囲が広場の魔術防御結界によって制限されていたこと。
彼女が殺傷力の高い魔術の使用を躊躇していたこと。
いくつもの幸運が重なり、しかも一度しか通用しない戦術を用いてなんとかもぎ取った勝利だった。
そう考えると、あの子のことがかかっているのに軽率な行動だったことを反省しなければならない。
もし私が負けた場合、どうなっていたのだろうか。
あの魔女のことだ、きっとろくなことにならなかったに違いない。
そして、だからこそ賭けに勝ったのに配当がないだなんて納得できない。
「気を取り直してください、リリーさん。そろそろ魔術講義の時間ですよ」
「はあ……さてと。んーっ……」
溜息と一緒にもやもやした気持ちを吐き出して椅子から立ち上がり、大きく背伸びをして体をほぐす。
「ドレスデン様になにか追加でお願いをしてみたらどうですか?リリー姉さま」
「そうね。不手際の代償として、お高いお菓子でも漁ってこようかしら。きっとどこぞの貴族からの贈り物がいっぱいあまってるはずよ」
二人に愚痴っていたら少しだけ気持ちが前向きになってきた。
こっそり育ててきた火妖精のフィーアの存在も明かしたことだし、試したいこともいっぱいある。
自由に生きるために。
私は、もっと強くなってみせる。
「本日の講義の主題は、『魔力生命体について』です。聞いたことがあると思いますが、妖精や精霊、それに妖魔などが代表格ですね」
今日の魔術講師は私が知りたいところをピンポイントで教えてくれるらしい。
なんて、そんな都合のいい偶然があるはずもない。
きっと魔女が手をまわしたのだろう。
ありがたいとは思うのだけど、考えが見透かされているようでいい気はしない。
ネット通販で注文しようとした商品が、注文ボタンを押す前に配達されたような気分だ。
「まず、魔力生命体の多くは、『世界樹』や『精霊の泉』、『魔力溜まり』から生まれると言われています。『精霊の泉』とは、魔力を無限に放出する地域の総称で、その詳細は今も明らかになっていません。一方で『魔力溜まり』は、なんらかの原因で魔力が溜まっただけの場所で、魔力が溜まる要因も規模も様々です」
そういえば、私がここに来た日の翌日もそうだったか。
私が強くなるために必要な魔術というものを、魔女は予定を変更してまでわざわざ教えに来てくれた。
「もともと帝国は、遥か西に存在するという『世界樹』のほかに、南の火山周辺にある『精霊の泉』からも恩恵を受けることができたので、妖精や精霊が多く存在していました。その分妖魔の発生も多かったですけどね。しかし数年前、南の火山に異変が起こり、『精霊の泉』が消滅したことが確認されてからは、この帝都を含む一部の地域でしか妖精が生まれなくなり、その数も大分減ってしまったのです。また、『精霊の泉』が消滅した分、妖精や精霊を使役するときに我々が供給しなければならない魔力も多くなったことから、彼らを使役することも難しくなっています。ですから――――」
そう考えると、魔女に感謝しなければいけないか。
私と魔女の利害が一致した結果とはいえ、私が魔術を習得する過程で魔女から得た助力は少なくない。
利用し利用される関係とはいえ、周囲に恩知らずと思われるのは面白くない。
素直に感謝を示すのは癪だけど――――
「新たに妖精を使役するというのは、なかなか大変なことなんですよ。聞いていますか!?エーレンベルクさん!」
「ッ!あ、はいっ!……すみません」
「あなたは特に、妖精のことを知っておくべきでしょうに。彼らのことを知らずにいて、愛想をつかされても知りませんよ?」
「気を付けます……」
「はあ……。では、エーレンベルクさん。あなたの妖精をみなさんに紹介していただけますか?」
「はい。おいで、フィーア」
右手を正面に差し出して私の中で休んでいたフィーアに呼びかけると、虚空から現れた炎が小さな鳥の姿をかたどって私の手首の上に現れる。
普段は私の中に潜んでいる彼女(彼?)は、呼び出すと鳥の姿をしていることが多く、その大きさは戦闘のときを除けばカラスと同じくらいだ。
私が手を頭上に軽く振ると、飛び立ったフィーアは講義室内を大きく旋回し、教卓の上にちょこんと着地してこちらを向く。
教卓は木製のはずだけど、フィーアの炎が燃えうつる様子はない。
相変わらず不思議な存在だ。
「ありがとうございます、エーレンベルクさん。魔力生命体には、完全に人間や動物そのものにみえるアニマル型と、炎や水などが何らかの形をとるエレメント型が存在します。この妖精はエレメント型のようですね……、ッ!」
魔術講師は説明を続けながら、フィーアを撫でようとして近づけた手を素早く引っ込めた。
最初のころはレオナやニーナも似たようなことをして火傷しそうになったものだが、同じことを魔術講師がやるとは思わなかった。
魔術講師の説明からはどう見てもエレメント型にしか見えないのに、触って確認する必要があったのだろうか。
触ったら危ない、ということの実演かもしれないけれど。
「ふう……、妖精と使役者は、使役者が妖精に魔力を供給し、妖精が使役者に恩恵を与えるという関係にあります。恩恵はその妖精によって様々ですが、妖精自身がその能力で使役者をサポートする場合と、使役者の能力を強化する場合が多いと言われていますね」
よほど熱かったのだろう、<水魔法>で生成した水球に指を突っ込んで冷やしている。
一方、魔術講師に火傷を負わせ、多くの少女たちの視線に晒されたフィーアはどこか居心地悪そうな様子。
戻ってくるように指示を出すと、フィーアは教卓の上で羽ばたいた後、虚空に消えて行った。
もうすっかり馴染んでいて違和感もないけれど、私の中にフィーアが戻ってきた感じがする。
その後も、妖精や精霊にまつわる話を聞かせてもらった。
中でも興味深かったのは、妖精が多くの魔力を得ると精霊化するという話だ。
これには相当な年月が必要だという話だからすぐには無理だろうけれど、とにかくフィーアに魔力を与えて強化していけば、それだけフィーアが私にくれる恩恵も大きくなるということもわかった。
フィーアが嫌がらなければ、これからはもっと積極的に魔力を与えていくことにしよう。
◇ ◇ ◇
このときの私は、自分が魔術師として強くなっていくことを純粋に嬉しいと思っていた。
強くなれば何だってできる。
あらゆるものから彼を守ることができる。
私が15歳の誕生日を迎えるころには彼と再会して、そこから本当に自分の人生を自由に生きることができる。
私は、そう信じていた。
現実は、非情で残酷で容赦がない。
そんなことは、ずっと前から知っていたはずなのに。
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