第45話 閑話:とある宮廷魔術師の物語3




 小娘が何事か叫ぶと、その周囲に膨大な魔力と光が満ちていく。

 己の身を守るべく、いつかの教訓を活かして待機させておいた魔術を発動させると、次の瞬間凄まじい衝撃と轟音が広場全体を襲った。


「ぐっ……」


 魔術を直接見ていなくても、その音と衝撃からおおよその規模を推察することはできる。

 なるほど、確かにあの歳でこれだけの魔術を扱うことができるならば、思い上がりも仕方のないことだ。

 私とて成人を迎える前は、これほど強力な魔術を行使することなどできなかった。


 小娘は強力な魔術師になる。

 そのことを確信するとともに、やはり今日はヴィルマに敗北するべきだと改めて思う。

 いまさら言うまでもなく、宮廷魔術師に必要なものは魔術師としての力だけではない。

 本来はそれだけでいいはずなのだが、今の宮廷を歩くためには魔術と全く関係のない小手先の技術が求められる。


 そして、それらの技術を期待するには小娘はあまりにも若すぎる。

 今、小娘が宮廷魔術師になったなら、絡め手で足元をすくわれてしまうだろう。

 これだけの才能を、そんなくだらないことで失うわけには行かない。


(あと3年、といったところか)


 小娘を宮廷魔術師に推薦するのはもっと先のことだと考えていたため、作法や慣習、腹芸などは最低限しか教えていなかった。

 これからは魔術だけでなく、これらも教えて行かなければならないだろう。

 もっとも腹芸に関しては教えるまでもないかもしれないが。


 地面の揺れが静まり、魔術が落ち着いたところを見計らってドーム状に展開した土壁と氷壁の二重障壁を解除する。

 土埃が広場全体を覆っていて視界は不明瞭だが、戦闘音からある程度の状況をうかがい知ることが――――できなかった。


(物音がしない……?)


 ぞわり、と悪寒が背筋を駆けあがる。


(まさか、そんな、あり得ない……!)


 ヴィルマは小娘に負けるほど弱くはない。


 弱くはないが――――先ほどの魔術の威力は本当に凄まじいものだった。


 14歳の少女から放たれるにはあまりにも強大な魔術。


 もし、油断が足を引っ張って直撃などしていたら。


 血の気が引いていくような感覚に襲われるが、目の端に動くものを捉えて空を見上げる。


「ヴィルマ!」


 視線の先には風を操って滞空しているヴィルマの姿があった。

 そこに、彼女がいつも浮かべている優しげな笑顔はない。

 まるで本当に殺し合いをしているかのような真剣な表情で、土煙とその先に居るであろう小娘を睨みつけている。

 先の魔術を完全に回避することはできなかったのか、私のものと同じく高度な魔術防御が織り込まれているはずのローブの袖は焼け焦げていて、左腕を押さえている仕草が痛々しい。


「お言葉に甘えて先手はもらったわ。ちょうどいいハンデになるといいんだけど」


 土煙が晴れると、小娘が姿を現した。

 いや、正確には――――


「精霊……いや、妖精か!一体いつの間に……」


 炎を纏った鳥、あるいは鳥の形をとった炎とでも言うべき存在が小娘の肩に止まっている。


「1年くらい前かな?朝起きたら居たのよ。隠れて育てるのに苦労したわ」


 何でもないことのようにのたまう小娘だが、妖精を育てるというのは簡単なことではない。

 精霊の泉の恩恵を受ける帝都においても、定期的に供給しなければならない魔力は馬鹿にならないし、そもそもその妖精はどこから連れてきたのか。

 屋敷の周囲には結界が展開されているから力の弱い妖精に侵入など不可能だし、仮に侵入された場合は私が気づかないはずがない。

 そもそもあれほど目立つ妖精だ。

 正門から入ってきたそれを、警備兵が見逃すということも考えにくい。


(まさか……小娘の魔力から生まれたとでも?)


 妖精の誕生について詳細はいまだ解明されていないが、魔力の多いところで生まれると言われている。

 100人からの魔術師見習いが集まる宿舎でなら、妖精が生まれるということもあり得るのだろうか。


(いや、そんなに簡単に生まれるものなら今頃宮廷は妖精だらけだ)


 原因は気になるが、今は置いておこう。

 重要なのは妖精の来歴ではなく能力だ。

 見た目から火妖精だということは明らかだが、自ら炎を操るタイプか、それとも小娘が使う<火魔法>を強化するタイプか。


「もう手加減はできません、行きますよ!」


 呼吸を整えたヴィルマが風を纏って空を滑る。

 初撃の影響か、その動きにはぎこちなさが混じっているが、十分な距離を取って上空から<風魔法>を撃ちおろす様子から、言葉どおりに彼女の本気が感じ取れる。

 小娘を中心にバラまかれた魔術は地面に接触すると同時に暴風を巻き起こすが、小娘も自らを中心に渦巻く炎を纏い、それらの威力を相殺した。


 暴風を防いだ小娘は、お返しとばかりに火球を空に打ち上げる。

 ヴィルマは持ち前のスピードを生かして小娘の火球を寄せ付けず、接近を許したいくつかの火球が爆ぜて炎をまき散らしても、風の障壁で炎を逸らして被弾を許さない。


(よし、この調子なら……!)


 ヴィルマの魔術が確実に小娘に防御を強いるのに対し、ヴィルマは大半の火球を回避して魔力の消耗を抑制している。

 小娘の魔力が膨大だとしても、この流れが続けば先に力尽きるのは小娘になるだろう。

 それを理解しているヴィルマは回避に重点を置いた戦い方を続けていた。

 空を支配する彼女を捉えるのは困難を極める。

 小娘の打ち上げる火球のほとんどはあさっての方向に飛んでいき、彼女にダメージを与えることは叶わない。


 このまま行けば小娘の敗北は必至。

 それは小娘も理解しているはずなのに。

 小娘はこの状態を崩そうともせず、愚直な攻防が目の前で繰り返される。


(諦めた……?いや、そんなわけがない)


 嫌な予感がする。


 小娘とヴィルマの接点は多くない。

 だが、ヴィルマとの戦いは小娘自身が望んだものなのだから、小娘は彼女の戦い方を事前に調べているだろう。

 ならばヴィルマが風を操り宙を舞うことくらいは知っていたはず。

 そして、小娘が何の対抗策もなく勝負を挑むことは考えにくい。

 小娘の狙いが分からず、私の視線は打ち上がる火球を追いかけ――――ソレを見つけて背筋が凍る。


「ヴィルマ!上だ!!」


 ヴィルマが私の声に反応して上を見上げるのと同時に、笑みを浮かべた小娘が勢いよく杖を振り下ろす。

 空を駆けるヴィルマのさらに上空。

 夕暮れ時の赤い空に漂うそれらは、小娘の杖の動きに合わせ、空を舞うヴィルマのさらに上空から降り注ぐ。

 空間を塗りつぶすように降り注ぐ火球に対し、ヴィルマは回避を諦めて足を止め、魔術防御を厚くする。


 直後、爆炎が空を焼き、轟音が届く。

 私は思わず腕で顔を庇った。


(なんという火力……。だが、ヴィルマなら耐えられる。小娘も、もう余裕はないはず……だ……)


 目を細めて小娘の様子をうかがう。

 そこには獲物が罠にかかったこと喜ぶような獰猛な笑顔で、勝利を確信する魔術師がいた。

 小娘が掲げた杖の先。

 いまだ爆炎が視界を遮っているが、そこには小娘が放った炎の雨に耐えるために足を止めたヴィルマがいるはずだ。


 私が声を上げるだけの時間もなかった。

 小娘の杖から放たれた白炎の奔流は、凄まじい衝撃波を伴って夕焼け空を貫いた。


 灼熱の大魔術がヴィルマを飲み込み、広場上空の結界すら破砕する。

 私はただ、それを呆然と見ていることしかできなかった。


「ヴィルマ……」


 私の一番弟子が――――栄えある帝国宮廷魔術師第八席が、自らが支配する空で撃墜され、墜ちていく。

 死力を振り絞って墜落だけは避けたが、その着地に普段の彼女の精細さはどこにもない。

 よろけて膝をつき、呼吸は荒い。

 顔を上げることもおぼつかないその様子は、彼女がすでに継戦能力を喪失したことを如実に表していた。

 それでも戦意が残っているのは、宮廷魔術師の矜持がそうさせるのか。


 ザッ、と土を踏みしめる音。


 小娘がヴィルマに杖を向けて立っていた。

 もう限界が近いはずだという私の見立てに反し、土埃で汚れているだけで疲労を感じさせない姿が、そこにはあった。


「そういえば、勝敗の決め方を聞いてなかったわ」


 無情にも、小娘は問う。


「私の勝ちよね、お師匠様?」


 杖はヴィルマに向いたままだが、彼女が立ち上がる様子はない。

 私の言葉が小娘の望むものでなかったら、小娘はヴィルマを殺すだろう。


「ああ……。お前の、勝ちだ」


 だから私は小娘に望む言葉をくれてやった。


 それを聞いた小娘は年齢相応の少女のように表情を緩め、両手を空に掲げて喜びをあらわにする。

 私はそれを尻目にすぐさまヴィルマに駆け寄り、彼女の状態を確かめた。

 ひどい火傷があるが、これなら火傷用の薬と<回復魔法>でなんとか完治するだろう。


「あは……。油断したつもりは、なかったんですけどね……」


 負けてしまいました。

 ぼそり、とつぶやく彼女に「よくやった、もう休め。」と声をかけると、彼女はついに意識を手放した。

 使用人を呼んでヴィルマの治療を指示すると、小娘の方に歩み寄り――――歩み寄ろうとして、その足を止めた。


「ふふっ、長かった……。けど、ようやく、望みが叶う」


 小娘の言葉に、思わず足がすくんだ。


 強力な魔術師とはいえ、たゆまぬ努力によって願いを叶えたひとりの少女でしかないはずなのに。

 その言葉と一緒に、得体のしれないナニカが体中に染み込んでいくようで――――宮廷魔術師第三席を拝命し、戦場で恐れられたこの私が恐怖した。


 私はこのとき、ついに、小娘に対して恐れを抱いたのだった。


(ああ、もしかしたら私は――――)


 自分の手に負えない化け物を育ててしまったのかもしれない。


 だが、後悔しても手遅れだ。

 覚悟はすでに決めているはずだ。

 そう自分を叱咤しても、心に染み込んだナニカは消えてくれない。


 浮ついた様子の小娘が我に返るまで、しばしの間、私はその場に立ち尽くした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る