第44話 閑話:とある少女の物語10
アレックス君と一緒に暮らすこと。
2年以上も押し込めてきた願いを、ようやく魔女にぶつけることができた。
「それは危険だという結論が出ていたはずだが?」
「2年前は、そうだったわね」
しばし、私と魔女は睨み合う。
魔女は優秀な魔術師を育て、配下に置くことを望んでいる。
私はあの子と一緒に、安全に暮らすことを望んでいる。
かつては魔女との絶対的な差――――私の力不足によって、叶わなかった私の望み。
けれど――――
「今は違う。今なら、私はあの子を守ることができる」
「ほお?ヒナの分際で大きく出たものだな」
「あなたが育てたヒナの力、味わってみる?」
当初の思惑に反して2年半もの期間、私はこの魔女の下で魔術を学び、力を蓄えた。
魔術講義でやってくる講師役を倒したことはないが、魔女だって私が彼女らを超える力を持っていることを理解しているはずだ。
それだけではない。
私という魔術師の価値は、あの頃とは桁違いに高くなっている。
たとえ魔女に劣るとしても、私という魔術師を欲しがる派閥も宮廷内に複数ある。
このときのために、魔女の目を盗んで少しずつ他派閥とも関係を構築してきたのだから、いざとなれば離反というカードをちらつかせることもできる。
もちろん、あの子のことを知っている魔女と敵対することは現実には大きな危険を伴う。
それでもその可能性が魔女の頭にちらつけば、お願いのハードルを幾分か引き下げることくらいは期待できる。
魔女も私も互いの望みの強さを理解している。
だからこそ、妥協ラインはあの子をここに呼び寄せること以外に存在しない。
もし、魔女がこれを拒否したら、そのときは――――
「こればかりは、引くつもりはないわ」
「…………」
私の言葉にも黙したまま、魔女は私を睨みつける。
宮廷魔術師第三席まで駆け上がった魔術師としての暴力と、政争渦巻く宮廷を泳ぎ続ける貴族としての権力を持つ彼女の視線は、たしかな圧力を伴って私に襲い掛かる。
それでも、退かない。
私は本気だと、使える手をすべて使う覚悟があると、視線で訴える。
睨み合い、どれくらいの時間が経っただろうか。
魔女は徐に口を開き、答えを告げる。
「いいだろう」
「ッ!本当!?」
「ただし、条件がある」
歓喜のあまり表情が緩む。
ついに、あと一歩で願いが叶うというところまでやってきた。
最後まで気を抜くことは許されないけれど、高揚する気持ちを抑えることは難しい。
「一体どんな条件かしら?」
この魔女のことだ。
無理難題を吹っかけてくることは間違いない。
固唾をのんで魔女の言葉を待つ私に、魔女が告げた条件は――――
「リリー。お前には、宮廷魔術師になってもらう」
宮廷魔術師。
この帝国に9人しかいない、この国の魔術師の頂点だ。
ときに敵兵を鏖殺し、ときに狂暴な魔獣を討伐し、帝国に敵対する者を恐怖させ、国家の威を示すことを目的とする存在。
魔女は、私にそうあれという。
しかし、私が宮廷魔術師になるためには解決すべき大きな問題があった。
「私、まだ宮廷魔術師団にも入ってないんだけど……」
宮廷魔術師の配下である宮廷魔術師団は、同時に宮廷魔術師の補欠組織でもある。
私だって宮廷魔術師団に所属しない者が一足飛びに宮廷魔術師になれないことくらいは知っている。
「宮廷魔術師になるためには、宮廷魔術師団に所属する必要がある。そして、宮廷魔術師団に所属する魔術師は、いつでも好きな宮廷魔術師に喧嘩を売り、自らの魔術を以てその席を奪うことができる。とはいえ、今は宮廷魔術師第十席が空いているから、場合によっては宮廷魔術師と戦わずとも宮廷魔術師になることが可能だろう」
「場合によっては?」
「我こそ宮廷魔術師に相応しいと名乗りをあげた魔術師がいて、その者が力不足である場合、宮廷魔術師と宮廷魔術師団員は異を唱えることが許されている。異議を唱えた者が宮廷魔術師団の者である場合は、その者を候補者が打ち破れば、自身が宮廷魔術師となることができる。一方、宮廷魔術師が異議を唱えた場合は――――宮廷魔術師と戦い、勝利することが必要となる」
それを聞いて、私は眉をひそめる。
私は宮廷において、この魔女の配下として名を知られている。
魔女と敵対する派閥の者が、私が宮廷魔術師になることを良しとするわけもなく、そして魔女の敵には宮廷魔術師も含まれる。
つまり――――
「私はあなたと敵対する宮廷魔術師を倒さなければ条件を満たせない、ということかしら」
流石にこれは条件として釣り合うのだろうか。
魔女の敵対派閥には、魔女よりも上位の宮廷魔術師もいたはずだ。
それは、この魔女より強くないと宮廷魔術師になれないということにならないか。
あまりにも悪辣な条件に、私は魔女を非難するような視線を向けた。
すると魔女は心外だと言わんばかりに私を見返して、説明を続ける。
「勘違いするな。異を唱えた者が宮廷魔術師団に所属する者の場合はその者を倒さねばならないが、宮廷魔術師の場合は異議を唱えた本人ではない別の宮廷魔術師を倒せば良いという決まりだ」
宮廷魔術師同士が敵対して宮廷魔術師の補充が困難になることを防ぐための措置だ、と魔女が説明を付け加えた。
「つまり、上位の宮廷魔術師がケチをつけてきても、下位の宮廷魔術師を倒せばお前は宮廷魔術師になることができる。幸い、現任で最も弱い第九席は敵対派閥だ。だからお前は、第九席より強いことを示しさえすればいい」
「なるほどね。あまりに良心的な条件に涙がでそうよ」
「そうかそうか。優しいお師匠様に感謝するといい」
いつものような皮肉と軽口の応酬。
少なくとも魔女はそう思っている。
でも、私は違う。
今回ばかりは、本心から魔女に感謝しているのだから。
「ええ、本当に感謝しているわ」
「…………なに?」
きっと私が悔しがると思っていたのだろう。
予想と違う私の反応に、魔女が訝しげな声をあげる。
でも、もう遅い。
すでに言質はとっている。
「そんな顔をしてどうしたの?お師匠様がおっしゃるとおり、慈悲深いお師匠様に感謝を捧げているのよ」
わざとらしく胸の前で手を合わせ、指を絡めて祈るような仕草をしてみせる。
「お前が第九席に勝つことができる、と言っているように聞こえるな」
「そう聞こえたなら、そうなんじゃないかしら」
「……本気か?」
「もちろん」
即答する私に対して、魔女は舌打ちすると苛立ちを露わにして立ち上がる。
「残念だ。どうやらヒナたちに囲まれたぬるま湯のような環境は、貴様に力量以上の自信をつけさせてしまったらしい」
椅子にかけていた魔術師としてのローブを羽織り、ポーチ型の収納用魔道具から杖を引き抜くと、魔女は執務室の出口に向かいながら私に言い放った。
「演習用広場に来い。その伸びきった鼻をへし折ってやる!」
「嫌よ?」
「……なんだと?」
魔女は自然に誘導しようとしたけれど、その手には引っかからない。
「宮廷魔術師になればあの子をここに呼び寄せていい。あなたはそう言ったはずよ?あなたに勝つことは条件に含まれていないわ」
「いい加減にしろっ!」
魔女は怒りの形相で、拳を扉に叩きつける。
凄まじい音と衝撃が部屋中に伝わり、棚のひとつから美術品の壺が床に落下して砕け散ったが、魔女はそんなことは気にも留めず、ただ私を睨みつける。
「貴様を宮廷魔術師にするために、私がどれだけ苦労したと思っている!お前は私の努力を無にしようというのか!私の望みを、砕こうというのか!!」
今すぐこの場所で魔術をぶっ放しかねないほどに激昂した魔女。
これほどの感情を見せる魔女は初めてで、私は気圧されそうになるのを必死に耐える。
しかし、執務室の扉の前から一歩、また一歩と幽鬼のような足取りでこちらに近づく魔女の狂気にあてられて、思わず後ずさってしまう。
(正直ここまで怒るのは予想外。どうすれば……)
豹変した魔女への対応に苦慮する私に向かって、魔女はゆっくりと近づき――――私まであと数歩というところでぴたり立ち止まった。
鬼気迫る表情から一転、にこやかな表情を浮かべた魔女に、私の感覚は最大級の警鐘を鳴らす。
「そうだ、ならばあの少年を殺そう」
「ッ!!」
腰に差した杖を抜き放ち、魔女に向ける。
それは――――それだけは許さない。
「お前が宮廷魔術師への志願を強行するというのなら、私はあの少年を殺す」
「言ってることが無茶苦茶ね!宮廷魔術師になることが条件と言ったこと、もう忘れたのかしら!」
「忘れてなどいない。ただ、困るのだよ。貴様は私のとっておきなのだから、第九席ごときに敗北することは許されない。それだけのことだ」
なるほど、理解した。
魔女は私の邪魔をしたいわけではない。
ただ、今の私では宮廷魔術師第九席に勝てないと思っているから、今はまだ挑ませたくない。
そういうことなのだろう。
ならば――――
「なら、力を示せばいいのね?」
「なに?」
「私が宮廷魔術師になれるだけの力があると、あなたに理解してもらえばいいんでしょ?」
「まだ言うか!」
再び表情に怒りが混じる。
しかし、魔女が再び激昂する前に、私はひとつの提案をした。
「宮廷魔術師第八席、ヴィルマ・アーベライン。第八席ということは、第九席よりも強いんでしょ?あなたではなく、彼女となら戦ってもいいわ」
「ッ!……いいだろう!その増長を十分に後悔するといい!!」
吐き捨てて部屋を出る魔女の後ろ姿を見送り、私は安堵の溜息を吐いた。
「あの……、今からでも遅くないですから、ごめんなさいをしませんか?師匠、すっごく怒ってますよ?」
空が赤く染まる頃、第八席が魔女の屋敷を訪れた。
同じ宮廷魔術師であるにもかかわらず、その関係からか席次の格差からか問答無用で呼びつけられたらしい彼女は、魔女の話を聞いて激怒するかと思いきや、意外にも私を心配してくれていた。
私の『第八席になら勝てる』ともとれる発言は魔女から伝わっているはずだけど、それを聞いてもなお私を心配しているというのなら本当にできた人間だといえる。
どこぞの魔女様とは大違いだ。
(ああ、そっか。私は、この人にとって妹弟子になるんだ……)
もしかしたら同じ魔女に育てられた経験を踏まえて、私の気持ちを理解してくれているのかもしれない。
そう考えると、こんなことに付き合わせてしまって本当に申し訳なく思う。
せめて感謝を言葉と態度で示すべきだと考えた私は、スカートの代わりにローブの裾をつまんで丁寧なカーテシーを披露する。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、アーベライン様。お師匠様に、私の宮廷魔術師への挑戦をお許しいただくため、どうか胸を貸してくださいませ」
「ああ……。なるほど、わかりました。そういうことでしたらお相手いたしましょう」
得心がいったという様子で頷く第八席。
「でも、師匠の手前、手を抜くわけにはいきませんよ」
「もちろんです。私も全力で参ります!」
苦々しげな魔女と妹弟子の成長を喜ぶ第八席のあとに続いて、魔術演習用の広場にやってきた。
暑苦しい季節でも、今は夕方で風もあるから幾分過ごしやすい。
幾度となく訪れ、慣れ親しんだ広場。
にもかかわらず、風景が輝いて見えるのは私の心情が多分に影響しているからなのだろう。
(やっと、私の願いが叶う)
空に手を伸ばしても雲をつかむことなどできはしない。
それでも私は空に手を伸ばし、その拳を握りこんだ。
「ずいぶんと楽しそうだな。雲を掴めると本気で信じられるのは、愚者の特権だ」
魔女が放つ棘のある言葉も、私の心を揺さぶることはできない。
すでに舞台は整った。
あとは幕を上げ、そして下ろすだけ。
「ヴィルマ!手加減を禁ずる。ボロ雑巾のようにして、身の程を思い知らせてやれ!」
「まったく、乱暴なんですから……。リリーさん、先手は譲りますが、もうだめだと思ったときは降参してくださいね?」
「ありがとうございます。アーベライン様」
互いに20メートルほど離れた場所に立って向かい合うと、初めてこの場所に立った日、あの魔女を相手にしたときのことを思い出す。
あのとき私の心の中に生まれた黒い感情は、今でも私の心に巣食っていた。
私は瞑目して胸に手を当て、あの日の悔しさ、屈辱、そして絶望感をすくい上げる。
私の魔術の糧となった負の感情。
これらの感情はここから先、私の行く道には必要ないものだ。
(だから……)
この気持ちはここに置いて行こう。
魔術師見習いが魔術師になるための薪として、今ここで、全て焼き尽くそう。
「では、始めろ!」
ゆっくりと目を開けた私は、徐に杖を正面に向ける。
大きく息を吸い、その名を呼んだ。
「おいで、フィーア!!」
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