第43話 閑話:とある少女の物語9




「リリー姉さま!おはようございます!」

「おはようございます、リリーさん」

「おはよう、みんな」


 いつもと変わらぬ朝。

 身支度を済ませて食堂へ向かうと、レオナやニーナ、それと宿舎の子たちが思い思いに朝の挨拶を口にする。

 配膳口から提供される食事を受け取っていつもの席、レオナとニーナの間に座る。


「今日は、ジャム付きのヨーグルトね。おいしそう」

「リリー姉さま!よかったら、レオナのもどうぞ!」

「いらないってば。あんたも懲りないわね……」


 レオナがデザートを私に献上しようとするこのやり取りも、もはやお約束になっている。

 先に食べ始めていた少女たちに倣うように、私も軽く手を合わせてから朝食をいただいた。




 教養の講義のあとは昼休みを経て、魔術の講義を受ける。

 一日のスケジュールはあの頃から変わらないが、変わったことも少なくない。


 視覚的に変化がわかりやすいのは講義室の座席だろう。

 かつては4か所にまとまっていた集団は、今では数人ごとに思い思いの場所に陣取って自由に講義を受けている。


 私がブリギット派を処刑――この宿舎の中ではそう言われている――したあの日、慈悲深い魔女様はブリギット派に所属していた少女のうち、18歳の少女全員を追放した。

 もともと18歳を迎えた少女は、魔女が適当な時期に配下に加えるか追放――こちらは卒業とも言う――するか決めるらしいのだけど、あの時点で18歳であった少女たちは見込みなしと判断されたようだ。


 一方、残された少女たちの行動は二分された。

 ひとつは私に恭順すること。

 もうひとつはプライドを捨てきれずにここを去ること。

 中核を失ったブリギット派は、当然のように空中分解した。


 ブリギット派よりも一足先に協力を申し出ていたイゾルデ派も、その動きに合わせるように派閥を解散して私に対して恭順を示したことで、その日、名実ともに私がこの宿舎の支配者となった。


 といっても、それらしいことはほとんどしていない。

 最初こそ年少組の少女たちの憂さ晴らしを兼ねて年長の子に負担を押し付けることもしたけれど、頃合いを見て公平な当番制を導入した。

 当番には当然私も含まれているし、派閥がなくなった結果として以前のように勢力争いもなくなったから、魔術師見習いの少女の中で誰の影響力が強いかなんて表面的には見えなくなった。

 だから新しく宿舎に入ってきた子たちの中には、この場所にいくつもの派閥があったことを理解していない子もいるし、私はそれでいいと思っている。


 しかし、新しく入ってきた子の中に、まれに私のことをまるで化け物をみるような目で見る子が混ざっていることがある。

 おそらく誰かに当番を押し付けてさぼろうとした子なのだろう。

 そういった子に対してはおせっかいな誰かが、派閥を作ってこの宿舎を支配しようとした誰かさんの末路を語り聞かせているらしい。

 このくらいの年齢の子に対して言うことを聞かせるために恐怖心を煽るという手段は有効だ。

 つまり、私はなまはげ役をさせられているというわけだ。


 悪い子はいねがー、なんてね。


 けれど――――


 正直なところ、私は当時のリリー派と言われた少女たちも含め、宿舎の全員から化け物のようにみられることも覚悟していた。


 だって、そうでしょう。

 私の炎は十分に手加減してもなお、凄惨な光景を容易く創り出す。

 あの頃、自分の力を隠していた理由は、ただブリギットたちに手の内を知られたくなかったからだけではなかった。

 幼い頃に孤児院の子たちがそうだったように、うちの子たちに恐れられ、疎まれ、嫌悪されるかもしれない。

 そのことが、私にとっては怖かった。

 だって今まで私の魔法を知っても恐れなかった子は、たった一人だけだったんだから。


 もちろんそれが杞憂だったということは、うちの子たちの表情を見ればすぐにわかった。

 彼女たちの瞳は、まるで英雄か何かをみるように光り輝き、私を迎えてくれた。

 あのときは本当にうれしかった。

 思わず泣きそうになるくらいに。


「今日の講義は以上です」


 いつのまにか魔術講義が終わる時間になってしまった。

 今日は以前やったことの復習がメインだったから、ノートを取る必要もなくて助かった。


「リリー姉さま、何か良いことがあったんですか?」

「うん?どうしたの?」

「いえ、なんだかうれしそうな顔をしていたので」


 昔を振り返っているうちに、表情が緩んでしまっていたらしい。

 これは少し恥ずかしい。


「ま、もう少しで私の目標のひとつが叶いそうだからね」

「あー、そうでしたね!レオナは少し寂しいですが、応援してます!」


 かわいいことを言ってくれるレオナの頭をくしゃくしゃと撫でて表情のことをごまかしながら、この後のことを考える。

 嬉しさのあまり浮ついてしまうが、ここで詰めを誤るわけにはいかない。

 私は今日これから、あの魔女に対してとあるお願いをしなければならないのだから。


「さーて、ちょっと魔女様のところに行ってくるね」

「はい、いってらっしゃい!リリー姉さま!」


 私はそう言い残すと講義棟を飛び出して、魔女の邸宅に駆け出した。




 魔女邸宅の正面玄関をノックもなしに押し開き、会釈をくれる使用人たちに片手を挙げて応えると、魔女の執務室に向かって歩いていく。

 気分的には走っていきたいくらいだけど、流石に人の屋敷の中を駆けまわるのは非常識だ。


 そもそも、非常識というならノックなしで邸宅に押し入るのはいいのかとも思うけれど、これについては魔女本人から許されている。

 なんでも、魔女の邸宅を訪れる敵味方様々な人間に対して、約束もノックもない訪問を許すほど親密で優秀な配下がいることをアピールする、という狙いがあるらしい。


 この2年、魔女は積極的に私を宮廷に連れて行った結果、宮廷の貴族や魔術師たちに対してそれなりに顔が売れた。

 もちろん、ただ魔女のうしろをついて歩いていただけではない。

 稽古と称して他派閥の貴族を威圧するだとか。

 模擬戦と称してちょっかいをかけてきた魔術師に、格の違いを見せつけるだとか。

 しっかりと、仕事はこなしていたのだ。


「…………」


 私としても、思い返すとろくでもないことばかりしている自覚はある。

 それでも慈悲深く聡明な魔女様のご指示に従ってしっかりと求められたお仕事をこなした私には、相応の報酬を受け取る権利があると思うのだ。


 つまり、何が言いたいのかというと――――


「新作鑑賞会の時間よ!!」


 バァン、と音を立てて魔女の執務室の扉を押し開けると衝撃が壁際の棚に伝わり、飾られた壺がカタカタと音を立てて揺れる。

 もし倒れて床に落ちれば砕け散ってしまうであろうそれが、なんとか棚の上に踏みとどまったことを確認すると、私はこの部屋の主の姿を探して視線を彷徨わせる。


 もはや見慣れたと言ってもいい魔女の執務室。

 魔女自身は大して興味がないにもかかわらず、訪れる客に見くびられないためにと多くの美術品を屋敷中に飾っていて、この執務室も例外ではない。

 壺のほかには、壁に有名画家の絵画が掛けられ、執務机にも宝石を用いた美術品が置かれている。

 中でも執務机のそれは、青みがかった透き通る水晶のような宝石で魔女の家紋が立体的に表現されているもので、触っただけで欠けてしまいそうなほどに繊細だ。

 本来はガラスケースにでも入れて飾っておくべきものだと思うし、魔女にそう提案したこともあるけれど、どうも魔女はこれを身近に置いておきたいらしい。

 それを語るときの魔女の様子はいつもと違って優しげだったから、何か思い入れでもあるのかもしれない。


「いい加減ノックくらい覚えられないのか?」


 美術品を眺めながら思案にふけっていると、執務室に隣り合う魔女の私室の扉から、この部屋の主が現れた。

 外出用の服装ではなく、ところどころ薬品のシミが見られる作業用のローブを着ているところをみると、私室で魔術の研究でもしていたのだろう。


「ノックはいらないのでしょう?」

「あいにく今日は来客の予定がないのでね。上品にノックをしてくれても構わない」

「あいにく私は今日の来客の予定なんて聞いてないからね。上品なノックはまた今度してあげるわ」

「口の減らない奴だ」

「ほんと、誰に似たんでしょうね」


 これ見よがしに溜息を吐く魔女を意にも介さず、私はここに来た目的を全うするために魔女に要求する。


「さあ、早く今月の分を見せて!」

「わかった、わかった……」


 私は魔女から魔道具をひったくるように受け取ると、いつものようにあの子の姿を眺め始めた。




「アレックス君、もうすぐ12歳になるんだ……」


 映像をじっくり堪能した私はさりげなく、しかし魔女に聞こえるように呟いた。

 魔女は私が映像を楽しんでいる間に私室に戻って着替えを済ませ、今は執務机で筆を執っている。

 私は魔女の執務机の隅を借りて魔道具を使用していたから私と魔女の距離は1メートル程度。

 私の呟きが聞こえないはずはないのだけれど、魔女の反応はない。


 とはいえ、ここまでは予想どおり。

 この魔女が私の意を酌んで積極的に願い事を叶えてくれるはずもない。


 願いは口にしなければ聞き届けられない。

 望みは行動しなければ叶えられない。

 私はそのことをよく知っている。


 だから私は自らの経験に従って、魔女に自分の願いを告げることにした。


「ねえ、お師匠様――――」

「ダメだ」

「………………」


 まだ何も言っていない。

 お願いがあるということすら告げないうちにお断りされてしまった。


「……私、まだ何も言ってないんだけど」

「お前が『お師匠様』なんて気持ちの悪いことを言うんだ。そのあとに続く言葉がろくでもないものだということくらい、私だって学習するさ」

「言ってくれるじゃない」

「お前の『お師匠様』だからな。このくらいは当然だ」


 さっきのやり取りを根に持っていたのか、やり返されてしまった。

 思わず頬が引きつるが、私はこれからお願いをする立場なのだ、ということを思い出して、無理やり笑顔をつくる。


「ねえ、お師匠様。ひとつ、お願いがあるのだけど」

「今日はしつこいな。有名店の新作菓子が食べたいという願いならもう、叶えただろう?」

「ああ、うん。おいしかったわ、ありがとう――――じゃなくて」


 お菓子の話は、今はどうでもいい。

 これ以上ペースを乱されないように、深呼吸をひとつ。

 魔女と視線を合わせて軽口を封じ、私は自らの願いを口にした。


「彼を、ここに呼び寄せたいの」



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