第36話 閑話:とある少女の物語3




 物音ひとつしない静かな部屋に、時折本のページをめくる音が響く。


 私にあてがわれた小さな空間。

 最低限の家具や道具しか置かれていない、飾り気もない女の子らしくない部屋。

 けれど、この場所を早く出て行くという決意を込めて、私はなるべく物を増やさないようにしている。


 私が読んでいるのは魔術の教本だ。


 本を読むのは、やはり好きではない。

 眠気に耐えるのも大変だ。

 それでも私の目的のために本を読むことが必要なら、私はそれを怠るつもりはなかった。


 安楽椅子に揺られた膝の上、置かれた本のページに目を走らせながら右手を軽く差し出して<火魔法>を使う。

 幾度となく繰り返した魔法は、今日も私の意思を尊重して握りこぶし大の小さな火を発生させた。

 幼い頃から練習を重ねた結果、今の私は息を吸うように自然な感覚で火を生成することができるようになった。


 この小さな火球が、私にとって<火魔法>の全てだった。


(思えば、魔法を体系的に学ぶ機会なんて、ここに来るまでなかったもんね……)


 別に、私が特別不幸だったというわけではない。

 大半の魔法使いが“魔法を使える”という水準を超えられずに一生を終える。

 中には独学で戦力になる程度に魔法を使えるようになる者もいるだろうけれど、それでは才能を伸ばすことはできない。

 幸運にも魔法の師に出会うことができた一部の者だけが才能を開花させ、一流の魔術師になるチャンスを得ることができるのだ。


 極悪魔女に師事せずにあのまま孤児院にいたとしたら、きっと私は一流に届かなかっただろう。

 今ならば素直にそう思える。


「よし…………、ふっ!」


 手のひらの上に浮かぶ火球に神経を集中。

 火勢がより強くなるようにイメージしながら、さらに魔力を込めていく。

 この訓練を始めたばかりの頃は魔力が体の外に逃げるばかりで火球の様子に変化は見られなかった。

 教本とにらめっこしながら、ああでもないこうでもないと試行錯誤を続け、火球の様子に変化が見られたのは訓練開始から数日後のことだ。

 最初は『火の色』と聞いて多くの人が思い浮かべるだろう橙色と黄色を足して2で割ったような色が、徐々に黄色に近くなっていった。

 次に黄色が白を帯びるようになり、さらに黄色が抜けていく。


 そして今、この手にあるのは魔術講義で極悪魔女が見せたものと同じ白い炎。


 制御できるギリギリまで魔力を込め続け、これ以上は無理だと思ったところで少しずつ魔力を抜いていく。

 魔力操作を誤れば、こんな小さな部屋など一瞬で焼き払う勢いの炎だ。

 炎が消滅する最後の一瞬まで気を抜くことは許されない。


 もっとも、仮にこの炎が暴発して室内を蹂躙することになっても、私自身が炎に焼かれることはない。

 魔力を消費して魔法を軽減する術はすでに覚えたし、そもそも<火魔法>を使う私は<火魔法>に対する抵抗力が非常に高い。

 とはいえ、真っ黒こげになった部屋で、ボロ布を纏っただけの野性味あふれる姿をうちの子たちに見られたくはない。

 魔術の扱いをしくじったことを知られるのは、やっぱり恥ずかしいのだ。


「はー……、今日もダメだったか」


 炎の痕跡を完全に消し去ったあと、再び教本をめくりながら独り言ちる。

 極悪魔女が使う炎は再現できた。

 しかし、それだけで満足することはできない。

 極悪魔女は<火魔法>だけでなく、<氷魔法>や<土魔法>も使いこなしている。

 あれを倒すなら、私の唯一の魔法である<火魔法>が互角ではお話にならない。

 互いに高い魔法抵抗力を持つ<火魔法>が互角以下では有効打になり得ず、極悪魔女の<氷魔法>と<土魔法>に対する魔法抵抗力が低い私が一方的に弄られることになる。

 これでは極悪魔女を打倒することなど夢のまた夢だ。


(炎の色、最終的に青くなると思ったんだけど……)


 炎が青みを帯びる温度はどのくらいだったか。

 流石の極悪魔女も青い炎で焼かれれば無傷とはいかないはずだと思いはするけれど、私の炎は眩い白の輝きを放つばかりで、なかなか青みを帯びてはくれない。

 やはり、一朝一夕で習得できるものではなさそうだ。


「さて、気を取り直して。次は……」


 炎の温度を上げるだけが訓練ではない。

 やらなければならないことは山積みだった。






「リリー姉さま!」


 夕食後、一息ついた私が大浴場に向かおうと部屋を出たところで背中から元気な声がかかった。

 振り向くと、声の主は簡素ながらも上品な白い部屋着に身を包み、両手にタオルと下着を抱えたまま廊下を走ってくる。


「レオナもお風呂?」

「はい!よかったら私たちもご一緒させてください!」


 レオナの後ろには見覚えのある少女たちがぞろぞろと続く。

 遠慮がちな瞳たちが、恐るおそるといった風にこちらを窺っていた。


「もちろん、かまわないわ。みんなで入りましょう」


 たったこれだけのことでこの子たちが笑顔になれるのなら、お安い御用だ。

 嫌だ、なんて言ったら泣いてしまいそうだし。


 私は少女たちを引き連れ、私たちの部屋がある3階廊下から1階にある大浴場を目指した。

 途中、何人か年長の子たちとすれ違ったけれど、彼女らは皆ぎょっとしたような顔をして私たちを避けていく。

 きっと彼女たちの脳裏には、極悪魔女が引き起こした惨劇が焼き付いているに違いない。

 唯一、派閥の長であるブリギットとイゾルデがいる場合だけは面子の問題からか退けなくなるようで、ちょっとした嫌味の応酬があったりするのだけれど。

 幸い2人に出くわすこともなく大浴場にたどり着いた。


 脱衣室の一角で手早く衣服を脱ぎ、左右の髪留めと一緒に安っぽい籠に放り込む。

 脱いだ衣服の上に替えの下着と厚手のタオルを乗せ、薄い手拭を肩にかけると堂々と浴場の戸を開け放つ。

 公衆浴場を洋風にしてボロっちくしたような大浴場の中を見渡すと、今日もいい具合に空いているようだ。


「リリー姉さま、大胆です……!」

「ここは女しかいないんだから、恥ずかしがることないじゃない」


 私の後ろをついて来る子たちは十分な食料を与えられていなかったからか、貧相な体つきの子が多い。

 10~12歳という年齢を考えればまだまだ今後の成長が期待できるし、大きいとか小さいとか気に病むのは流石に少し早いと思うのだけれど。

 やはり年頃の少女としては、自分と周囲が少しでも違うと気になってしまうもの。


 周囲に視線を走らせるとふくらみかけならマシな方。

 半分くらいはペッタンコといったところだ。


 その唯一といってもいい例外が――――


(この子は育ってるなー……)


 体を洗いながら、私の隣で長い金髪を丁寧に洗うレオナを横目に見て思う。

 身長は私より少し低いし年齢もひとつ下のはずなのに、そこだけ私よりも育っているのは一体どういうことなのか。

 もしかして他の子たちが恥ずかしがっているのは、この子が比較対象になっているからではないのか。


(本当に綺麗な子……)


 顔立ちや体型が整っているというだけではなく、髪質や肌も他の子と一線を画している。

 孤児院暮らしが長いせいで傷み気味な自分の髪や肌と比べると、引け目を感じる気持ちもわかる。


「私も少しは手入れしないとダメかしら……」

「リリー姉さまは美人なんですから、丁寧にお手入れしないともったいないです!というか、私がやります!!ちょっと目をつぶっててください!」

「え?あ、ちょ……」


 紅い髪を手に取ってボソっと呟いた言葉をレオナに拾われてしまった。

 いつのまにか背後に回っていたレオナは慣れた手つきでシャンプーを泡立て、丁寧に私の髪に馴染ませていく。

 鼻歌まじりでご機嫌な様子に仕方ないと心の中で溜息を吐きつつ、少しの間されるがままになってみる。


「リリー姉さま…………ちなみに髪のお手入れってどうしてましたか?」

「ん、ほとんど何もしてないわね」

「ええ……」


 レオナからこぼれた呆れたような声。

 この子からこんな反応をされるのはこれが初めてだ。


「孤児が髪の手入れなんてする余裕あるわけないでしょう?」

「ええっ!?リリー姉さま、孤児だったんですか!?」


 レオナが素っ頓狂な声を上げ、周囲の子たちがざわめく。

 そういえば、生い立ちのことなんてこれまで話す機会がなかった。

 レオナはその様子や仕草を見ると十中八九良家のお嬢様だろうから、孤児なんてものは別世界の生き物のように感じるだろうか。


「そうよ。辺境都市の孤児院育ち…………がっかりした?」

「いえ、そんなことないです!!凛として、魔法も強くて……リリー姉さまが孤児だったなんて夢にも思わなかったので……」


 聞けば周りの子たちも「知らなかった。」とか「見えない。」とか、思い思いに驚きの言葉を口に出している。

 たしかに自分が思い浮かべる孤児像と自分を比べると、あまり合致する部分がない。

 その理由は孤児になる前の私の出自によるところが大きいのだろうけれど。


 私の髪を洗い終えたレオナは「流します。」と声をかけ、お湯で私の髪を洗い流した。

 孤児院に居た頃はこんなに大量のお湯を使うことはできなかったから、たったこれだけのことでも贅沢だと感じてしまう。

 すっかり貧乏が染みついてしまったようだ。


「ありがとう、レオナ」


 丁寧にタオルまで巻いてくれたレオナにお礼を言ってから浴槽に体を沈める。

 大人数が使うお湯だからあまりきれいとは言えないけれど、肩までお湯に沈めたときの快感は変わらない。


「リリー姉さま、私にリリー姉さまの髪を洗わせてください!」

「大声出さなくても聞こえてるわ。ていうか、今洗ったばかりじゃないの……」


 当然のように私の横に陣取るレオナがおかしなことを言う。

 まさか、1回洗うだけでも結構な手間なのに2回洗うと言うのだろうか。


「今日はもういいので明日と明後日、いえ、これから毎日です!」

「ええ……」


 どうしてそうなった。


「リリー姉さまがお手入れしないなら、私がやります!」

「いや、自分の髪くらい自分でやるから」


 私はずっと前から髪を伸ばしたいと思っていた。

 だから機会に恵まれたことを理解してからは喜々として髪を伸ばし始めたのだけれど、長い髪の手入れは当然ながら相応の手間がかかってしまう。

 毎朝乱れた髪を梳かし、毎晩洗った髪を乾かすことだって楽ではない。

 ただでさえレオナが私の舎弟みたいになりつつある中、自分の髪まで洗わせるなんていくらなんでも甘えが過ぎる。


「あ、すみません、やっぱり迷惑でしたよね……」

「え?別にそういうわけじゃないけど……。でも、毎回レオナにやってもらうのも悪いから」

「そんなことありません!私がやりたいんです!」


 しょげた子犬のようになるレオナを慰めるように理由を話したら、待ってましたとばかりに食いつかれた。

 これまでのこの子を見ていると、これは多分引かないパターンだ。


「うーん……。そこまで言うなら、自分の負担にならない程度にね」

「はい、ありがとうございます!」


 どうして髪を洗ってもらう私がお礼を言われているのかわからないけれど、レオナは満足そうだからいいのかな。

 手入れは本当に面倒だしやり方もいまいちわからないから、正直助かる気持ちもある。


(この際だから、肌とかも気を付けてみようかな)


 極悪魔女に頼るのも癪だけれど美容用品くらいは調達できるはず。

 どうせ私は極悪魔女が満足するだけの成果とやらを出し続けなければならないのだから。






「リリー姉さま、おやすみなさい!」

「おやすみなさい」


 部屋の前でレオナたちと別れ、自室でひとり、魔術の練習に精を出す。

 魔術を練習する場所は人それぞれだけれど、私は必ず自分の部屋で練習することに決めていた。

 いずれ極悪魔女を打倒するために練習する魔術が、他人の目に触れることを避けるためだ。


 ちなみに他の子たちが魔術を練習するときは、極悪魔女の屋敷裏手にある魔術練習場を活用することが多い。

 魔術練習場は十分な広さで常に開放されている。

 宿舎からそう離れているわけではないから、夕方になると多くの子たちはそこで魔術を練習していた。


 その一方で――――


「うるさいなあ……」


 夜だというのに宿舎の外から聞こえてくる年長組の子たちの声や派手な魔法の音に、魔術の練習を中断して窓から外を見下ろしながらポツリと呟く。


 宿舎の正面もそれなりにひらけているから、そこで魔術の練習をすることもできる。

 宿舎にいる少女たちに自らの力量を見せつけるためか、わざわざここで派手な魔法を使う子も少なくないというのが現状だ。


「ほんと……。自分がどんな魔法を使えるかバラしちゃうなんて、馬鹿ばっかり」


 極悪魔女のような一部の例外を除き、魔法使いが使える魔法の系統はひとつに限られる。

 私も<火魔法>以外の魔法を使える兆候はなく、おそらくこれからもそうなのだろう。

 そして、それは宿舎の前で騒いでいる少女たちにしても同じことだ。


 それなのに、自分が使う魔法がどのようなものかまで披露してしまう子の感覚が、私には理解できない。

 対策を立てられないほど強力な魔術を使えるならともかく、広場で見る魔法の多くは魔術と呼べるかどうか微妙なラインのものばかりだ。


 そんな間抜けの集団の中に、ブリギットやイゾルデといった派閥の中核も混ざっているのだから呆れてしまう。

 最初の頃は自分の力量を低く見積もらせるための偽装工作かとも思ったのだけれど、なんとなく感じられる彼女らの保有魔力量から察するに、披露される魔術を大きく上回るような強力な魔術を彼女らが行使できるとは思えない。

 おそらく、あれで全力なのだ。


(この様子なら、私が極悪魔女への影響力を持つのは難しくなさそうね)


 宿舎の前で繰り広げられる魔術もどきで、極悪魔女が満足することはない。

 私自身が極悪魔女の要求ラインに到達しているかどうかはさておき、この宿舎で最も強力な魔術を使えるのが私であるなら、無下に扱われることもないはずだ。


「さて、休憩終わり」


 カーテンを閉め、いつもの場所に戻った私は魔術の練習を再開した。


 今は生成した火球をいくつまで白色にできるか試しているところ。

 深呼吸を繰り返して集中力を高めた私は、自分の周りに15個の火球を生成する。

 それらの温度をひとつずつ上げていき、4個までを白色にすることができた。

 5個目の火球に魔力を注いでいるところで、これ以上は制御が効かなくなると判断した私は火球を霧散させる。


 深く息を吐き、少し休んでからまだ同じことの繰り返し。


 最後の一回で、なんとか5個目の白炎を作ることに成功した。


「よし、今日はこの辺にしておこう」


 瞬時に10個程度の白炎を撃ち出せるくらいにはなっておきたいけれど、こればかりは地道にやるしかない。


(今の状態でも、宿舎前のおバカたちをまとめて焼き払うくらいの威力はあるかな)


 くだらないことを考えながら、私は自分の手を見つめた。


 私の魔術は、人を殺すことができるだけの威力を持っている。

 ここに来る前からそうだった。

 極悪魔女がこき下ろした以前の私の拙い魔法でさえ、人の命を奪うに足る威力があった。

 今の私なら一息で何人もの人間を殺すことだってできる。


 私の魔術は日々成長を続けている。

 今の私が目標にしている10個の白炎も遠からず現実のものになり、私の魔術はさらに洗練されていく。

 私が成長限界を迎えるのは、おそらくずっと先のことだろう。


 その頃、私の魔術はどれだけの――――


「…………やめやめ」


 そんなこと、考えたって仕方がない。

 今は彼の安全を確保すること――――つまり、極悪魔女が満足するだけの魔術を身につけることだけを考えていればいい。


 それでも、ふと思ってしまう。


 私を慕ってくれるレオナたちは、私の使う魔術が簡単に人を殺せるものだと実感したらどう思うか。

 きっと孤児院にいた多くの子たちのように私のことを恐れ、遠ざけるのだろう。


(それは、少しだけ寂しいかな)


 私が魔術を秘匿する理由のひとつには、あの子たちに嫌われたくないということもあるかもしれない。

 ベッドに潜って目を閉じながら、私はそんなことを思った。



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