第35話 閑話:とある少女の物語2
魔術師は魔法使いと呼ばれることを嫌う。
極悪魔女から最初に教わったことだ。
しかし、私の中で魔術師と魔法使いは同義であり、最初は何を言われているのか理解できなかった。
ただまあ、これについては聞いてみればそれもそうかと思える内容だった。
魔法使いとは魔法を使うことができるすべての人を指す言葉で、魔術師とは魔法を使うことを生業とする人の総称であるらしい。
つまり魔術師を魔法使いと呼ぶことは大学教授を物知りなおじさん呼ばわりしたり、有名なバイオリニストをバイオリンを弾くおばさん呼ばわりしたりするのと同じことなのだ。
自分の知識や技術に誇りを持っている人たちからすればいい気はしないことだろう。
それともうひとつ。
魔術と魔法は何が違うのか。
これはについては魔術師と魔法使いほど明確な定義はない。
敢えて言葉にするならば研究と訓練によって洗練され、効率的に使用される魔法のことを魔術というらしいけれど。
言葉にしてみてもあまりピンとこない話だった。
あの極悪魔女の魔術を目にした、その日までは。
◇ ◇ ◇
私がここに来た日の翌日。
極悪魔女が住まう邸宅や私たちが暮らす宿舎とは別に用意された講義棟の中。
およそ100人の少女たちが教養と魔術を学んでいた。
時間割は教養を学ぶ時間と魔術を学ぶ時間に明確に区切られており、魔術を学ぶのは昼食後から夕方までの限られた時間になるが、教養の授業に関しても得るものは多かったから私として特に不満はない。
魔術を学ぶ時間は全員が大部屋に集められる一方で教養を学ぶ時間は年少組と年長組に分けられているので、講義棟内の雰囲気はさながら中高一貫の女子校といったところ。
教養の講義は外部の教師を雇い、魔術の講義を担当するのは主に極悪魔女の配下の魔術師であるらしい。
最初はてっきり極悪魔女が魔術の講義を受け持つのだと思ったが、よくよく考えればあの魔女にも自分の仕事があるのだから私たちに多くの時間を割くことはできないのだろう。
そう思っていたのだけれど――――
「では、これより本日の講義を始める」
私が初めて受ける魔術の講義。
大部屋の教壇には極悪魔女の姿があった。
周囲が一瞬ざわついた様子からして、まわりの少女たちにとっても予想外の出来事なのだろう。
(聞いてた話と違うわね……。あっ!もしかして、アレの制裁に来たってこと?)
昨夜の食堂内での出来事に関して宿舎の管理者から注意を受けたりはしていないけれど、あれだけ騒ぎになったことが極悪魔女に伝わっていないとは考えにくい。
極悪魔女のことだ、調子に乗っている新人の鼻をへし折りに来たとしてもおかしくはない。
極悪魔女は、しかし私の予想に反して苦虫をかみ潰したような表情になっていたであろう私に意味深な笑みを向けただけで、すぐに講義を始めてしまった。
(あれ……?もしや極悪魔女まで伝わってない?宿舎の管理者が事態の発覚を嫌って報告しなかった?)
そうだとしたら宿舎の管理者には賞賛を送りたい。
心が折れかけている状態からなんとか一晩で気持ちを整理したとはいえ、ここでまた極悪魔女と対峙することになれば今度は立ち直れるかどうかわからない。
今日はなるべく目立たないように、おとなしくしていることにしよう。
そう思い、私は極悪魔女の講義に聞き入る。
もともと私は魔法を学ぶためにここに来たのだから、魔法をうまく使うために役に立つことであれば不真面目を気取る理由もない。
講義の内容は『魔術について』という漠然としたものであったが、ところどころに私の興味を惹くような情報が散りばめられていた。
特に魔法の使い方に関する部分は、私にとって正に目からウロコだった。
(そういえば、極悪魔女は私の魔法は何の工夫もない、なんて言ってたっけ……)
あのときはイラっとしたけど、この講義を聞けば確かにそういわれても仕方ないと思える。
私にとって魔法の訓練とは、ただひたすら<火魔法>を使うことだった。
試行錯誤の末、魔力量を増やすことと<火魔法>の習熟度を上げることを両立するために、これが最も効率的な方法だと考えていた。
実際、それだけで私の魔力量は増えて行ったし、火球が当たったときに巻き上がる炎も強くなった。
だから、その方法で良いと考えてしまっていた。
それ以外では<火魔法>によって生み出した火球を思ったとおりに動かすための練習をするくらいで、火球それ自体をどうこうしようとは考えていなかったのだ。
今、極悪魔女の周囲には多くの火が浮いている。
しかし、それらは私が浮かばせる火とは全く異なるものだった。
圧縮して小さくなったもの、細長く槍のようになったもの、形は普通でも色が白いもの。
なんの変哲もない火球を極悪魔女が作り変えたものだ。
おそらく、どの火も私が<火魔法>を使うときと大差ない魔力で生成されている。
にもかかわらず、それを放ったときの威力は私が使う火球とは比較にならないと直感でわかる。
圧縮した火球は着弾したときにより広範囲に炎をまき散らすだろうし、細長く槍のようになったものは薄い壁なら貫通しそうだ。
白い火球は普通のものより高熱を放っているように感じる。
(これが魔術か……。なるほどね)
極悪魔女のように火を扱うためには、やはり練習を続けるしかないという。
地道な努力が必要だが、それでも私は少しワクワクしてきた。
今まで力を入れてきた訓練に加えて火の質を変化させる魔術的訓練を取り入れれば、きっと私は強い魔法使いになれる。
彼を守ることができるくらい、強い魔法使いに。
気づけば講義の終了時間を迎えていた。
やはり明日からは極悪魔女本人ではなく配下の魔術師が講師になるそうだけれど、今はそんなことはどうでもよかった。
極悪魔女が披露した魔術を自分のものにするだけでも相当な時間がかかるだろう。
今は、これだけに専念したい。
「ドレスデン様!!どうか、聞いてください!」
突然大声が上がった。
声をあげたのは教壇に近い場所にいる少女だ。
そんな部屋全体に響くような大声をあげなくても、極悪魔女には聞こえていると思うのだけど。
大声をあげた少女に視線を向けると、なぜかその少女と目が合った。
そして声をあげた少女の近くには見覚えがある少女もいる。
というか、あれは間違いなく昨日私の八つ当たりの対象になった少女だった。
今になって昨日のことを思い出す――――というか、極悪魔女の話に夢中になっているうちに昨日のことを忘れてしまっていた。
なんだか嫌な予感がする。
「昨日ここにやってきたあの赤い髪の子が、アドリーヌにひどいケガをさせたのです!今は<回復魔法>で治癒しましたが、全身にひどい火傷を負わされていました!こんなことが許されていいのでしょうか!?」
やっぱりそうくるか。
せっかく乗り切ったと思えばこれだ。
半分くらいは自業自得とはいえ泣きたくなる。
ちなみに残りの半分は、もちろんアドリーヌという名前の少女のせいだ。
私から食後のデザートを奪うなんていう所業、神様が許しても私が許さない。
その報いとして全身火傷が相応なのかという問題は、まあ、確かにあるのだけれど。
講義が終了した直後のことであったため、全員がその場に残っている。
少女たちは、その視線を行ったり来たりさせながらも誰も言葉を発しない。
少しの間をおいて、極悪魔女がにやりと笑った。
すごく嫌な予感がする。
「ふむ、確かに許されることではないな」
(知ってた。あんたならそう言うと思ったよ、うん……)
予想通りの反応を見せる極悪魔女に対して、私はこの場をどうやって乗り切るか思案を始めた。
極悪魔女をどうこうしようとするのは現実的ではない。
それは昨日のやり取りで十分理解している。
(それなら、あの告げ口女をどうにかしなきゃ。でも……)
ここには極悪魔女がいる。
弱みを握られた私が極悪魔女が支配する領域で、その意思に反する行動をとることは大きなリスクを伴う。
今、極悪魔女の庇護を失えば、孤児院にいる彼を守る手段がなくなってしまうのだから。
もう判決を待つ罪人になったような気分だ。
しかも、この裁判には法律も規則もない。
極悪魔女の気分で刑が決まる裁判なのだから、私にできることは祈ることくらいだ。
「そうでしょう!そこで提案があるのですが、罰として、皆の前で彼女の尻を打ち据えてやってはどうでしょうか?その上で今後の態度を改めると謝罪するなら、許してやってもいいと思うのです」
「なるほど。また原始的な話だが、それくらいの罰は必要かもしれないな」
そう言うと、極悪魔女はどこからともなく警棒のようなものを取り出して、ぺちぺちと両手で弄び始める。
(これだけの人数の前で、尻叩きかー……)
本当に泣きたくなってくる。
しかし、それでも耐えなければならない。
私が耐えている間は、彼の無事が約束されるのだから。
「私は小娘の尻叩きなど御免だ。だからお前がやるといい」
極悪魔女はよりによって告げ口女に警棒を手渡し、刑の執行人に指名する。
「ありがとうございます!その役目、しっかりと果たしてみせます!」
そう言って、嗜虐的な目をこちらへ向ける告げ口少女。
(もう、なるようになるしかないか)
そう思って、席を立とうとしたそのとき――――
「アドリーヌ、だったか?ここへ」
「えっ……?はい」
極悪魔女は、なぜかアドリーヌを教壇の近くに呼び寄せる。
告げ口少女もアドリーヌも不思議そうな顔をしていたが、それを意にも介さず極悪魔女は言葉を続ける。
「では、罰を執行せよ」
「ドレスデン様!?一体何を……!」
混乱し、再び大声をあげる告げ口少女。
彼女だけではない。
誰もが極悪魔女の言葉に困惑していた。
どういうことなのかと思って極悪魔女を見てみれば、彼女はもうこの上ないくらいに嗜虐的な表情でアドリーヌを見下ろしていた。
「どうしたのだ?私のもとで魔術を学んでいるにもかかわらず、昨日来たばかりの小娘にいいようにあしらわれた恥晒しの尻を叩いて反省を促すのだろう?」
うわあ、という声を何とか飲み込む。
さも当然といった風にアドリーヌへの罰を言い渡す極悪魔女。
告げ口女が誰に対して罰を与えようとしていたのか、極悪魔女が気づいていなかったなんてことはあり得ない。
こうなることを予想していて、誤解を正さずに利用したのだ。
年長の少女たちを中心に戦慄が広がる。
その様子を満足そうに見渡してから、極悪魔女は堂々と言い放った。
「勘違いしている者がいるようだから、改めて宣言しよう。私は、お前たちの自由を極力尊重したいと思っている。魔術の学習を阻害するようなことや、武器を使って相手を傷つけたり殺したりするようなことがなければ、大抵のことは許容するつもりだ。些細なことで、お前たちを咎めるつもりは一切ない」
武器を使って傷つけることは禁止している。
つまり、私は許されたということだ。
興が乗ったのか、極悪魔女は本当に楽しそうに話を続ける。
「不満があるなら自らの力で現状を変えれば良い。自分の満足いく現状を手に入れるために、力を手に入れれば良い。もちろん、力とは魔術だけではない。派閥も、交渉も、裏切りも、私が禁ずること以外のあらゆる手段が、お前たちには許されている。公正?平等?そんなもの、ここには存在しない。結果こそが唯一の指標であり、勝者が語る言葉こそが正義だ」
一体何が彼女を駆り立てるのだろうか。
極悪魔女がこうなった理由は私にはわからない。
しかし、こんな身も蓋もない教育方針を語ってくれる極悪魔女に反論できる者は、ここにはいない。
この場所では、彼女こそが法なのだから。
「さて――――」
これまでと一転してつまらなそうな表情を浮かべた極悪魔女は、警棒を持って震えている告げ口少女に対して吐き捨てるように言った。
「私は暇ではない。速やかに罰を執行せよ」
罰は執行され、極悪魔女は立ち去った。
教室には言葉を失って立ち尽くす多数の少女と、警棒を持ったまま放心する告げ口少女。
そして、下半身の衣服を脱がされ、腫れた尻を晒したまま泣き崩れる一人の少女が残された。
◇ ◇ ◇
「…………ふぁ」
魔術というものを知った日のことを思い返していたら、眠ってしまったらしい。
談話室の中、暖炉に近いソファーに腰掛けた私にいつのまにか毛布がかけられている。
「誰の毛布?」
「私のです!リリー姉さま!」
ソファーに寄り掛かるように座って本を読んでいたレオナが元気な声をあげる。
「そう。ありがと、レオナ」
「とんでもないです!」
レオナにお礼を言ってから立ち上がり、軽く背伸びをする。
これも必要だからと思って魔術の本を読みこんでいるが、やっぱり実践の方が私は好きだ。
というか、本を読むのが割と苦手だ。
興味があることだけはしっかり頭に入ってくるのに、興味があることにたどり着くまでの前置きが長すぎるのだ。
「そろそろ夕飯の時間ね。部屋によって荷物を置いたら、食堂に行きましょ」
「はい!」
レオナのほかにもぽつぽつと返事が聞こえる。
返事をしない子も、全員が持ち物を片付けて談話室をでる。
「今日の夕飯はなにかなー?甘いデザートがあるといいな」
「デザートがでたら、レオナのをリリー姉さまにあげます!」
「何言ってんの。甘いものはみんなで食べるからおいしいのよ?あんたから取り上げるようなマネはしないから、安心なさい」
「リリー姉さま……優しいです」
デザートを取り上げない私は優しいらしい。
涙を誘うような境遇が言葉の端々から察せられるのは相変わらずだ。
今後は私の近くにいれば、デザートを取られることもないだろうけれど。
そんな奴がいたら、魔術の実験台になってもらうしかない。
幸い極悪魔女のお墨付きも得られたことだし。
ちなみに、その日の夕飯にデザートはついていなかった。
まあ、毎日甘いデザートを食べてたら太るし、仕方ないよね。
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