第32話 閑話:とある教師の物語
私は都市の孤児院で暮らす孤児たちに簡単な読み書き、計算、そして常識を教えている。
いつか私が与えた知識が孤児たちの幸福の一助になることを願って、来る日も来る日も孤児たちに勉強を教え続けている。
給与は低く自身の暮らしも決して裕福なものとは言えないが、それでも私はこの仕事を辞めようとは思わない。
孤児の成長を間近で眺めることが私の幸せなのだ。
今まで数えきれないほどの孤児たちを育て、そして見送ってきた。
計算が上手なある男の子は商家に住み込みで雇われた。
料理が得意なある女の子はパン屋の夫婦に引き取られて看板娘として働くことになった。
―――先生のおかげで人並みの幸せを手に入れることができました。
―――先生のおかげで望んだ仕事に就くことができました。
彼らは時々ここを訪ね、私に感謝の言葉を述べる。
彼らが巣立った後も幸せに過ごしていることを実感できて、私も思わず笑顔になる。
私にとって本当に幸せな時間だ。
しかし、残念なことに全ての孤児たちが幸せになれるわけではない。
社会に馴染めずにスラムに堕ちた子もいた。
仕事を見つけられず、盗みを働いて都市を追われた子もいた。
そういった子たちが再び孤児院を訪れることはない。
きっと彼らの多くはすでに死んでしまっているのだろう。
彼らの話を噂で聞くと、もっとしてあげられることがあったのではないかと心が痛む。
それでも――――その結末が彼ら自身の行動や決断によってもたらされるものなら、きっと彼らはまだ幸せなのだ。
私の心を最も痛めるのは自由を得ることができず、望んだ未来に挑むこともなく人生を他者に弄ばれる孤児の存在だ。
孤児院の冷たい石壁に背中を預け、窓から外を窺う。
この日、2人の少年が自由を奪われた。
1人は残念なことに取り立てて取り柄のない少年。
そしてもう1人は聡明で将来を有望視されていた少年だ。
正反対の2人。
しかし、その2人はこれから同じ運命を強制されることになる。
今日の男たちが戦争都市からの使いであることを考えれば、2人が連れて行かれる場所は日々命の奪い合いが行われる厳しい戦場。
成人していない幼い少年たちが生きていくには、あまりに残酷な世界。
そんなことは私も、そして孤児院の者たちもわかっていて――――それでも私たちは彼らを死地に追いやるのだ。
世界はいつも孤児たちに過酷な現実を突きつける。
孤児院に暮らす孤児が慎ましい暮らしを営む、ただそれだけのお金がここにはない。
不定期に行われる領主や貴族からの支援.
一部の裕福な家や孤児を引き取ってくださった家から幾ばくかの寄付。
孤児たちを農家の手伝いに出して分けてもらう食料。
それでもなお、全く足りないのだ。
特に、大口の寄付をしてくれていたある大貴族からの寄付が数か月前から途絶えたことは、孤児院の経営状況を急激に悪化させた。
不自由ない暮らしをしていても孤児たちのために私財を寄付してくれる人は多くない。
誰とも知れない子どもに与えるくらいなら、人は自分がより豊かな暮らしをすることを望む。
だから私たちは孤児たちの幸福を願うその一方で、孤児たちを奴隷商に差し出さなければならない。
すべては、孤児院に残された多くの孤児の平穏のために。
「……なんてね」
孤児も大人も寝静まる夜。
私が緩む頬を抑える理由はどこにもありません。
私を淑やかで慈悲深いと評する都市の住人たちが私の内心を知ることがあったら、一体彼らはどんな表情をするでしょうか。
呆けて言葉を失うか、自分の目が節穴であることを棚に上げて声高に私を非難するか。
人間とは自分の信じたいものだけを信じる生き物ですから、あるいは私が被った仮面こそ本物だと主張するかもしれません。
まあ、そんなことはどうでもいいのです。
彼らが私の内心を知ることなど未来永劫ありはしないのですから。
今は、私たちのために犠牲になってくれた彼のことを考えましょう。
思えば、彼は本当に不思議な少年でした。
幼い頃から学問に興味を持って熱心に私の授業を聞いたり、子どもには難しい社会情勢の話をしつこくせがんだり、かと思えばお世辞にも真っ当な職とは言えない冒険者を志して剣の練習をしていたり。
あれだけの才能を持ちながら、ほかの孤児たちにその能力をひけらかすようなことをしないということも彼の異常性を際立たせます。
私からすれば彼はどちらかというと商人や役人として大成しそうな人間に思えますが、もし彼が自らの望みどおり冒険者になったとしても、きっとある程度の成功を収めることができたでしょう。
けれど、仮に私の予想が外れたとしても。
彼がどの分野においても成功できなかったとしても何の問題もないのです。
なぜなら、彼にはあの少女がいるのですから。
彼の傍らで幼少期を過ごし、2年ほど前に帝都へと旅立った魔法使いの少女。
彼女の状況がこちらに伝わってくることはありませんが、つい数か月前まで続いていた潤沢な支援金の出所を考えれば、彼女が師事する魔術師にどのくらい気に入られているか容易に想像できるというものです。
旅だったときは11歳だった彼女もあと数か月で15歳になり、成人を迎えます。
彼女ならば、きっと彼を手元に呼び寄せようとするでしょう。
だから彼が幸せになることは予定調和だとすら言えるのです。
彼女は彼に何の才能がなかったとしても、彼を突き放したりはしないでしょうから。
嗚呼。
そんな幸運を運命づけられたとすら言える少年を、私は言葉ひとつで絶望に突き落とすことができる。
この多幸感は何度味わってもやめられません。
才能のある将来有望な孤児たちの未来を握りつぶすことができる。
まるで自分が神になったと錯覚してしまうほどの全能感を得ることができます。
この幸せに比べれば、日々の暮らしが慎ましいか豊かであるかなど些細なこと。
今回の寄附もそのほとんどは院長の懐に入ることになるでしょうが、私は十分幸せですからそのことに文句を言うことはいたしません。
私は神になった気分を味わうことができて幸せ。
孤児たちは生活が少しだけ豊かになって幸せ。
院長は懐が温まって幸せ。
ほら、誰も損はしていないでしょう。
実のところ、今日の取引で彼を引き渡すつもりはありませんでした。
院長は折を見て高値で売るつもりだったようで少し残念だと言っていましたが、それでも少なくない額の寄附を得られたことは顔を見ればわかります。
今日、彼を引き渡した理由は、状況を理解した彼が冒険者として成功してしまうと困るから。
この私が神になれなくなってしまうから。
ただそれだけのことなのです。
ああ、元孤児でありながら遥か高みに上り詰めた彼女への、ちょっとした意趣返しも含まれているかもしれませんね。
彼を手に入れることができないと知った彼女がどんな顔をするか、今から楽しみです。
さて、少し夜更かしをしてしましました。
そろそろベッドに戻りましょう。
明日もまた、愚かでかわいい孤児たちを世話する日常が待っています。
だって私は、淑やかで慈悲深いアマーリエ先生なのですから。
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