第29話 絶望と希望




 遠く聞こえる喧噪。

 全身に広がる疲労。

 漠然とした明日への不安。

 住処の問題は一応の解決をみたが、屋敷へ向かう足取りは軽いとはいえない。


 それでも止まるわけにはいかなかった。


 止まってしまったら、もう動けない気がした。






 ほどなくして、仲介屋の丸い店主から譲り受けた屋敷にたどり着いた。

 周囲の家の大半が小さな木造平屋であるため、レンガ造りの二階建ては非常に目立っている。

 屋敷の正面には広い庭までついており、屋敷の規模だけなら北西区域の高級住宅街にも見劣りしない。

 しかし、屋敷の一階部分の外壁は蔦のような植物に覆われており、その有様がひときわ廃れた印象を与えていた。


「今の俺にはお似合いだな……」


 そんな自嘲とともに鍵を回して正面玄関の両開きの扉を開け放つと、予想外に広い空間が俺を迎えた。


「へえ……」


 窓からわずかに差し込む光を頼りに中を観察すると、そこはエントランスホールだった。

 玄関からみて左右にドアが並ぶ。

 正面の階段は踊り場で左右に分かれており、2階にも同じ並びでドアがみえる。

 お似合いだという言葉は撤回しなければならない。

 中を見てみれば、俺には不釣り合いな立派な屋敷だった。


 灯りの場所もわからないがとりあえず部屋の確認をしようと、なんとなく左側手前のドアを開けようとして――――ふと違和感を覚える。


(ホコリがたまってない……?)


 この家に住人が住んでいたのはしばらく前のことで、手入れは最低限。

 仲介屋の店主はたしかにそう言ったはずだ。


 しかし、ドアノブにホコリはたまっておらず、十分に手入れがされているようにみえる。

 それはまるで、毎日誰かが磨いているかのように。


 緊張が高まり、自然と右手が剣の柄にのびる。


(賊か、浮浪者あたりが侵入したか?)


 流石に死霊はないと思ったが、よく考えると魔法だの妖魔だのが存在する世界だ。

 絶対にないとは言い切れなかった。


 警戒しながら、勢いよくドアを押し開く。


 すぐに中には入らずロビーの壁際に背を預けて部屋の中の様子を伺う。

 少し待っても室内で何者かが動く気配はない。


 慎重に部屋に踏み込むと、そこは食堂だった。


 向かって右手には10人が座れる長い木製のテーブルと椅子。

 左手にはまた別に革張りのソファーと高そうな石材のテーブルを組み合わせた応接セット。


 そして応接セットに目をやったとき、先ほど感じた違和感の正体が判明した。


「これは……。家妖精か?」


 ソファーのひとつに腰かけて目蓋を閉じている。

 いつかの廃墟で出会った家妖精と似たような雰囲気で、しかし存在感はあのときの妖精よりも稀薄に感じられる。


 そっと近づいてみたが微動だにしない。

 いや、動く力も残っていないのかもしれなかった。


「ツイてるな……」




――――家妖精はな、比較的安全に狩れるわりに魔石はなかなかいい値で売れるんだ。


――――家妖精ってのは放っておいてもきえちまうんだよ。


――――だったら最後に俺たちの役に立ったほうが、家妖精だって幸せだろう?




 誰かの言葉が頭を過ぎった。

 格安で住処を確保できたからエドウィンからの報酬は大半がまだ残っているが、今後のことを考えれば金があるに越したことはない。


「次があるなら、魔力が満ちたところに生まれるといいな」


 その妖精を終わらせるために、俺は剣を振り上げて――――


「ッ!?誰だ!!」


 その瞬間、目の端にちらりと映った何かに剣を向けた。

 しかし、視線を方々に動かして気配を探っても、動くものは見当たらない。


(今、確かになにか……)


 油断したところに再度訪れた緊張。

 手に汗がにじむ。

 今後はゆっくりと周囲を確認したが、やはり何者の気配も感じられない。


 警戒を続けながら窓の方に移動してカーテンを引き、光源を確保する。


 もう一度影があったはずの方向を振り向くと、そこには――――


「なんだ、鏡かよ……」


 暗かったせいで見落としてしまったが、そこには全身が映る大きさの一枚の鏡があった。

 きっと窓から差すわずかな明かりが剣か何かに反射して鏡に映ったのだろう。

 自分の臆病さに笑いがこみあげてくる。


 なんと無しに鏡の正面に立ってみる。

 縦に長い鏡は、俺の全身をはっきりと映し出した。


「ふふ……、ははは……」


 鏡に映る自分の姿をじっと眺める。

 冒険者用の装備は身に着けたままだが、十分な手入れができておらずにそこかしこにキズがみられた。

 衣服も最後に新調したのはいつのことか、端々がほつれていて孤児の頃に着ていた服の方がまだ上等に見えるかもしれない。


「ははははは……、あはは…………、う…ぁ……」


 黒髪は伸びるに任せてボサボサで、疑り深くなった性格を反映したのか目つきもずいぶん険しくなってしまった。

 改めて客観的に自分の姿を見てみると、仲介屋もよくこんな男を客として認めてくれたものだ。


 鏡に映る、いかにも底辺冒険者という風体の目つきの悪い男。


「ぅあ……、ぁああぁあああ…、っぁああああああ!!」


 その男の瞳から、気づけば大粒の涙が流れていた。


「誰だよお前……。この、情けないツラさげたクズは、誰なんだよ……」


 幼いころに描いた将来の自分の姿と、実際に冒険者になった自分の姿。

 その差はもう埋めようもないほどに広がっていた。


 わかっていた。

 それでも、認めたくはなかった。


「なんでだよ……ッ!なんで……ッ!こうなっちまったんだよ!」


 だが、これまでだ。

 もう俺は自分を騙すことすらできない。


 鏡に映る、はした金のために小さな命を奪おうとする俺自身の醜い姿に――――


「おまえぇ!英雄になるんじゃなかったのかよおおおおぉ!!!」


 自分の中に残っていた強がりの欠片さえ、粉々に砕かれた。





 ◇ ◇ ◇





 俺はどこで間違えたのだろうか。

 冒険者になることを決めた後は、それに向けて十分に努力してきたはずだった。


(大切なものを守れるようになるって……。誰かを守れるような人間になるって、決めたはずなのになあ……)


 幼いころから魔力を高め、保有スキルを知ってからはその使い方も研究し、体が大きくなってからは身体能力を向上させる鍛錬も怠らなかった。


(いや、そういうことじゃない……。本当はわかってるんだ)


 俺は、またしても逃げ出してしまったのだ。


 辛い選択から。


 人を信じることから。


 そして、理想と現実の落差から。


 かつて犯した過ちを生まれ変わってもなお繰り返し、その結果がこのざまなのだ。


 無力な自分を認めることができていれば、どこかの街で冒険者として分相応にやっていくことができたのかもしれない。


 人を信じることができていれば――――切り札である<結界魔法>の存在を打ち明けることができていれば、オーバンだって裏切ることはなかったのかもしれない。


 辛い選択から逃げずに、リリーの結末を確かめようとしていれば――――


「リリーだって……、もしかしたら助けられたかもしれないんだ……」


 自分はまだ弱いから、奴隷商に追われるからと理由をつけて戦争都市へ行くことを拒み続けた結果、彼女が連れていかれてから長過ぎる年月が経過してしまった。

 俺がリリーの苦難を知らされたのは彼女が連れて行かれてから3年が経過した頃だ。

 その頃ですら絶望的だった可能性が、さらに時が流れた今でも残っているなんてどうして信じられようか。


 いい加減に認めなければならないのだ。

 記憶の中の少女が、もう生きてはいないということを。


 「もう、遅すぎる……」


 12歳の誕生日を迎えた朝。

 あのときその覚悟ができたなら、俺はまだ前を向いて進めたかもしれない。


 もうどうしようもない。

 今となっては、何もかもが手遅れだった。





 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 いつの間にか、俺は床に体を投げ出して天井を見上げていた。


 立ち上がる気力なんて残っていなかった。

 生きる意味さえ、もうわからないのだ。


(もう、いいか……)


 冷たい床に体温を奪われ、それと一緒に何か大切な、生きるために必要なものまで失っていくような気がした。

 少しずつ死に近づいていくような感覚に襲われても、それに抵抗しようと思えない。

 生きていても仕方ないのだから、死んでしまってもいいだろう。


(なんだか、本当に体から力が抜けていくような……ん?)


 指先に違和感を覚えて億劫ながらも上半身を起こすと、同時に萎縮する小さな影がみえた。

 それはソファーに座っていた家妖精だった。


「…………なんだ?」


 声に驚いたのか、さらに後ろに下がる――――下がろうとして、ソファーにぶつかる家妖精。

 自分の状態を探ってみると、少しだけ魔力が減っているような気がした。


「おまえ……魔力を?」


 今度は頭を抱えて丸くなってしまった。


「違う。別に怒ってるわけじゃない」


 そういえば妖精は魔力が満ちていない空間であっても、人間の魔力があれば生きていけるというようなことをダニエルも言っていただろうか。

 空腹で死にそうなところに美味しそうなごはんが現れたからつい、ということなのかもしれない。

 家妖精は恐る恐るこちらを見上げた。

 注意深く観察すれば、さっきよりも少しだけ存在感が増した気もする。


「なあ、おまえもしかして、俺の魔力があれば消えずに済むのか……?お前は助かるのか?」


 家妖精は何も言わない。

 そのかわり、小さくうなずいた。


「なら、いいぞ」


 そう言って手を差し出してみるが、家妖精はなかなかこちらに近づいてこない。

 それはそうだろう。

 さっきまで自分を殺そうとしていた相手を簡単に信じられるわけがない。

 俺が家妖精を殺そうとしたことを理解していなかったとしても、俺の様相が近づきがたいものであるということは俺自身が一番理解していた。


「ほら、大丈夫だ。何もしない。好きなだけやるから」


 仕方ないから、先ほどまでそうだったように仰向けに寝転がってみる。

 右手を家妖精の方に差し出し、左手で自分の目を隠すような姿勢をとる。


 しばらく待っていると、右手になにかが触れた。


 さっきよりも多く吸収しているからか、魔力が抜けていく感覚がはっきりと伝わってきた。

 左手の指の隙間から家妖精の様子をうかがう。

 家妖精もちらちらとこちらを窺う素振りを見せていたが、ようやく安心したのだろうか、しばらくすると魔力を吸収することに専念し始めた。


 魔力が抜けていく感覚に比例して、右手に触れる家妖精の小さな手の感触もしっかりしたものになっていく。

 しばらくそれを眺めていると、いつしか指の隙間から見える景色全体がにじんでいった。


(ああ……、俺は……。やっと、守ることができたんだ)


 竜にさらわれたお姫様ではない。


 盗賊に襲われた少女でもない。


 目指した将来には、ほど遠いけれど。


(俺はようやく、誰かを助けることができたんだ……)


 涙など流れるに任せて、俺はゆっくりと目を閉じた。


 幼馴染の少女を救うどころか、その結末を知ることすら拒んだ臆病者。

 奴隷商は殺したのに、家妖精は殺したくなかった半端者。

 外見も内心も荒んだ、近寄りがたいはみ出し者。


 俺自身も俺を取り巻く状況も、全くと言っていいほど変わっていない。


 けれど、たったひとつ、命を救うことができた。


 それだけで俺は、まだ前に進むことができる気がした。

 前に進んでもいいと言われている気がした。


 この小さな家妖精の命を救ったのは俺なのかもしれないけれど。


 このとき俺はたしかに、この小さな家妖精に心を救われた気がした。



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