第28話 故郷への帰還




 結局、俺は戻ってきた。

 一人でこの都市から逃げ出したあのとき、もう二度と見ることはないと思った生まれ故郷の景色が目の前に広がる。


 空が赤く染まる夕暮れ時、都市を南北に貫く幅40メートルほどもある大通りは、それぞれの目的地に向かう様々な装いの人々で溢れていた。


 探索から帰ってきて酒場に繰り出そうとする冒険者たち。

 家族が待っているのか、お菓子の包みを片手に家路へ急ぐ職人風の男。

 そんな彼らに声をかける若い女は、これからの時間忙しくなる酒場の給仕だろうか。


 誰もが、前を向いて歩いていた。


 まるで、俺だけが世界から取り残されているようだった。






 東の村を追い出された俺は、他の街でも居場所を見つけることはできなかった。

 二度の裏切りによって人を信じることがさらに難しくなり、試しにパーティに入ってもうまく馴染むことができず、居づらくなっては街を移動することを繰り返して次第に荒んでいった。

 パーティへの加入を諦めてソロで活動するようになってからは身を守るために威圧的に振舞うことが多くなり、それが原因で冒険者やチンピラとの喧嘩も絶えなかった。

 興味本位で買った安娼婦に有り金全部盗まれてしまい、金を奪い返すためにそいつが所属するグループのアジトを突き止めたときは、多数のチンピラ相手に大立ち回りを演じてアジトを焼いたことだってあった。


 季節は巡る。

 しかし、俺の置かれた環境は変わらなかった。


 街を移動するたびに戦争都市を目指すか迷ったが、結局俺が戦争都市に向かうことはなかった。

 移動を何度も繰り返したことで近辺にめぼしい行先もなくなってしまい、この都市に戻らざるを得なくなったというわけだ。


「たしかこのあたりに……。あれか」


 南通りに並ぶ商店のひとつ、貸家を仲介する店が俺の目的地だった。

 宿へ向かっていないのは懐事情に問題を抱えているからだ。

 東の村で貯めた僅かな金は放浪生活を続けるうちに底をつき、エドウィンから受け取った皮袋に入った報酬が俺の財産の全てになってしまったのだ。


 何の意味もない意地だと理解して、それでも俺はこの報酬だけは使うまいと思ってやってきたのだが――――これに手を付けないと今日の宿をとることもできない状態に陥ったことで、俺はとうとうプライドを投げ捨てることに決めた。


 しかし、この報酬を宿代につぎ込んでも、やはり近いうちに文無しになってしまう。

 ならば宿よりも維持費の安い賃貸物件を借りることで、少しでも経費の節約を図ろうと思ったのだ。


「お邪魔します」

「……いらっしゃい。どのような物件をお探しで?」


 丸々と太った店主は俺の姿を見て一瞬だけ迷惑そうな顔をするが、次の瞬間には愛想笑いを浮かべて俺に用件を尋ねた。

 一瞬浮かべた表情は閉店間際だからか、それとも俺が金を持っているように見えないからか。


(まあ、どっちでもいいか……)


 長居する気もない。

 さっさと用件を済ませてしまおう。


「家を借りたい。長屋でも構いませんが、場所は南西区域か北東区域を希望します」

「一般向けの住宅街ですね……。失礼ですが、予算と職業は?」

「冒険者をやっています。予算は物件次第ですね」


 最初から手札を明かすような真似はしない。

 これが前世ならば店側も風評を気にしてあくどいことはしないという考えのもと、早々に予算を明かすのもありかもしれない。

 ただ、市民階級の最底辺にぎりぎり引っかかっているだけの俺がそれをやってしまえば、足元を見られることは想像に難くなかった。


「冒険者ですか。等級はどれほどで?」

「D級です」

「ちなみに、保証人になってくれるような方はいらっしゃいますか?」

「いません」

「なるほど……少々お待ちください」


 少しの問答のあと、店主が手元の書類をパラパラとめくるような仕草をする。

 しかし、めくる書類に合わせて目線が動いていないところを見ると、彼が書類に目を通していないことは明らかだった。


「……すいませんね。お客さんに紹介できる物件は、現在空きがないようです。ご要望にお応えすることができずに申し訳ありません」


 さほど待つこともなく予想通りの返答が帰ってくる。

 こちらをバカにしたような振る舞いだが、店主の立場からすれば当然の対応だ。


 さして稼ぎもなさそうなD級冒険者が市民階級用の物件の賃料を継続的に支払うことができるとは思えない。

 予算を明かさなかった理由は明かせば門前払いされる程度の手持ちしかないから。


 おそらくそんなことを考えていたのだろう。


「そうですか、それは残念です。それなりの予算を用意してきたつもりでしたが、これでは足りませんでしたか」


 このタイミングで皮袋をテーブルに乗せる。

 皮袋のふくらみと中の硬貨が擦れ合う音に、店主の目の色が変わった。

 カモを見つけたという喜びと潤沢な予算を隠していたことに対する不満が見え隠れする。


 しかし、これだけでは最初から予算を明かすのと大差ない。

 だからここからが交渉のしどころだ。


「仕方ありません。向かいの店に相談することにします。夕刻に邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」

「なっ!ちょっと待ってください!」

「でも、俺に紹介できる物件はないのでしょう?」


 店主の表情が引きつった。

 この店主にとって、俺という客を逃すことにそこまで大きな後悔はないだろう。

 営む事業の性質上、店の広さこそこぢんまりとしているが、扱う物件の数は膨大であり、それは都市で一二を争うほどのものだ。

 テーブルに乗せた俺の全財産も、この店主からすればはした金でしかない。


 だから問題は、俺がこの後に向かいの店――――南通りを挟んで向かい側に位置するもうひとつの仲介屋に足を運ぶと言ったことにある。

 なぜならその向かいの仲介屋こそが、この店と日々熾烈な争いを繰り広げている都市で一二を争う同業者であるからだ。


 しかも、この両店主は昔から仲が悪い。

 それこそ仲の悪さが一孤児に過ぎなかった俺の耳に入るほどに険悪なのである。

 孤児であったころに何度も店番をした武器屋の店主から聞いた話では、商店主たちの会合においても度々舌戦を繰り広げるらしい。

 そのような関係で、自分の店で望みの物件を見つけられなかった客が向かいのライバル店で望みの物件を見つけたなどということがあれば、向かいの店主は何を考えるか。


 この際、客の等級など大した問題ではないのだ。

 今頃、俺と向かい合っている丸い店主の頭の中では、このまま俺に逃げられた場合にライバルから言われる嫌味や皮肉が次々と浮かんでいることだろう。


 そんな未来を回避する方法はただひとつ。

 店を出ようとする俺を引き留めるため、好条件を提示するほかにない。


「……いやはや、降参です。私の目がくもっていたようだ。ひとつ、勇敢な冒険者であるあなたに紹介したい物件があるのですが、もう少しだけお時間をいただけませんか?」

「もちろん、お伺いしますよ」


 俺に紹介する気のなかった物件を紹介してくれるらしい。

 表面上は落ち着きを保ちながら、俺は交渉を上手く運べたことに胸をなで下ろした。

 こうなれば、店主の意地にかけても良い物件を提供してくれることだろう。


 そう思ったのだが――――


「実はひとつ、わけありの物件がございましてね」

「わけあり、ですか……?」


 どうやら、そう簡単にはいかないらしい。


「それは、どういった物件なんですか?」

「一言でいうならば、死霊屋敷。……そういうウワサが立っている物件なのです」


 今度は俺の表情が引きつる。

 予想と違う展開に少し困惑するが、話を聞いてみないことには先に進まない。

 店主は俺の困惑を察したのか、逃げられては大変とばかりに矢継ぎ早に物件の情報を開示していく。


「いえ、決して人死にがあったとか、そういう物件ではないのです。前所有者は魔術師の方だったのですが、急遽拠点を移すことになったので買い取ってほしいという申し出があったところを当店で買い取ったものなのですよ」

「それがどうして死霊屋敷などと?」

「それが……。そのあとに屋敷に住もうとした方が、いつのまにか気絶するらしいのです」

「…………」


 魔術師のあとに入居した住人が気絶する。

 魔術師が危ない実験をやった結果、何かしらの理由で住めなくなったと考えてしまったと考えるのが自然ではないか。


「もちろん、なにか危ない魔術がかけられていないか、危ない物質が漂っていないか、方々に頼んでいろいろと確認はしてみました。しかし、結果はことごとく……。今になっても原因がわからないままなのです」

「で、原因がわからないから死霊屋敷とウワサが立ってしまって借り手がいなくなったと?」

「ええ、まあ……おっしゃるとおりです。最低限の手入れはしていますが、入居者は……」


 どさくさにまぎれて不良債権を紹介しようとした店主のしたたかさに呆れてしまう。

 しかし、店主だってここまでの話で俺が食いつくとは思っていないだろう。

 この話をしたのは一体何のためなのだろうか。


「そこで、です!勇敢な冒険者であるあなたを見込んで……」

「借りませんよ?」

「格安でお譲りする、と言えばどうでしょう?」


 なるほど、これが狙いか。

 だが――――


「屋敷を譲っていただけると?せっかくですが、そこまでの予算はありませんよ」

「格安で、と申し上げました。30万デル――――大銀貨3枚でならどうでしょうか?」

「さ、30万!?」


 大銀貨3枚、前世の価値に換算すれば30万円程度か。

 屋敷と値段としては破格も破格、タダ同然と言ってもいい金額だ。


「先ほどお話したとおりの状況ですから、手入れが行き届いているとは言えません。しかし、掃除をすればすぐにでも使えるでしょう」


 この条件には心を揺さぶられてしまう。

 だが、いくら安くとも住めない屋敷を買っても仕方がない。

 屋敷を確認してから決めたいところだが、もう日が沈もうとしているこの時間帯からそれを要求するのはさすがに非常識だ。

 向こうも、ここで即決する場合の条件として提示しているのだろう。


「これだけの条件でも首を縦に振っていただけませんか……。わかりました、私にも意地があります。もし屋敷がお気に召さない場合は、30日後に20万デルで買い取ることを保証する書面を付けましょう!これが限界です、いかがでしょうか?」

「そこまでしていただけるなら、買いましょう」


 俺と店主はしっかりと握手を交わす。

 こうして俺は、期せずして屋敷を手に入れた。

 最後の方は相手のペースに乗せられてしまった気がするが、損はしていないはずだ。

 屋敷の場所が南東区域――――いわゆる貧民街であることに気づいたが、大通りから遠くない場所だったので治安もそこまで悪くないだろう。

 慣れない交渉などしたからか、店を出た後で疲れがどっと押し寄せてくる。


(早く休みたい……。早速屋敷に行くか)


 俺は疲れた体を引きずって、店主からもらった屋敷の鍵と簡単な手書きの地図を片手に歩みを進めた。



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