第23話 定まらない決意
一度目の人生でマンガやアニメを見ていたとき、思ったことがある。
女の子が風呂を使っていることに気づかずに風呂の扉を開けてしまったとか。
部屋の扉を開けたらたまたま女の子が着替え中だったとか。
そんなことは絶対に起こり得ない、と。
だってそうだろう?
風呂に人がいるのに気付かないなんてありえないし、ノックもせずに女の子の部屋に入るなんて論外である。
だから、もしそういうことが起きたとしたら、それはわざとやっているのだ。
そう思っていたのだが――――
「この変態!スケベ!何度言ったらわかるのよ!」
「…………」
俺の中で、その確信が揺らいでいた。
とっくに日が暮れてしまった時間帯。
冒険者ギルドに備え付けられた広めの浴場。
少年と、薄布で自らの裸体を隠しながら少年を罵る少女。
誰かがこの光景を見ていたとしたら、これはきっとのぞきの現場なのだと思うだろう。
それはおおよそ事実であり、そして誤解でもある。
「まあ、とりあえず言い訳を聞いてくれよ……」
そんな俺の呟きも虚しく、エルザの罵倒が終わったのは俺の体が冷え切った後だった。
◇ ◇ ◇
エルザ。
『村の住人』、『村の冒険者ギルドのマスターの娘』、『背伸び(物理)したい年頃の女の子』。
俺がこの村に来た時から彼女を形容する言葉はいろいろあったし、この村で生活するなかで彼女を形容する言葉は増え続けた。
その多くは彼女を好意的にとらえたもので、冒険者ギルド(兼住居)の家事や運営を一手に引き受ける彼女に対して、俺はある種の尊敬と感謝をもって接してきた――――のだが。
半年くらい前から、彼女の行動に不可解なところが見られ始めた。
ある時は廊下を下着と大差ないような薄着でうろついているところで俺と遭遇し、顔を真っ赤にして怒り出したり。
ある時は俺が間借りしている部屋に寝ぼけて侵入し、顔を真っ赤にして俺を叩き続けたり。
浴場でバッタリという状況もそのうちのひとつに過ぎない。
まあ、これだけならそれがどうしたという感じだろう。
同じ家で暮らしていれば、それくらいのうっかりはあるかもしれない。
たとえ俺と遭遇した場所が俺の部屋の前であったり、俺の部屋は1階でエルザの部屋は2階にあったり、浴室の入り口近くのよく目につくところに俺の着替えが置いてあったとしても、偶然そうなる可能性はたしかに存在する。
しかし、回数が重なればうっかりで済ますことはできなくなってくる。
そのたびに怒鳴られたり叩かれたりする身となればなおさらだ。
それに俺はフィクションでよく見かける鈍感系主人公ではない。
一連の不可解な出来事も、奥手な少女――エルザが奥手な少女かどうかはさておき――の遠回しなアプローチと考えればギリギリ理解できる範疇に収まるような気もする。
そうした考えから俺は彼女の下着(のような薄着)に対して似合っていると感想を言ってみたり、部屋にやってきた彼女をベッドの中に引っ張り込んだり、彼女を抱きかかえて一緒にお湯に浸かったりといった積極的な行動に出てみたこともあった。
なお、その悉くは罵声と暴力によって俺の心と体が傷つけられる結果になった。
特にベッドに引っ張り込んだ日の翌日などは、顔につけられたひっかき傷のせいでオーバンに散々笑われてしまった。
ただ、そうした出来事があってなお、彼女の不可解な行動はなくならない。
腹に据えかねた俺は、浴場で風呂桶片手に俺を追い回す彼女から逃げ続け、彼女が疲れ果てて座り込んだのを見届けてから悠々と浴室から退場したこともあった。
思えば愚かだった。
そう気づいたのは、翌日の朝食の席で無表情の彼女がパンもスープものせられていない空の食器を俺に差し出したときだった。
俺は無条件降伏し、エルザへの抵抗を放棄した。
◇ ◇ ◇
それ以来、俺は彼女の不可解な行動を見てしまったときは甘んじて彼女に殴られることにしていた。
(ふっ、男はつらいぜ……)
今日だって、結果だけ見れば俺がエルザの入浴をのぞいてしまった――というか彼女と入浴時間がかち合ってしまった――というのは間違いではない。
しかし、だ。
「だから、最初から何時に風呂に入るのか教えてくれればいいじゃないか」
「嫌よ!その時間にのぞきに来るつもりでしょ!」
「……なら、入浴するときに着替えを隠すのやめろ。着替えがあれば、エルザが入ってるって分かるし、そのときは引き返すから」
「嫌よ!そんなことしたら下着を見られちゃうでしょ!」
「…………じゃあ、せめて入浴中の札を――――」
「嫌よ!」
「なんでだよ!?」
「だって、私が入ってるってバレちゃうじゃない!」
「誰かが入ってるってわかるように掛けるんだよ!!」
浴室の戸を開けるまで入っているか入っていないかわからない、シュレディンガーのエルザをどうやって回避するのか。
(時間を決めて入っていた頃は、こんなことなかったのに……)
大方、オーバンかドロテアあたりに「男はみんな狼だ!」的なことを吹き込まれて過剰に反応しているのだろう。
本当に迷惑なことこの上ない。
俺は今この瞬間も、湯に浸かったままエルザに風呂桶で叩かれ続けていた。
もっとも、<強化魔法>を行使している俺に対して、エルザ渾身の風呂桶アタックはほとんどダメージを与えることができておらず、彼女の体力を無為に消耗する結果になっている。
「わかったから、お前もそろそろ湯に浸かれよ。その恰好じゃ風邪ひくぞ?」
「誰のせいだと思ってんのよぉ!」
少なくとも俺のせいではない。
そう言ってしまえばエルザの怒りが長引くのがわかりきっているから、俺は黙って風呂桶を受け止め続けた。
しばらくして気が済んだのか、エルザは顔を赤くしたまま浴場を出て行った。
「ふー……」
季節は冬だから、冷気に冷やされた体に熱い湯が心地よい。
肩まで湯に浸かり石でできた浴場の縁に頭を置いて空を見上げると、仄かな月の光が夜を照らしている。
下弦の月やら上弦の月やら月の形には詳しくないから、それを何と呼称すればいいか俺にはわからない。
無理やり表現するなら円を斜めに切り落し、残った下側の切り口を少しへこませたような形といったところか。
「はは……」
自分で考えて可笑しくなった。
良い月夜なのに、それを形容する表現のせいで風情も何もない。
けれど――――
「悪くない……」
そう、悪くはない。
しかし、満ち足りているわけでもないのだ。
目を閉じて、幾度も考えたことを今日も考える。
そして今日も答えを出すことはできない俺は大きく息を吐いた。
この村に来てから2年の月日が経過した。
俺はいまだにギルドの1室を間借りして冒険者をやっている。
あらかじめ用意していた着替えに袖を通すと、魔法の訓練を兼ねて夜風にあたるためギルドの裏手に向かう。
剣の修練も毎日欠かさずに続けているが、風呂に入った後に汗をかくのは嫌なのでこちらは風呂に入る前にやるのを日課にしていた。
ギルドの裏手は冒険者たちの修練場ということになっているが、都市の冒険者ギルドのような石材の試合場など設置されておらず、ただ広いスペースがあるだけ。
おまけに放っておくとすぐに雑草が生い茂って草原の一部と化してしまうため、定期的な除草作業が必須である。
村にひとつしかない修練場がそんな状態であっても、この村で常時活動する冒険者は俺を含めて5人しかいないし、ここを使うのは俺くらいのものなのだから文句を言う人間などいやしない。
ギルドの建物と野外に隣接する浴場のおかげで村からここを見通すことができないが、一応周囲を見渡して人がいないことを確認する。
「さてと……」
周囲の確認を終えると、俺は魔法を発動する。
俺の切り札――――というにはまだ少しばかり頼りないが、かつて俺の命を救ってくれた<結界魔法>である。
わざわざ人目に付かない場所に来ている理由は、俺が隠し続けている<結界魔法>の訓練のためだ。
部屋の中ではエルザが突然訪ねてくるかもしれないし、実戦で使えばダニエル達に見られてしまう。
彼らとの付き合いも2年以上になるから、そろそろ<結界魔法>のことを明かしてもいいのかもしれないが――――
「…………」
2年前の経験は人を信用することの難しさを嫌になるほど教えてくれた。
きっと<結界魔法>が実際に必要になるそのときまで、これを明かす決心はつかないだろう。
「さてと……」
改めて、俺は周囲に展開された結界を観察する。
訓練を重ねた現在、同時展開できる結界は5枚になった。
厚みを持たせることは難しいものの、結界の形状もある程度は自由にできるようになったし、射程距離も少しずつ伸びている。
展開した結界に石を投げつけると一瞬だけ時が止まったかのように静止して、わずかに遅れて結界が砕ける音。
重力を思い出した石はすとんと地面に落ち、ところどころ雑草が生え始めた地面を転がった。
「今日もダメか」
少しの落胆と一緒にため息をつき、もう一度結界を展開する。
再び石を投げつけると当然のように同じ結果に終わった。
一回で砕けない結界を展開したい。
そう思っていろいろ試行錯誤を続けているが、これに関してはなかなか進展が見られない。
なんとかして継続的に相手の攻撃を遮断してくれる性能を手に入れたいのだが、全力攻撃でもデコピンでも、足を滑らせて結界に頭突きしたときですら等しく同じ結果を引き起こす性能は相変わらず。
単純な強度だけなら<強化魔法>を全力で行使した状態で剣を叩きつけても通らないほど頑丈だ。
検証の結果、込める魔力を絞ると攻撃を防げないこともわかった。
ならば、込める魔力を増やして方法を工夫すれば一撃で破壊されない結界を張ることもできるはず――――そう考えて努力を重ねた。
ラウラに相談したときも、「スキルの習熟度によってはできるかもー?」と可能性は否定されなかったから希望は残っている。
習熟度を上げるため、結界を展開しては砕くことを延々と繰り返す。
単純作業だが、この間もギルドの建物からエドウィンやダニエル達が出てこないか注意しなければならないので気が抜けない。
ある程度の魔力を消費したら、今日の<結界魔法>の訓練はおしまい。
ギルドの建物の中に戻ると、ちょうどエルザが夕食を用意してくれていた。
「そろそろできるから、テーブルを布巾で拭いておいて」
「はいよ」
料理の腕にはあまり自信がないので、これくらいの手伝いは引き受ける。
エルザの料理の腕はなかなかのもので、夕食が俺の数少ない楽しみのひとつになっていた。
お互いもう慣れたからか、浴場であったあれこれを蒸し返すこともしない。
俺がテーブルに食器を並べている間にエルザがエドウィンを呼びに行き、全員が席に着くと食前のお祈りもなく黙々と料理を食べ始める。
「いただきます」
告げてから俺も彼らにならう。
馴染みのないあいさつに対して最初はアレコレ言っていたエルザも、今ではこちらを一瞥するだけだ。
その表情はどこか満足そうですらある。
(なんだか、本当の家族みたいだな)
孤児院のときもみんなで食事をとっていたが、大人数でがやがや食べる状況は家族というより前世の学校で給食や弁当を食べる感覚に近かった。
もう食事中の会話がないことに気を使うこともない。
俺はこの状況にすっかり馴染んでしまっていた。
だからこそ言い出しにくい話ではあったし、言わなければならない話でもあった。
近々、俺はこの村を出ていくつもりだ。
それは最初から決まっていたことだ。
俺は終の棲家として、この村を選んだわけではないのだから。
俺は自分の心を守るために、この村に逃げ込んだにすぎないのだから。
結末を知りたくはないのに、それを放棄してこの村で安穏と暮らし続けることにも耐えられないという自分の心の弱さが本当に恨めしい。
(はあ……)
俺は14歳になった。
もう奴隷商の組織が俺を探していることはないだろうし、一人でも冒険者をやれる程度には強くなった。
だから俺がこの村に居ていい理由は、もうなくなってしまったのだ。
「いつもどおり、食器は下げておいてね」
いつものように覚悟を決めかねているうちに時間がたってしまった。
手早く食事を終えたエルザは、さっさと部屋に戻ってしまう。
間を置かず、エドウィンも食器を下げて仕事に戻っていった。
「……明日こそは言わないと、な」
もう何度目かもわからない言い訳をぽつりとつぶやいて、俺は食事をすませると自分の部屋へと戻っていった。
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