第16話 運命の日5




 リーダー格の男曰く、俺が目を覚ますことはないそうだ。

 理由は不明だが男たちは俺が目を覚まさないと思っていて、しかし実際俺は目を覚ましているという状況。

 これを利用しない手はない。


(とりあえず、今のうちに状況を整理しよう)


 俺は荷馬車で戦争都市に運ばれているらしい。

 現在は街道を避けて進んでいるらしい。

 しばらくしたら男たちは仲間と交代するらしい。

 戦争都市に近づいたら『隷属の首輪』で人生終了。

 俺の剣は荷台にいる下っ端の近く。

 オットーはおそらく木箱か皮袋の中にいる。

 男たちは俺が目を覚ましていることに気付いていない。

 俺の首には『吸魔の首輪』が付けられているが、動作不良のためか効果がない。


(こんなところか。さて、俺はどうするべきか……)


 このまま寝たふりを続けて戦争都市に行くのはリスクが高い。

 近いうちに『隷属の首輪』を装着されてしまい、そうなればもはや挽回の機会はないだろう。

 男たちが仲間と交代するタイミングで寝たふりに気付かれる可能性だって低くはない。

 リーダー格の男の話振りからして交代のタイミングはそう先のことではなさそうだ。

 

 つまり、俺に残された時間はそれほど多くないということになる。


(………………落ち着け、アレックス)


 焦りから手に汗がにじむ。

 こんなときこそ焦ってはいけないと、頭では理解しているのだが。


(逃げるか、戦うか。まずはどちらか選ばないと……)


 首尾よく逃げることができた場合はどうだろうか。

 こんな孤児に何ができると捨て置いてくれれば儲けものだが、こんな連中なら俺を殺そうとする可能性の方が高そうだ。

 今の男たちの会話を聞かれたと疑われたら、その可能性はさらに高くなる。

 そうなれば戦争都市の領主が放った追手とかくれんぼだ。

 こいつらが諦めるか、俺が死ぬまで、ずっと。

 あるいは俺が死んだように偽装すればとも思うが、男たちに追われながら偽装を施すのは至難の業だ。

 一度男たちを撒いてしまえば偽装自体はうまくいくかもしれないが、今度は俺の偽装が男たちの目に留まるかどうか不安が残る。


(ダメだな。うまく逃げ切れるビジョンが見えてこない……)


 それに、俺が逃げた場合に孤児院にどう影響がでるかわからないところも厳しい。

 アマーリエや院長に関してはもはやどうでもいいが、そこにいる孤児たちに悪影響が出ることは極力避けなければならない。


 俺が逃げたせいで歳が近いラルフやローザが代わりにされる。

 そんなことになったら、いくらなんでも後味が悪すぎる。


(となれば、やっぱり戦うしかない……)


 いや、戦うだけではない。

 ひと当てしてここから離脱するだけなら、それは結果的に戦わずに逃げる場合と大差ない。

 俺が奴隷にならず、こいつらとかくれんぼもせずに自由に生きていくためには、俺の顔を知っている人間がいては困るのだ。


 つまり――――


「……ッ!」


 手が震える。

 ごくりと喉が鳴る。


 前世まで遡っても人殺しの経験なんて俺にはない。

 冒険者になっても魔獣や妖魔を相手にしていればいいと思っていた俺は、人を殺す覚悟なんて持ち合わせていない。

 いっそ生かしておくことが罪と言い切れるほどの極悪人であったなら、あるいは盗賊と出合い頭に戦うような状況であったなら、悩む暇もなく相手を殺すことができたのかもしれない。


 だが俺はこいつらが他愛無い話で笑い合うところまで見てしまっている。

 俺にとってこいつらは極悪人という記号ではなく生きた人間になってしまっている。


(ダメだ、今は深く考えるな。自分の命がかかってるんだ!)


 経緯や理由はどうあれ、こいつらは俺を死地に追いやろうとしているのだ。

 だったら俺がこいつらを殺すことをためらう必要はない。

 その、はずだ。


 だから―――


(だから、動けよ……!今は震えてる場合じゃないんだよ……!)


 情けないことに体に力が入らない。

 なんとか取り繕うことができていた表面的な冷静さは、これからこの男たちを――――人を殺さなければならないという事実を前にしてひび割れ、剥がれ落ちてしまった。


 心臓の鼓動が大きく響く。

 荷台の男に聞こえてしまうのではないかと不安になる。

 歯の根が震える。

 カタカタと音が鳴ってしまわないように必死に歯を食いしばる。


 こうして震えている間にもこいつらの交代地点に近づいているということを、頭では理解している。

 理解しているのだ。


(くそっ……!このざまじゃ英雄なんて夢のまた夢だぞ!)


 英雄どころか、このままでは冒険者になることすら怪しい。

 スキルがどうこう以前の問題だ。

 俺には、覚悟が足りていなかった。


「うおっと!?」


 急に大きな声をあげた御者。

 荷馬車がゆっくりと停止する。


「魔獣ですね。交代地点までもうすぐのはずですが、ツキがないようだ」

「数は……暗くてよくわかりませんが、7体ですかね。おい、ぼけっとしてないで手伝え!」

「へい、兄貴!」


 荷台の男は威勢のいい返事を御者に返すと、荷台に積まれた木箱や皮袋を蹴り飛ばしながら外に出て行く。


(………………)


 唐突に降って湧いた好機に呆然としてしまう。

 あまりに無様な俺を憐れんだ神様が情けをかけてくれたのだろうか。

 今、男たちは魔獣に気を取られている。

 荷台の男が戻ってくればバレるだろうが、それは魔獣の数を考えれば早くとも数分後の話。

 今なら安全にここから逃げ出すことができる。

 千載一遇の好機とはまさにこの状況をいうのだろう。


(逃げよう……)


 逃げれば状況が厳しくなるが、もうこの男たちと戦うことなど考えられなかった。

 今はこの状況を脱することが最優先。

 戦わずに済むと思えば、先ほどまで震えていた体もいくらか軽くなったような気がする。

 俺は馬車に残る男に気付かれないようにそっと立ち上がると、俺の剣を納めた装具のベルトをつかんで肩にかけ、荷台から降りる。

 幸い、空は東の方にうっすらと光が見えるだけ。

 この暗さなら一度姿をくらませることができれば、簡単には見つからない。

 そのまま死角になる荷馬車の後方に向かって駆け出そうとして―――


(しまった!オットー!)


 一緒にこの荷馬車に乗っているはずのオットーのことを失念していた。

 荷台を振り返れば、そこには散乱した木箱と皮袋。

 木箱は蓋が釘で固定されている。

 いくら魔獣に気をとられているとはいえ、まとめ役の男に気付かれずに中を確認することは難しい。

 皮袋の方はひもで縛られているだけのようで、音を立てずに中を確認することはできそうであるが。


(それじゃ間に合わない……)


 皮袋の紐を解いてひとつひとつ中を確認していたら、俺がオットーを見つけるよりも荷台の男が戻ってくる方が多分早い。


 ここでオットーを見捨てればこのまま戦争都市まで連れて行かれてしまうだろう。

 だが、荷台の男が戻ってくる前に運よくオットーを見つけたとして、気絶したオットーを担いで逃げることは難しい。

 二人まとめて再び捕えられることになるだろう。


 オットーを救える選択肢は――――ない。


(…………すまない!許せ、オットー!)


 俺は心の中でオットーに謝罪し、罪悪感を引きずりながら荷馬車から離れようとして―――


「刃が欠けちまった……あー、後で木箱も積み直さなきゃいけねぇ…………あ?」


 魔獣退治に行っているはずの下っ端と、目があった。



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