第17話 運命の日6




 もつれそうになる足を必死に動かした。

 荷台の男から逃げるため、森の中の道なき道を走る。


「兄貴!ガキが!ガキが逃げた!」

「なに!?」

「バカヤロウ!さっさと追いかけろ!」

「ま、まだ魔獣が残って……」

「残りは俺が片づけておく!てめぇはいいからガキを追え!」


 『吸魔の首輪』の効力を疑っていなかったのか、俺が逃げ出したことが信じられないという反応をするリーダー格の初老の男に対して、もともと『吸魔の首輪』の効力を知らなかった御者の反応は速い。

 逃げながら後ろを振り返ると、荷台にいた下っ端は積み荷から替えの武器――――無骨な大剣を担ぎ出して俺を追いかけようとしている。

 明確に迫る命の危険に、再び俺の脚が竦む。

 荷台の男は相当もたついていたはずなのに、その間に俺が稼ぐことができた距離は本当にわずかなものだ。

 いや、俺がたいした距離を稼ぐことができないとわかっていたからこそ、荷台の男は悠々と替えの武器を探していたのかもしれない。

 その証拠に俺を追う荷台の男の顔には奴隷に逃げられたことによる焦燥などなく、むしろ逃げる俺を追い詰めることに愉しさを見出している。


(……ッ!?もうこんなに近くに!)


 このまま逃げてもじきに追いつかれてしまうことは明らか。


 ならば――――


(あいつの大剣が俺を射程に捕えるギリギリまで引き寄せてから不意を突いて反攻する!)


 下っ端から逃げ切ることはできなかったが、荷馬車との距離はそれなりに稼ぐことができた。

 すぐに増援が来る状況ではない。

 これは各個撃破の好機だ。


(今だ!)


 手近な大木の幹を蹴って反転。

 荷台の男の首を狙って斬りつけようと剣を振りかぶった俺は――――


「バレバレなんだよぉ!」

「うぐっ!?」


 荷台の男の大剣に敢え無く迎撃された。


「う……がはっ………ごほっ……ぐ……」


 俺を殺さないようにするためか、大剣の腹で殴られたために切傷はない。

 

 だが、振りぬかれた大剣から伝わる衝撃は強烈。

 不完全ながら差し込んだ俺の剣を通して、こちらに十分なダメージを与えている。


「なんでぇ、この程度かよ!旦那も兄貴もおおげさだなぁ…、こんなガキに俺が負けるわけないだろうに」


 俺が呼吸を整えている間、荷台の男は大剣を片手で振り回してつまらなそうに俺を見下ろしている。


「ほら、荷台に戻れクソガキ。そうすりゃこれ以上痛い目にあわずに済むぞ」

「……このまま奴隷にされたら痛いどころじゃ済まないだろうが」

「なら仕方ねぇ、足の一本でもへし折って引きずっていくか」


 俺は荷台の男を迎え撃つために、剣を正面に構え直す。

 しかし、それを見た荷台の男は足を止め、笑いを堪えきれないといった様子で嘲笑する。


「ぷっ……がはははっ!なんだそりゃ情けねぇ!それで戦うつもりかよぉ!?」

「ッ!」


 いつの間にか、こちらに踏み出す荷台の男に気圧されて、自分が一歩下がってしまっていたことに気付く。

 剣の構えもひどいものだ。

 完全に腰が引けていて、これではとてもじゃないが戦えはしない。

 俺は羞恥と怒りのあまり荷台の男を睨み返すが、そんな俺の態度もまた荷台の男を楽しませてしまっている。


「ああ、お前最高だぜ!こんなに笑ったのはひさしぶりだ。都市に帰ったら酒場で女に語ってやる面白話がひとつ増えたな。感謝してやるぜ」

「この……ッ!」


 あまりの言われように我慢できなくなって、こちらから飛びかかる。

 だがその動きは無様なもので、今までの修練がなんだったのかと嘆きたくなる有様。

 まるで戦いを知らないただの少年になってしまったかのようだ。


(いや、実際にそうなのかもしれない……)


 人生初の実戦機会に今まで練習してきた剣や魔法をほとんど活かすことができず、荷台の男はおしゃべりの片手間に俺をあしらっている。

 俺はを知っているだけで、を知っているわけではなかったということだ。


「そろそろ飽きてきたなあ……。もう戻ろうぜ。お前じゃ俺に勝てないのはわかったろ?な?」


 ふざけるな。

 俺の力はこんなものじゃない。


 言い返したい言葉は俺の喉元まで上がってきて――――声にならずに消えていく。


 こんなことをいっても相手を笑わせるだけだ。

 悔しさを噛みしめ、ただ剣を構えて荷台の男を睨み付けた。


「はあ、往生際が悪いねぇ……。しかしあれだな。前回似たような仕事を受けたのはたしか3年くらい前だったが、そのときにもこんなことがあったなあ。あのときはたしか――――赤い髪の女の子だったか」

「なっ!?」


 荷台の男の言葉に、最悪の想像が頭をよぎる。


「なんだ、もしかしてお前の知り合いか?あんときの子はお前と違って、しっかり戦えてたぞ。なんていったかな、名前はたしか――――」

「やめろ」

「あー、なんだったか……えーと」

「黙れ」

「うーん、もう少しで出てきそうなんだが……」


 やめろよ。


 思い出すな。


 もし、荷台の男の口からその名前が出てきてしまったら。


 


 細い糸のように微かな希望が、完全に潰えてしまう。


 そんな俺の祈りは届かなかったのか。


 無情にも荷台の男はハッとしたような表情の後、ニヤニヤと笑みを浮かべて俺を見る。


「ああ、そうだ!思い出した!」


 その声が聞こえたとき、俺はどんな表情をしていたのだろうか。


 男の表情がひときわ愉快そうなものに変わったところをみると、きっとひどい顔をしていたのだろう。


「聞きたいか?聞きたいだろう?知り合いの名前かもしれないもんな?ククク……」


 黙れ。


 言わないでくれ。


 あの子はきっとどこかで生きているんだ。


 だから。


 頼むから。


 あの子を殺さないでくれよ。


「ククク、そいつの名前はな……――――」


 男が名前を告げようとしたその刹那。

 俺の頭の中で何かが弾け、緊張や恐怖が消え失せた。


 頭から受けた戦闘命令がたった今届いたのだ。

 そう主張するかのように滑らかに動く俺の手足は、何度繰り返したかわからないその動作を寸分違わずに再現する。


「な――――ッ!?」


 先ほどまでの無様なものとは一線を画す鋭い剣閃。


 それは男の反応を許さず喉元に吸い込まれ――――その首を宙へ向けて刎ね飛ばす。


 正しく、俺が繰り出すことができる最高の斬撃だった。


 震えも怯えも緊張も。


 全て置き去りにすることができた理由は、きっと――――


「…………」


 放物線を描いて地に墜ちた首は、最後はこちらを向いて動きを止める。


 その表情は驚愕に彩られていた。


 自分が死んだことが信じられないのだろう。


 ガキと侮り、実際にまるで話にならないような戦いをしていた子どもが、自分の反応速度を超えた斬撃を繰り出したことが信じられないのだろう。


「ああ、よかった……」


 でも、そんなことはどうでも良かった。


 俺は今、心の底から安堵していた。


「――――


 そう呟いた俺の表情は男の目に映っただろうか。


 こうして俺は、初めて人を殺した。



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