第12話 運命の日1




 孤児院に帰る頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。


「ただいまー!晩御飯の時間に遅れてすいません!」

「遅かったですね。今日は久々にシチューだったのですが、あなたの帰りが遅かったから、もう残ってませんよ」

「またまたそんなこと言ってー。アマーリエ先生なら俺の分を取っておいてくれるって信じてますよ」

「はあ、まったく……」


 アマーリエ先生は溜息を吐きながら、台所からシチューとパンを持ってきてくれた。


「ありがとうございます、アマーリエ先生。あ、今日はビーフシチューなんですね!」


 孤児院の食事はお世辞にも豪華とは言えないので、たまに出てくるシチューはみんなが楽しみにしている。

 特にビーフシチューは年に1度出るかでないかというくらい珍しいメニューだ。


「今日はオットー君を引き取ってくれる家が見つかったので、その記念に。急な話ですが今日の夜には出発してしまいますから、別れのあいさつは早いうちにしておきなさい」

「わかりました、アマーリエ先生」


 俺が席につくところを見届けたアマーリエ先生は、食事が終わったら食器を自分で片づけるように告げると食堂から出て行ってしまう。

 アマーリエ先生がやらなければならないことは本当にたくさんあり、彼女はいつも忙しそうにしている。

 特に小さい子の世話は大変だし、食事の後だって休む暇もないのだろう。

 そう考えると、食事に遅れたせいでアマーリエ先生に手間をかけさせてしまったことが本当に申し訳なく思えてくるとともに、これまで俺たちを育ててくれたことに感謝の気持ちが湧きあがってくる。


「さてと……」


 感謝の気持ちを込めて。


「いただきま――――」

「あ、アレックス君!戻ってきてたんだね」


 いただきます、と言おうとしたその瞬間、間の悪いことにオットーが現れた。


(いや、むしろちょうどいいのか。別れのあいさつに行く手間が省けた)


 そう思い直すと、俺は友達を惜しむ気持ちを全面に押し出してオットーに別れを告げる。


「オットー、おめでとう!お前をもらってくれる家があるなんて俺はびっくりだぜ!」

「相変わらず男には冷たいよね、アレックス君……」

「それはつまりアレだ、長年の友であるお前を一人前の男と認めているってことさ!」

「へー……」


 オットーは、うろん気に俺を見つめている。

 疑っているという気持ちを隠そうともしない。


「しかし、残念だな。お前が今日旅立つと知っていれば餞別でも用意したんだが。何も用意してない俺を許してくれ」

「用意してくれているじゃないか、餞別」

「うん?」


 オットーはテーブルの上を指さして言う。


「長年の友である君がわざわざ餞別なんて水くさいじゃないか!そのビーフシチューをくれるだけで、僕は満足だよ」

「なん、だと……?」


 オットー、お前、この俺からビーフシチューを奪おうと言うのか。


 大方、力では勝てなくとも口先ならば、というつもりなのだろう。

 いいだろう、その挑戦受け立とうじゃないか。


「おいおい、冗談はよせよ。食ったらなくなっちまうビーフシチューなんて――――」

「いやあ、うれしいなー!なんたってビーフシチューだからね。前回食べたのがいつだったか思い出せないくらいだよ。そんな貴重なビーフシチューを譲ってもらえるなんて、僕はなんて幸せ者なんだろう!」

「ははは、ビーフシチューくらいで大げさな……ちょ――――」


――――っと待て、という言葉は俺の口から出てこなかった。


 なんという電光石火。

 すでにオットーの手はシチューの器とスプーンをつかんでいた。


(くそッ!オットーのくせに、俺を相手に実力行使だと?)


 オットーの予想外の行動に心の中で罵声を浴びせ、俺は椅子から立ち上が――――


「動くなッ!」


――――ろうとして硬直する。


「このビーフシチューがどうなってもいいのかな?」

「オットー!てめえ、自分が何してるかわかってるのか!?」


 オットーは俺との身長差を逆手に、行儀など投げ捨ててテーブルの上に立ち上がる。


「僕に飛びかかればビーフシチューがどうなるか……アレックス君ならわかるよね?」

「クッ……!」


 なんということだろうか。

 オットーの予想外の行動に動揺して後手に回った結果、たった数秒で俺のビーフシチューは絶望的な状況に置かれてしまった。


(考えろ、考えるんだアレックス!この悪魔からビーフシチューを守るための方法を!)


 まるで我が子を人質にとられた父親のような気分だが、俺は気丈にオットーを睨み返す。

 すでにビーフシチューは自分のものだということを疑おうともしない間抜けからビーフシチューを取り上げ、こてんぱんに叩きのめす算段を頭の中で構築する。


(よし……)


 大きく、深呼吸をひとつ。

 オットーの頭はさほど良くない。

 いつものように口八丁で丸め込み、ビーフシチューを手放させることができればこちらのもの。


「なあ、オットー……。俺たちはこれまで長い間、苦楽を共にしてきたなかまあああああああ!」


 なんということだろうか。

 オットーは、らしからぬ機敏な動きで次々とビーフシチューを胃の中に収めていく。

 俺はそれを呆然と眺めていることしかできなかった。


「オットー……、どうして……」


 目の前の光景が信じられない。

 オットーはいつだってアホで、間抜けで―――そして俺にいいようにあしらわれてきたはずだった。

 まさか今日まで姿は、今このとき俺のビーフシチューを奪うための布石だったとでもいうのだろうか。

 今まで見てきたオットーの姿が現実と結びつかない。

 そんな俺に向かって、オットーは満足げに答えを告げた。


「アレックス君、君はたしかに頭がいい。口ではかなわないし、腕力でもそうだ」

「だったら、どうして……?」

「君の話を聞いていると、いつも丸め込まれてしまうからね。だから、君の話を聞かずに、ビーフシチューのことだけ考えることにしたんだ!」

「…………」


 なんということだろうか。

 オットーは俺との戦いの中で成長したのだ。

 俺は逞しくなったオットーの姿に涙する。


「……うまいか?お前のためにとっておいた、ビーフシチューの味は」

「最高だよ!アレックス君」


 目が輝いている。

 ビーフシチューのおかわりと、最後の最後で俺を出し抜くことができたことを心の底から喜んでいるのだろう。


(あのオットーが……)


 俺はオットーに手を差し出す。


「オットー……、俺は最後にお前の成長を見ることができてうれしいよ」

「アレックス君……」


 今さら、少しだけすまなそうな顔をしたオットーは俺が差し出した手を握る。

 俺たちは互いの友情を確かめるため、力強く握手をした。


「アレックス君?アレックス君!痛い!痛いよアレックス君!ああああああごめんなさい!ごめんなさい許してよアレックス君!」


 力強く、握手をした。

 だって、腹を殴ったらビーフシチューだったものがオットーの口から出てきてしまうだろう?

 そんなもったいないことをするわけにはいかないさ。




 のたうち回るオットーを眺めて留飲を下げてから部屋に戻る。


(やれやれ、少し大人げなかったか。ほんと、心が体に引きずられてるなあ……)


 ビーフシチューくらい毎日食えるように、これから稼げばいいじゃないか。


 将来の楽しみが一つ増えたと思えば悪くない。

 そんなたわいのないことを考えながら、俺は眠りについた。





 ◇ ◇ ◇





 珍しく夜中に目が覚めてしまい、ぼんやりした頭で窓越しに空を見上げる。

 ぼやけた視線の先では月の輝きが雲ひとつない空を照らしていたが、明るいのは月の周囲だけ。

 光が届かない多くの部分は、いまだ色濃い闇に染まっていた。


(やっぱり夜中は冷えるな…………)


 薄い毛布を体に掛けなおすと、もう一度眠りにつくために目を閉じる。

 オットーのせいで若干の空腹感があったものの、眠れないほどではなかった。


「―――――だ。――――――よ」

「こ――――――――――――――――ね」

「――――――――――――――さ。―――――――――――――な」


 俺は再び目を覚ました。


(男の声がする……?)


 この孤児院に大人の男はいないのだから声が聞こえるのはおかしい。

 まして、今は真夜中だ。


(強盗か!?)


 最悪の想像が頭をよぎり、俺の意識は一瞬で覚醒した。

 すぐさま<強化魔法>を行使し、両刃の片手剣を佩いて戦闘に備える。

 <剣術>スキルを持つ冒険者には勝てなくても、そこらのチンピラに遅れをとるつもりはない。


 ゆっくりと、音を立てないようにドアを開ける。

 廊下の様子を伺うと、特に異変は見られなかった。


(声が聞こえてくるのは……玄関の方からか?)


 壁に身を寄せながら、足音を立てずに声が聞こえる方へ近づいていく。

 玄関の様子を伺うことができる位置にたどり着くと、玄関の外に孤児院の院長と見知らぬ3人の男の姿が見えた。

 男のうちの一人、おそらく彼らのまとめ役であろう初老の男と院長が話をしている間に、残りの男たちは門の外に止めてある荷馬車に何か荷物を運びこんでいるようだ。


「では、よろしくお願いします」

「ええ、たしかに預かりました。おい、院長先生に寄付を」


 男が声をかけると部下と思しき男の片方が皮袋を持って院長に近づいていく。


「代金だ。確認してくれ」


 そう言って院長に皮袋を手渡すが、それを聞いていた初老の男は渋い顔をしている。


「すみません、教養のない部下で」

「…………」


 院長は無言で軽く頭を下げるだけだ。


(代金……?)


 この孤児院に何か売れるものがあっただろうか。

 孤児院の大人たちが内職でもしていたのだろうかと思ったが、受け取った皮袋は重そうで内職の対価としては不相応に見える。

 何よりこの時間だ。

 おそらくまともな取引ではないだろう。


(まあ、孤児を養うために何か裏稼業でもやってるってところかな?)


 だとしたら、そうして育てられた俺が文句を言うわけにもいくまい。

 もしかしたら、この時間を選んでいる理由も俺たちにこれを見られないためなのかもしれない。

 強盗かと思い焦ってしまったが、どうやら俺の勘違いで済んだようだ。


(もし本当に孤児院に強盗が入っていたら……)


 なんとか撃退することはできただろう。

 ただし、孤児たちに犠牲が出てしまったかもしれない。

 そうならなかったことに、俺はほっとして胸をなでおろした。


(しかし、何を売ってるんだろうな……?)


 張りつめていた緊張が解けてしまうと、やはり今行われた取引が気になってくる。

 様子を伺っていた限りでは、男たちが何度も孤児院と荷馬車を行ったり来たりしたようには見えなかったため、今回引き渡した商品の数はあまり多くないのだと思う。

 一方で、院長が受け取った皮袋はずっしりとしていて重そうだった。


(順当に考えれば、やっぱり禁制品なんだろうか……)


 孤児院の先生たちが、俺たち孤児を養うために帝国や領主が禁じた商いに手を出している。

 そう考えると本当に申し訳なくなってくる。

 もとより冒険者としての稼ぎの一部は孤児院に入れるつもりであったが、この様子だと納める額を増やした方がいいかもしれない。

 これからは俺が孤児院で最年長になるのだから、ラルフやローザをはじめとした孤児たちにも気を配らなくてはならない。

 もっとも今日まで孤児の最年長だったオットーは、その辺しっかりやっていたようには見えなかったが。


(そういえばオットーってもう出発したのか……?)


 すっかり忘れていた、

 今日出発するはずのオットーのことを思い出し――――俺の思考は急速に冷えていく。


 荷馬車に運ばれた荷物。


 院長が受け取った皮袋。


 代金。


 禁制品。




 取引されたものは、一体なんだった?




 俺は思い至ってしまった結論を、荷物の正体を必死に否定しようとする。

 しかし、ぐるぐると回り続ける思考は、むしろそれ以外の可能性をひとつずつ潰していってしまう。


(薬の類は……)


 ありえない。

 孤児院の敷地に薬の原料となる植物を育てる場所などない。


(宗教関係の禁書の類なら……)


 禁書なら院長が受け取った皮袋には釣り合うかもしれない。

 しかし、男が抱えていた荷物の体積はそれなりだった。

 あれが全て本だとしたら<身体強化>などの有用なスキルを持たない一般人に運べる重さではない。


(いや、取引の中継なら……!)


 これなら可能性は残る。

 取引されるものの正体はわからないが禁制品の中継ならそれなりの利益も出るだろう。

 しかし、それらしきものがこの孤児院に運び込まれるところを俺は見たことがない。

 それに運び込んだとして、どこに保管しておくというのか。

 地下室?

 秘密の隠し部屋?

 そんなものは幼い頃にリリーと一緒に調べ尽くしていた。

 この孤児院にそんなものが存在しないことを、俺は十分に理解している。


「…………ッ」


 頬が強張り、体が震える。

 それは決して寒さだけによるものではない。

 これ以上ないくらい混乱しながらも別の結論を探し続けて、そして別の結論などないという結論に至ってしまった。


 孤児院が入手することができる禁制品。

 孤児院に保管することができる禁制品。

 男が2人いれば簡単に抱えることができて、それなりの対価を得ることができて、孤児院なら当然に存在するの正体。


「こんな真夜中に、どうしたのですか?」

「――――ッ!?」


 即座にその場から飛び退り、俺に声をかけた人物へと剣を向ける。

 その人物はまるで俺の反応を予想していたかのように驚きもせず、いつもの優しい目で俺を見つめていた。


「とても酷い顔をしていますね。何か怖い夢でも見てしまったのですか?」


 そう言って、微笑みながら俺を気遣ってみせる――――孤児たちを、俺たちを今日まで育ててくれたその人に向かって、俺は問うた。


「あの男たちが運んで行った荷物の中身、一体なんですか?…………アマーリエ先生」



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