第13話 運命の日2




「荷物だなんて、ひどいことを言いますね。これまで一緒に暮らしてきた仲間ではないですか」


 彼女の口から出た言葉が鼓膜を通って脳へと突き刺さる。

 予想はしていたが衝撃的だった。


 対するアマーリエ先生は普段どおり。

 まるで授業で質問に答えるときのように落ち着いている。


「……隠すつもりもないということですか?」

「隠すもなにも、聡明なアレックス君は先ほどの光景を見て、すでに結論を得ていたように見えましたよ?」


 どうやら観察されていたことに気付かないほど動揺していたらしい。

 これから冒険者として生きて行こうというのに、これでは先が思いやられる。


(いや、今はそんなことはどうでもいい!)


 思えば、あの取引の内容がなんであれ速やかに自分の部屋に戻るべきだった。

 シスターたちはあの取引を俺たちから隠そうとしていたのだ。

 それを俺が知ってしまったときにどうなるか、俺はどのように振る舞うべきか。

 よく考える時間を得ることもできたはずだった。


(くそっ!そもそもアマーリエ先生に荷物の正体なんて聞くべきじゃなかった!)


 シラを切って一度この場を離れ、仕切り直すという選択もできなくなってしまった。

 行動が完全に裏目に出ている。

 自分の軽率さに腹が立つが、今はそれよりもどうやってこの場を切り抜けるか考えなければならない。


(とにかく会話を続けよう。少しでも考えをまとめる時間をつくらないと……!)


 俺は行動方針を決め、意を決してアマーリエ先生に話しかける。


「どうしてこのようなことを?」

「それも、アレックス君なら察していると思いましたけど…………ああ、なるほど、時間稼ぎですか?アレックス君は本当に頭がよく回りますね」


 きっと本心から言ってくれているのだろうが、俺からすれば皮肉以外の何物でもない。

 俺はただの12歳児ではないのだから。

 通算年齢ならアマーリエ先生と互角かそれ以上だというのに、こうも一方的に翻弄されている状況はとても歓迎できるものではない。


「孤児院の懐事情……ですよね」

「正解です。この都市……というよりは、この国の多くの地域に共通することですが、熱心に宗教を信じている人は少なく、寄付の額は知れたものです。祝祭の度に領主様や有力な商人の方からの施しをいただいていますが、それだけでこの人数の孤児たちを養うことはできませんから」


 大人の余裕といったところか。

 俺の狙いを理解していても、アマーリエ先生は時間稼ぎに付き合ってくれるらしい。

 を行うようになった経緯、得た金がどのように使われていたかなど、丁寧に説明してくれるアマーリエ先生の言葉を聞き流し、俺はこの状況を切り抜けるための方策を思案する。


(もう、孤児院に留まることはできないな……)


 ここまで話したということは、俺をこのまま孤児院に置いておく気はないのだろう。


 さて、アマーリエ先生は――――孤児院は俺をどうするつもりだろうか。


(お前は見逃してやるから、このことは秘密にしろ?)


 ちょっと甘いか。

 いや、ちょっとどころじゃなく甘い気がする。

 俺がアマーリエ先生だったら絶対に取らない方法だ。


 そもそも見逃されたところでこのまま逃げるわけにもいかない。

 この孤児院にはラルフやローザもいるのだから、ここから逃げるのは彼らを見捨てることに等しい。


(もし、俺がアマーリエ先生だったら……)


 子どもとはいえ、俺が冒険者志望で戦闘訓練を積んできたことをアマーリエ先生は知っている。

 実力行使でくるつもりなら人を集めるはずだが、気配を探ってみてもそれらしいものは感じない。


 相手の出方がわからない。

 アマーリエ先生の表情はいつもどおり優しげで、俺にヒントを与えてはくれない。


(くそッ!集中しろアレックス!)


 せっかく手にした時間を無為に浪費しているという焦りが、さらに俺の思考を鈍くしていく。


「さて、考えはまとまりましたか?」


 無情にも、俺の時間稼ぎはこれで終了らしい。

 結局ほとんど考えがまとまらなかった。


「でも、正直に言うと意外ですね。私はあなたがこのことを知ってしまったら、もっと取り乱すと思っていましたよ」

「…………一体何を」

「もしかして、まだそこまで思い至っていないのですか?たしかに、たったこれだけの時間でいろいろなことがありましたから、仕方ないのかもしれませんね」

「アマーリエ先生!一体何のことを言って――――」

「あなたは幼い頃から、とよく一緒に過ごしていましたよね」


 そう告げられて、背筋が凍る。


「…………リリー?」


 そうだった。


――――待っててね!


 リリーは俺と一緒に、この孤児院で育った。


――――私がすごい魔法使いになったら、


 一緒に遊んで、ご飯を食べて。


――――みんなにおいしいご飯を食べさせてあげるから!


 農作業をして、魔法の訓練をして。


――――じゃあね、アレックス君!行ってきます!


 そして、他の孤児たちと同じように


「アマーリエ…………リリーを、どうした?」


 震える声で問いかける。


 その一方で、俺の心は答えを聞きたくないと叫んでいる。


 聞いてどうするつもりだ。


 リリーがここを出て行ってから、もう3年も経っているというのに。


 俺の心情を映し出すかのように時間がゆっくりと過ぎていき、やがてアマーリエがその口を開く。


「私は、ここで育った孤児たちがどこへ行くのか、全てを把握しているわけではありません。ただ、一般的な話をするならば……男の子は鉱山で魔石を掘る鉱夫。そして女の子は――――」


――――娼館、でしょうか。


 その声が俺の耳に届き、その内容を理解した瞬間。


「アマーリエえええええええぇっ!」


 デニスから学んだことを全て投げ出した直線的な踏み込み。

 それでも武術の心得のないアマーリエを捉えた俺の腕は、そのまま彼女を石造りの壁へと叩きつける。


「ッ!……グッ…………」


 怒りのあまり<強化魔法>を行使することすら忘れていたが、それでもアマーリエは苦しそうに顔を歪める。

 しかし、同情など欠片もない。

 今、この瞬間、この女を殺してやりたい。

 俺は心の底からそう思っている。

 だが殺すわけにはいかない。

 まだ俺は、リリーの居場所を聞いていないのだから。


「もう一度だけ、聞く……。リリーを、どうした!」


 こみ上げる怒りを押し殺し、俺は再度、少女の居場所を問う。

 これからどうするべきかという悩みは消えた。

 身の振り方は、たった今決定づけられた。


(リリーを見つける!探し出して、その場所から助けてみせる!)


 たとえリリーがどんな状況に置かれていても。

 どうしてもっと早く助けてくれなかったと罵声を浴びせられることになっても。

 この決意は揺らがない。


 今、左手はアマーリエの胸倉をつかみあげ、右手には剣を構えている。

 <強化魔法>の行使は済んでおり、アマーリエがこの状況から逃れる術は残されていない。


「不思議な子だとは思っていましたが、それがあなたの本性なのですか?」

「答えろ」


 俺の豹変を目の当たりにして少し戸惑った様子を見せたアマーリエの問いかけを短く切り捨て、剣の切先を彼女に突きつける。


「私はあくまで一般的な孤児の行く末の話をしただけです。あの子がそうなったと言っているわけではありません」

「勿体ぶるなよ、アマーリエ……。お前の死体を引きずって、院長に聞いてもいいんだぞ!?」


 俺が放った安い挑発はアマーリエの動揺を誘うことはできず、むしろ彼女は本来そうであるように落ち着いた様子で言葉を続ける。


「私は、あの子の行き先を知っています」

「ッ!」

「なにせ、あの子の取引を担当したのは、この私なのですから。先に言っておきますが、あの子が娼婦としてどこかの娼館で客を取らされているということは、おそらくないと思いますよ」


 真実かどうかもわからないアマーリエの言葉。

 それでも嘘を言っているようには見えず、俺が想定した最悪の状況が回避できるかもしれないという希望に俺の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。


 そして――――


「だってあの子は、もう生きてはいないでしょうから」


 続けられた言葉は、俺の世界を停止させた。



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