第6話 お別れ




 ここは孤児院。

 

 親に捨てられたか、親を亡くしたか。

 理由は様々でも親と一緒に居ることができない子どもが集まる場所。 

 親と一緒に居ることができない子どもが場所。

 

 だから、いつかは出て行かなければならない。

 

 経済的に余裕のない孤児院では集まり続ける子ども全てを受け入れることなど、できはしないのだから。


 そんなことは、ずっと前からわかっていた。





 ◇ ◇ ◇





 裏庭で木製の剣を振る。

 以前武器屋の店主を手伝ったときにもらった木剣は9歳の俺には少し大きいのだが、冒険者たちの訓練を観察して見よう見まねで練習を続けていた。


 しかし、ここ数日は練習に身が入らない。

 気が付くと頭の中ではリリーとの別れのことを考えている。


 どうやらリリーは帝都にいる偉い魔法使いに才能を認められたらしい。

 リリーは帝都で暮らすことになるため、しばらく会うことはできない。

 あるいは、一度別れたらもう会うことはないのかもしれない。


 そんな状況にもかかわらず、俺はリリーとなかなか話せずにいた。


 リリーから別れを告げられ、はや数日。

 俺とリリーの仲はいつになくギクシャクしてしまっている。

 食事のときに声をかけようとするも、なんと声をかけていいかわからない。

 日課となっていた裏庭の訓練にもリリーは出てこなくなった。


 別れの日は、すでに明後日に迫っていた。


(前世では友人と進路が分かれることなんて、いくらでもあったはずなんだが……。体に引きずられて心まで子どもになっちまったか?)


 12歳になったあたりの子がいつの間にか孤児院から居なくなることは、なんとなく理解していた。

 リリーはまだ11歳だから少し早いが、いつ別れがきてもおかしくない時期だった。

 しかし、必ず来るはずの別れを、なぜだか現実のものとして感じることができていなかった。

 俺はこちらの世界に来てから、リリーと離れたことなどなかったのだから。


(まるで親離れできていない赤ん坊だな……)


 自嘲してみても状況は好転しない。


 さて、どうしたものだろうか。






 リリーと話をしなければ。

 そう思いながらも、とうとう別れの日の前夜になってしまっていた。


 リリーは部屋から出てこない。

 落ち着かず、廊下をうろうろしてしまう。


「なにをしているのですか?」

「っ!?なんだ、アマーリエ先生か」


 突然後ろからかけられた声に必要以上に動揺してしまう。

 もしや、うろうろしていたところを見られていたのだろうか。


「なんだではないでしょう。リリーが出立するのは明日の朝なのですよ?ここ最近リリーと話もしていないのではありませんか?」

「うっ……」


 すっかり把握されていた。

 顔から火が出そうだ。


「あなたはここに来てから、リリーとずっと一緒でしたからね。後ろをついて歩く様は、まるで本当の姉弟のようでした」


 アマーリエ先生は優しく諭すように語りかける。


「あなたは、まだこれほど親しい人との別れを経験したことがないのでしょう。しかし、この世界で生きていく限り、今まで出会った多くの人と、いつかは別れなければならないのです。そうやって、少しずつ大人になっていくのですよ」


 別れの経験はある。

 あるからこそ、ここまで動揺している自分を恥じているのだが、そんなことを言えるわけもないので、俺は顔を真っ赤にして俯くだけだ。


「仕方ない子ですね」


 そう言って、アマーリエ先生は俺の手を引いた。

 連れて行かれた先は、当然リリーの部屋の前。


 アマーリエ先生は俺を優しく見つめると――――素早くリリーの部屋の扉を開け、俺を部屋の中に放り込んだ。


「うお!?」

「男の子でしょう?お姉さんにかっこいいところを見せてあげなさい」

「ちょっと!?まだこころの準備が!!」


 無慈悲にも閉じられる扉。

 部屋には情けないことを口走った俺と、ベッドの上で毛布にくるまるリリーだけが残された。


「……アレックス君?」


 リリーに呼ばれて振り返る。

 その表情は硬く、いつもの明るさは見られないままだ。


「…………こんばんは、リリ姉」


 なにがこんばんはだ。

 もっと気が利いたことは言えないのか、アレックスよ。


「……ごめんね。なんだかうまく話す自信がなくて、ついつい避けちゃってたみたい」


 さらにリリーに謝らせてしまった。

 もう情けなさが限界を突破している。


(ここまで来たら、もういいか。これ以上、情けなくなりようもない……)


 俺も腹をくくって、リリーに話しかける。


「こっちこそごめん。ずっとリリ姉と一緒だから、急に別れることになっても実感わかなくてさ。でも、次にいつ会えるかもわからないから、リリ姉と話せるだけ話しておきたかったんだ」

「ふふ、そっか」


 そういうとリリーの表情にようやく笑みが戻る。


「こっちにおいでよ、アレックス君。もうこんな時間だから、そんなところに座ってたら風邪引いちゃう」

「……うん、お邪魔するね」

「全然邪魔なんかじゃないよ」


 リリーのベッドに二人で並んで横になる。


「そういえば、リリ姉と並んで寝たことなんて、昼寝のときくらいしかなかったね」


 この孤児院は貧しい代わりに部屋は有り余っており、孤児たちは希望すれば1人で部屋を使うことができる。

 多くの子供たちは仲良し同士で部屋を使っていたが、俺やリリーは個室を与えられた少数派だった。


「ふふ、アレックス君が赤ん坊のころは、私が一緒に寝たこともあるんだよ?」


 リリーはこっちに体を寄せて、ぎゅっと抱きしめてくる。

 9歳の俺と11歳のリリー。

 まだリリーの方が頭一つ分以上大きく、俺はされるがままにリリーの抱き枕を務める。

 いつのまにか、さっきまでのぎこちなさが嘘のよう。

 俺たちは普段のように話せるようになっていた。




 それから、リリーとはたくさんの思い出話をした。


 俺が初めて魔法にふれた日のこと。


 都市の外で農作業したこと。


 裏庭で魔法の練習をしたこと。


 都市の中を駆け回ったこと。


 これから首都で暮らすこと。


 俺の意識が眠りに落ちてしまうまで、決して話が尽きることはなかった。


「アレックス君?」


 頭の中にぼんやりと響くリリーの声。


 なにか、やわらかいものが頬に触れた気がした。





 ◇ ◇ ◇





 翌朝。

 とうとうやってきた別れの日。


 帝都に住む偉い魔法使いの遣いだという、高そうなローブを羽織った柔和な男がリリーを迎えに現れた。

 孤児院を卒業する子は普通はひっそりと旅立つらしいのだが、今日は俺の他にラルフやローザ、それにオットーも、リリーを見送りに出てきていた。

 できれば都市の門まで見送りたかったが、北西区域にある飛空船発着場から飛空船で帝都に向かうらしいのでここでお別れだ。


 シスターたちと魔法使いが話をしている間、俺たちはリリーと別れの言葉を交わした。


「待っててね!私がすごい魔法使いになったら、おいしいご飯を食べさせてあげるから!」

「うん。楽しみにしてるよ、リリ姉」


 最後まで、世話焼きなリリーらしい。


「じゃあね、アレックス君!行ってきます!」


 さよならではなく、行ってきますと告げるリリー。


「ああ、またね、リリ姉」


 俺も再会を願って、またねと応えた。


 俺たちはリリーの姿が見えなくなるまで、孤児院の前で手を振って彼女を見送った。

 歩き出した彼女は涙を堪えていたのだろうか。

 一度もこちらを振り向かず、南通りに消えて行った。


「さて、俺も負けてはいられないな」


 リリーにすごい魔法使いになるという目標があるように、俺にも英雄になるという目標がある。

 冒険者登録ができるようになる12歳まで、残り3年を切った。

 短くはないが悠長にしてはいられない。


 魔力の扱いを練習しながら、同時に木剣を振り続ける。


 リリーがいなくなった裏庭で、俺は寂しさに負けないように、これまで以上に真剣に訓練に励むようになった。



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