第5話 9歳の日常
「さて、今日は何をしようかな」
午後の授業を終えてもまだ日は高い。
歳を重ねるごとに行動範囲を広げていった俺は、いつしかリリーの後ろをカルガモの雛のようについていくことをやめ、今では自分の意思で都市内を駆け回っていた。
走ることが単純に体を鍛えることにつながるし、自分が暮らす都市の状況を自分の目でしっかり確認しておきたかったという理由もある。
「アレックス君、待ってよぅ……」
「待ってよ、アレックス兄!ほら、ローザ頑張って!」
「…………」
今では俺の方がカルガモの親のようなものだ。
都市中央の噴水のあたりで足を止めて振り返り、後ろの3人が追いつくのを待つ。
「ローザ、大丈夫か?」
「……………………大丈夫」
あんまり大丈夫じゃなさそうに応えたのは、ローザ・リッケルト。
孤児院の仲間で1歳年下の少女である。
金色セミロングの髪は走ったせいか乱れており、綺麗な緑色の瞳も地面を見つめている。
本当に疲れたのか座り込んでしまい、呼吸を整えるので精一杯の様子だ。
「俺は大丈夫じゃないよ……」
「男の心配なんか誰がするかよ」
「相変わらず男に厳しいよね、アレックス兄……」
つれない言葉をかけた俺にあきれたような目を向けるのは、ローザの双子の兄であるラルフ・リッケルト。
孤児院の仲間で1歳年下の少年だ。
容姿も髪の長さ以外は似通っているが、気弱そうな妹と違って芯の強そうな目をしている。
実際に今もあまり息を切らせておらず、俺が走り出せば余裕でついて来るだろう。
「それに比べてオットー、お前ってやつは……」
弱音を吐いた本人に目を向けると、俺より背が高い茶髪の少年はおどおどして目をそらす。
こいつも孤児院の仲間で名前はオットー。
(ファミリーネームは…………思い出せない)
仲間という割には我ながら薄情なことだ。
俺たちのファミリーネームは孤児院のシスターか誰かが適当に付けてくれたのだろうが、孤児院の生活でそれを使うことなんて全くない。
一度は聞いていると思うがリリーのように特に親しかったり、この双子のように同じファミリーネームだったり、何か印象に残ることでもなければ覚えてはいられない――――などと心の中で言い訳してみるが、実際のところ俺が名前を覚えるのが苦手なだけだ。
これは前世からのことで、たった3年間の社会人生活でも大変苦労した。
今更聞くのも失礼だし聞いても使うこともないので、結局聞かないまま今に至る。
「男だって、つらいものはつらいんだよ…」
「俺より年上のくせに情けない」
俺の後ろをついて来るカルガモのヒナの中で、こいつだけ俺より年上だ。
もともとリリーがこの集団を引っ張っていたのだが、いつからかリリーは孤児院から外に出ることが少なくなり、リリーの代わりに先頭に立つ者が必要になった。
それが俺であることに疑問を抱く人間は、俺より年上のオットーを含めて誰もいない。
実際に御覧のありさまであるから、オットーにリリーの代わりは務まらないのだろう。
「さて……」
ローザとオットーが息を整えている間、俺は噴水の淵に立って辺りを見回した。
ここにやってきた理由は特にない。
何か面白そうなことがあれば、それを追いかけることもある。
助けが必要そうな大人を見つけては、助けに入ってお駄賃を得ることもある。
困っている女の子がいれば颯爽と駆けつけて助ける。
3つ目に限っては見つけたら絶対だ。
困っている女の子を見つけて助けないという選択肢はない。
その理由は前世の死に際があんな感じだからというわけではなく、それが英雄っぽい行動だからというだけでもない。
年頃になったときに「あなたはあの時の!」という感じに再会するためのフラグを立てられるだけ立てておこうという、極めて打算的な行動によるものだ。
金髪碧眼の美少女との感動的な再会は、英雄譚の一節を飾るに相応しい。
もちろん、金髪以外の美少女も心から歓迎する。
ただし残念なことに、大抵の場合は俺自身が相手のことを忘れてしまう。
立てたフラグの存在を覚えておくことができない、名前を覚えることが苦手な自分が本当に恨めしい。
今では助けた女の子たちの顔も名前も思い出せないのに、立てたはずのフラグの数だけは覚えているという本末転倒甚だしい状態だ。
なお、困っている子どもが男である場合、よほど幼い子でなければスルーする。
目の前で息を整えている年上など、当然助ける対象に入らない。
「うん?」
周囲を観察していると、ここから西に少し行ったところで言い争う子どもたちを発見した。
喧嘩になりそうな雰囲気を感じた俺は、唯一自分の足で立っているラルフに声を掛ける。
「ここでしばらく、ローザとオットーを見ててくれ!」
「いいけど、アレックス兄はどこに行くの?」
そう尋ねるラルフに、俺は笑って答える。
「西通りに、7本目のフラグを立てに」
何言ってんだこいつと言いたげな眼差しを背に、俺は西通りを駆け出した。
噴水から見つけた子どもたちの言い争い。
走って近くまで行くと、構図が見えてくる。
人数的には7対2。
7人の少年少女のうち特に3人が、2人のうちの内気そうな方の少女に対して心無い言葉を吐いており、もう片方の強気な少女がこれに対抗しているようだ。
俺も子どもの喧嘩にまで首を突っ込む気はないのだが、喧嘩というには片方の人数が多すぎるし吐きかける言葉の内容も普通ではない。
「おい、幽霊女!お前のせいでうちの弟が倒れちまったじゃないか」
「そうだそうだ、責任とれよなー」
「ほんと怖いわ、いなくなればいいのに」
いなくなればいいとか言っちゃうお前の方が怖い。
本当に子どもの暴言は容赦がない。
「うるさいわね!この子は関係ないって言ってるでしょ!」
劣勢に立たされている2人組の片方が反撃しているものの、旗色は悪くなる一方だ。
「関係ないわけあるかよ。そいつが泣いてる時に近くに行くと眩暈がするんだよ」
「私だって触られて倒れたことあるのよ!」
「おれもおれも」
代わる代わる浴びせかけられる言葉に耐えかねたのか、ついに内気そうな少女がへたり込んで泣き出してしまう。
「泣いたぞ!幽霊女が泣いたぞ!」
「近づくと呪われるわ!」
「さっさとあっちいけよな!」
そろそろ潮時か。
俺は理不尽な罵声が終わりそうもないと判断すると、両者の間に割って入る。
「だれよあんた!」
泣き出す少女を庇っている健気な少女は俺が一言目を発するのも待たず、敵が増えたと言わんばかりに噛みついてくる。
一方、今まで内気な少女を責めるような言葉を浴びせていた少年少女は、突然の乱入者に戸惑いを隠せないようだ。
「俺はアレキサンダー・エアハルト、9歳だ」
「あんたの名前なんて知らないわよ!」
誰何されたから答えたというのに、こっちの少女の理不尽さも大概である。
「まあまあ、落ち着けって」
そう言って理不尽少女を宥めつつ、その横をするりと抜けた俺はいまだ泣き続ける少女の前に立つ。
「あっ!?」
「お前もひどいこと言われて辛いんだろうが、泣いてばかりじゃ何も解決しないんだぜ」
立ち上がらせようと、少女の左手をつかんだそのとき。
(うん……?なんだ?)
なにやら不思議な感覚に捕らわれる。
「あ!あいつ倒れるぞ!」
「近づくなって言ったのにー」
「っ!離しなさい!」
理不尽少女が血相を変えて俺の肩をつかんで泣き続ける少女から遠ざけようとするが、俺は意に介さない。
俺は魔法だけじゃなく、できる範囲で体も鍛えてきた。
同じ年頃の少女に少し揺さぶられたくらいで倒れたりはしない。
(これは、変身ごっこ……魔力の訓練をするときの感覚に似てる?)
泣き虫少女の手を握った右手から魔力が抜けていくような感覚がある。
しかし、抜けていく魔力の量自体は驚くほどでもない。
かれこれ7年間も変身ごっこ――――もとい魔力の訓練を続けている俺の魔力量の前では、満タンの風呂桶の栓を抜くようなもの。
つまり、ずっと耐えるのは無理だが今すぐに倒れることもないという具合だ。
(もしかしたら、これのせいで呪いとか言われてるのかも……)
そういう体質なのだろうか。
俺の知識ではわからないが、それはさておき。
いつの間にか俺を見上げていた泣き虫少女を優しく立ち上がらせ、まじまじと見つめ返す。
こっちの子も年は俺と同じくらいか。
よく手入れされた栗色の髪は艶やかで、真っ赤に腫らしているが優しそうな深い緑色の瞳、将来に大変期待が持てる顔立ちだ。
いや、今でも十分可愛らしい。
「ほら、何が近づくと倒れる、だ。なんともないぞ?」
キョトンとして間抜け面を並べていた少年少女の方に振り返り、にこやかに笑う。
「あ、あれ……?」
「どういうこと?」
「なんだ、何も起きないじゃないか。幽霊女なんて言うから何が起きるかと思えば」
「嘘だったの?つまんないのー」
「ほんとね。あ、そろそろおやつの時間だわ」
「おい!嘘じゃないんだって!」
「ちょっと待ってよ!」
さっきまで親の仇とばかりに詰め寄っていたのがまるで嘘のよう。
あっさりと興味を失って去っていく子供たちの様子に溜息が漏れる。
(勝手なもんだな……。ま、解決したようだし、いいんだけどさ)
彼らの背中が雑踏に消えると、俺は残された二人の少女を振り返った。
「なんだか大変そうだけど、お前も泣いてばかりいるなよ?せっかくのかわいい顔が台無しだからさ」
「…………はっ!?いつまで握ってるのよ!さっさと手を離しなさい!」
このタイミングでようやく我に返った理不尽少女。
俺は至近距離から勢いよく突き飛ばされてたたらを踏み、泣き虫少女改めかわいい少女から手が離れてしまった。
「いたた……、乱暴なやつ」
とはいえ、このあたりで十分か。
あまりしつこいとフラグを立てるどころか、かえって嫌われてしまう。
「それじゃ、縁があったらまた会おうぜ!」
そう言い残して、ラルフたちが待つ噴水の方に駆け出していく。
背中からなにやら罵声が飛んでくるが理不尽少女に興味はない。
理不尽少女の方も顔はかわいいのだが、凶暴な女は守備範囲外だ。
「待たせたな」
「おかえり、アレックス兄」
「おかえりなさい」
「おかえり、アレックス君」
息を整えた3人と合流すると、日が暮れるまではまだいくらか時間があった。
「さて、次はどこに行こうか」
都市の中をあてもなく駆けまわる。
未知に触れることが楽しくて、時間が過ぎるのはいつもあっという間だった。
◇ ◇ ◇
結局、孤児院へ帰ったときには日が暮れる時間になってしまった。
帰りが遅いと孤児院の大人たちを心配させてしまう。
日没前には必ず戻ることにしているのだが、今日は時間ギリギリだ。
「あれ?リリ姉、どうしたの?」
俺たちが帰るのを待っていたのか。
孤児院の門に寄り掛かっていたリリーの姿を見つけた俺は、彼女に声をかけた。
しかし、返事がない。
俺たちが戻ってきたというのに、なかなか孤児院に入ろうともしない。
「リリ姉、中に入ろう?」
リリーの様子を訝りながらも、俺はリリーの手を引いて中に入ろうとする。
「アレックス君」
すると、ようやくリリーはその口を開いて――――
「私、孤児院を出て行くことになったの」
いつもと違う、静かな声で別れを告げた。
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