第3話 幼少期1




 孤児の一日は、早朝の農作業の手伝いから始まる。

 4歳になった俺も例にもれず、眠い目をこすりながらリリーに手を引かれ、農地へ向かっていた。


 農地のある場所はこの都市の南、外壁の向こう側。

 大通りを南下するだけでたどり着くので、迷うことはない。

 ただ、4歳児である俺には結構な距離があるように感じられた。

 実際に歩いてきた道を振り返ると、孤児院に入る路地はもう見えない。


 その代わり、大通りの遥か先に大きな噴水を望むことができる。

 噴水はこの都市のちょうど中央に位置しており、そこからは東西南北に幅40メートルほどの大通りが、都市全体を四分割するようにまっすぐ伸びていた。

 それらの大通りは、それぞれ噴水から見た方角に合わせて、東通り、西通り、南通り、北通りとよばれている。


 東通り、西通り、南通りの先にはそれぞれ都市の外へとつながる門があり、俺とリリーが歩いているのは南通りだ。

 北通りだけは都市外へ繋がる門がなく、その代わりに都市を治める領主の屋敷へと繋がっている。


「あの遠くに見える領主様の屋敷の左側には、他にもすごーく広いお屋敷とか、騎士様がいっぱいいる建物とか、あと偉い人がいっぱいいる建物があるんだよ!もっと左の方に行くと、大きな飛空船もあるの!いつか一緒に乗ってみたいね!」


 リリーが後ろを指さしながら、楽しそうにはしゃいでいる。

 領主の屋敷の左というのは都市の北西区域のことだ。

 北西区域には、領主の配下である騎士団の詰所や役所、高級商店街、飛空船の発着場などが配置されており、富裕層向けの住宅もこの区域に多く存在している。


「でね、西通りには本当にいーっぱいお店が並んでてね!おいしそうな食べ物とか、きれいなお洋服とか、すごーく高いの!でも、いつかわたしが立派な魔法使いになったら、アレックス君も連れて行ってあげるからね!」


 西通りの高級料亭では、庶民の給料が吹っ飛ぶような高級料理を楽しむことができるらしい。

 将来貴族のお抱え魔法使いにでもなれば、そういう贅沢もできるかもしれない。

 孤児である俺には当分縁のない話だ。


 リリーは向かって右手の方を指さしながら、さらにこの都市の解説を続ける。


「あとね、あっちは職人さんがいっぱいいるところとか、いろんなものを作っているところがあるんだって!うーん……なんていう名前だったかなぁ。あ、でもね、あっちの奥の方は行っちゃダメなんだって!先生が大人になってからねって言ってた!」


 南西区域は工場や一般層向けの商店が多い。

 歓楽街があるのもこの区域だから、『奥の方は大人になってから』とは、そのことを言っているのだろう。

 ちなみにリリーは奥の方と言ったが、今いる南通りからは工場が乱立している場所よりも歓楽街の方が近く、大人しい雰囲気の店なら南通りにもある。

 当然だが、俺はまだ4歳なのでそういう店を利用したことはない。

 この国では15歳で成人とみなされるので、俺も15歳になったらお世話になるつもりだ。


「でね、こっちはわたしたちの孤児院があるんだよ!でもね、奥の方は大人になっても絶対に行っちゃダメなんだって!行くと恐い人にさらわれちゃうんだって!でも安心してね!アレックス君がさらわれたら、わたしが助けに行ってあげるから!」


 そして孤児院があるのが南東区域だ。

 奥の方はスラムであるらしい。

 こちらも行ったことはないが、どんな人間が東の方に行くか観察していれば、なんとなく察しはつく。


「あと向こうはね!……えーと、そう!なんにもないよ!」


 北東区域には何もない――――ということはなく、実際には一般層の住宅街になっていたはずだ。

 おそらく、リリーの興味を惹くものが何もないという意味だろう。


「わかった?アレックス君」

「リリ姉、その話はもう何度聞いたかわからないよ……」


 ほとんど南東区域から出たことがない俺がこの都市の概要をなんとなくでも把握することができているのは、大通りをリリーと歩くたびに彼女が解説を聞かせてくれるからだ。

 俺はすでにリリーからもたらされる情報や自分の目で見た風景を合わせて、この都市の状況を大まかに把握することができている。


 左右にはレンガ造りの2階建て――場所によっては3階建て以上――が立ち並び、足元は規則的に造られた石畳。

 大通りに限っては、十分な数の街灯も設置されている。

 

 上下水道が整備されていることや孤児院ですらある程度の衛生観念が確立されていることを考えても、この都市の生活水準は近代レベル―――日本でいうところの明治から大正くらいではないかと推測していた。


 とはいえ、だ。

 最初の5回くらいまではありがたく聞いていたのだが、10回も20回も聞かされるとなれば流石に飽きてしまう。

 説明する内容が毎回少しずつ変わるということがせめてもの救いというかちょっとしたスパイスになっており、今日は『何もない』ことになっている北東区域も日によってはパン屋や花屋があったりするのだが、それを差し引いてもなかなかしんどい。


 適当に相槌を打ちながら大通りを進んで行くと、向かって右手に冒険者ギルドが見えた。

 そちらに気を取られていると、俺の視線に気づいたリリーが言う。


「アレックス君、冒険者ギルドに興味があるの?あの人たちも怖い人たちだから、近づいたらダメだからね!」


 冒険者はいわゆる何でも屋。

 冒険者ギルドは、冒険者に仕事を斡旋する場所だ。


 しかし、パンを食べたいならパン屋でいいし、服が欲しいなら服屋でいい。

 それを考えると冒険者がメインで扱う仕事は、都市に住む住人がやりたがらない危険な仕事になる。

 結果として冒険者になるのは武力に自信がある者や他の仕事にあり付けないガラの悪い者が多くなるというわけだ。

 しかも前者は素行が良ければ領主の騎士や兵士、都市の治安を守る衛士という別の働き口があるので、冒険者たちの性格はお察しである。


 もちろん全員が全員チンピラというわけではない。

 他人に使われることを好まない自由人や一攫千金狙いの強者もいくらか交じっており、冒険者として有名になるのはこちらが大半だという。


(この時間だとまだ寝てる人も多いのか?ギルドの中に見える人影もまばらだ……)


 俺もすでに冒険者ギルドに登録して毎日のように大金を稼ぎ、その金で孤児院の暮らしは見違えるくらい贅沢なものになっていた―――となれば良かったのだが、冒険者ギルドに登録できるのは12歳からなので、4歳児の俺にできることはない。

 危険を冒して都市の外で価値のあるものを採取してきたとしても、冒険者ギルドに登録していない者はそれを買い取ってもらうこともできない。

 個人商店に持って行けば買取り自体はしてくれるかもしれないが、相応に買いたたかれるだろう。

 それならば、素直に孤児院の手伝いをしている方がずっとマシだ。


「今日もよろしくお願いしますね」

「いえいえ、こちらもいつも助かっていますよ」


 南門で待っていた農家の人に孤児院の大人が声をかける。

 孤児院では農家の繁忙期に人手を提供することで、代わりにいくらかの農作物を譲ってもらっている。


 もっとも孤児にできる農作業など多くはないので、農家の人の慈善活動的な側面もあるのだろう。


 なんにせよ、俺たちにとってはありがたい話だった。




 都市の外に出た俺たちは、農家の人に指示されたとおりに農地の一画で作業を始める。

 農作業の手伝いは4歳以上の孤児が参加しており、俺の役割は雑草取りだ。


 この作業に慣れているもう少し大きい子になると、他の作業を任されることになるのだが――――


「アレックス君!今日も雑草取りがんばろうね!」

「そうだね、リリ姉」


 リリー・エーレンベルク、御年6歳(もうすぐ7歳)。

 ほかの6歳の子はすでに別の作業に移っているのだが、この子は今でも俺と一緒に雑草取りを続けている。


 しかも、俺たちの担当範囲は農作物から最も遠い農地の外周付近。

 こんなところの除草なんて意味があるのかと疑問に思ってしまうような場所だ。


 何か理由があるのかと思って年長の孤児に聞いてみたところ、どうやらリリーは得意の<火魔法>で農作物を燃やしてしまったことがあるらしく、それ以来農作物に直接触れる仕事はさせてもらえないのだそうだ。

 少しかわいそうな気もするが、農家の人としても作物を焼かれては死活問題になる。

 俺としても一人で作業するよりはリリーと一緒の方がいいし、幸い本人も楽しそうに雑草取りを続けているから気にしないことにしている。

 この場所なら雑草と間違えて作物の苗を引っこ抜くなんてこともないから、慣れてしまえば気楽なものだった。


 リリーと話をしながらいつものように作業を続け、しばらく経った頃。

 にわかに辺りが騒がしくなる。

 

 遠くから悲鳴に混じり、『魔獣』や『狼』という声も聞こえてきた。


(ここしばらく来なかったのに……。今日は運が悪い)


 こうなれば作業を続けることはできず、避難するしかない。

 英雄を目指すと決めたとはいえ、できることとできないことの区別はつけなければならないし、ここで俺が戦わなければ死人が出るというわけでもない。

 ここで俺の取るべき行動は“逃げる”一択だ。


 だから、悲鳴の方に向かおうとするリリーの手を引いて都市の外壁の近くに避難しようと歩き始めるのだが――――6歳のリリーと4歳の俺の力比べは、残念ながらリリーに軍配が上がる。


「アレックス君、手を放して!魔獣なんて、わたしが<火魔法>で全部焼き払ってやるんだから!」


 手を離した瞬間に駆けだしてしまいそうなリリーをなんとかその場にとどめようと頑張る俺だが、その様子を傍から見れば「もう歩けない!」と駄々をこねる弟と、弟を叱咤して歩かせようとする姉にしかみえない。

 情けないことこの上ないが、それでもリリーを行かせるわけにはいかなかった。


(今日の魔獣は、聞こえてくる声からすると狼の魔獣だ。リリーでも<火魔法>が当たれば倒せるんだろうが……)


 リリーの力量では魔獣の素早い動きに翻弄され、<火魔法>を当てることができずに殺されてしまうかもしれない。

 仮にうまく魔獣を倒せたとしても、農地を火の海にしたら領主に処刑されてしまう。

 前科があるというのに本当に懲りない子だ。


(はあ、仕方ない。ひどい絵面になるからできればやりたくなかったが……)


 俺は意を決して彼女に向き直ると、そのまま彼女に抱き着いた。


「リリ姉、怖いよー!リリ姉が一緒にいれくれないと不安だよー!」


 アレックスは<必殺・怖がって姉に甘える弟>をつかった!

 リリーにかいしんのいちげき!!


 精神的なダメージを少しでも緩和しようと頭の中に某国民的RPG風のモノローグを思い浮かべてみるが、あまり効果はない。

 姉に抱き着く幼い弟と考えれば一見ほのぼのとした光景。

 しかし、弟の精神年齢は前世から通算するとアラサーである。


 6歳の幼女にすがりつくアラサー男。

 俺にとっては、顔から火が出そうな絵面だ。


「え、そう?うーん、アレックス君がそう言うなら。…………もう!アレックス君はわたしがいないと本当にダメなんだから!仕方ないから、わたしが隣で守ってあげるね!」

「リリ姉かっこいい!大好き!」

「え、そう?もう、しょうがないんだから!」


 心を削った渾身の演技にリリーはデレデレ。

 しょうがないと言いつつ、嬉しそうに俺を抱き返してくる。


「リリ姉、はやくあっちに行こう?」

「うん!そうね!」


 なんとか説得したリリーとともに外壁の方へ。

 外壁に近いところまで戻ると、都市の南門から飛び出してくる人影が見えた。


 その手には剣や槍、杖などが握られており、その顔に不安や恐れは見られない。

 彼らは魔獣の討伐を生業とする冒険者だった。


「今日の魔獣は“はぐれ”が1体だそうだ。苦戦はしないだろうが、油断はするなよ!」

「わかってる!それより魔法使うときは気をつけろよ!農地に被害が出ないようにな!」


 そんな言葉を交わしながら、悲鳴の上がった方へと駆け抜けていく彼らは冒険者だ。

 誰かが魔獣の排除を依頼し、それを受けて飛んできたのだろう。


「冒険者の人たちが来てくれたみたいだから、これで安心だね。リリ姉」

「…………うん。そうね」


 さきほどの上機嫌はどこへやら。

 いつになくテンションの低いリリーの返事に、俺は失言を後悔した。


(しまった……。リリーを煽るようなことを……)


 自分でも倒せると主張するリリーを魔獣から引き離したのに、魔獣を倒しに行く冒険者を持ち上げたから不機嫌になっているのだろう。

 リリーを見上げるとその視線は冒険者たちの背中に向けられており、今にも「やっぱり私が!」と言い出しかねない雰囲気を醸し出している。


 冒険者たちが魔獣を倒すまでリリーにはこの場にいてもらいたい。

 とりあえず、何か話を振って時間を稼がなければ。


「ね、ねえ、リリ姉―――」

「アレックス君、やっぱりわたし――――」

「リリ姉!」

「あ、アレックス君!?」


 そこから先は言わせない。

 リリーの言葉を遮った俺は、再びリリーに抱き着いた。

 今日はリリーに抱き着いてばかりな気がする。

 しかも、さっきとは違ってここには魔獣から避難してきた人たちが集まっており、その事実が俺の精神力をごりごりと削っていく。


(くぅ……!負けるな俺、がんばれ俺!この子の安全は俺にかかってるんだぞ!)


 周囲の人たちから向けられる温かい視線に耐えながら、俺はリリーをこの場に引き留めるために努力を続ける。


「リリ姉と話してると安心できるから、何かお話してほしいな」

「でも……」

「リリ姉……」


 頬が引きつりそうになるのを堪え、不安そうにリリーを見上げる。

 見つめあっているとリリーの表情がだんだん緩んでいき、機嫌が直ったと思われるところですかさず話を振る。


「リリ姉、魔獣って退治しても退治しても襲ってくるよね。魔獣ってどこからくるの?」

「魔獣?うーん、えーと……どこからくるんだっけ?」


 話が難しすぎた。

 ここまでやったのに話題の選択を誤るという痛恨のミス。

 心の中で歯がみする俺だったが、救いの手は思わぬところから差し伸べられた。


「魔獣というのはね、もともとはただの野生の獣なんだそうだよ。私も詳しくは知らないが、長い時間をかけて魔力を取り込んだ獣が変異して魔獣になるというのが通説だと聞いたことがある。それが繁殖して数を増やすと、こうして人里まで出てくるようになるんだ」


 声がした方を振り返ると、俺たちが手伝っている農家の人がこちらに歩み寄ってくる。


「へえ、そうなんだ……。魔獣と普通の動物って何が違うの?」


 農家の人の解説にリリーが食いついた。

 解説役をとられて不機嫌になるかもしれないと危惧したが、どうやら興味の方が勝ったらしい。


「そうだね……。個体差もあるが、魔獣はただの獣より体が大きく強靭になるとか、狂暴になると言われているね。ああ、魔獣の体内からは魔石が採れるということも、ただの獣と違うところだね」


 魔石とは、その名のとおり魔力が込められた宝石のような石だ。

 身の回りのちょっとした設備が、実は魔石の魔力を動力源としている魔道具であるということも多く、魔石の需要は文字通り底なしである。


 だから魔獣討伐を生業にしている冒険者は、主に魔獣から回収した魔石を冒険者ギルドに売却することで生計を立てている。

 魔石の他にも魔獣の皮や牙などが売れる場合もあるが、よほど貴重な魔獣でなければ収入の大半は魔石の売却益で占められることになるだろう。


「魔獣のほかに妖魔っていうのもいるんでしょ?魔獣と妖魔は何が違うの?」


 リリーが農家の人に質問を重ねた。

 かなり話が飛んだ気がするが、俺としては会話が続くなら文句はない。


「うーん……、妖魔か。妖魔については、私はあまり詳しくないんだよ。すまないね」

「あ、そうなんだ!ごめんなさい!」

「いやいや、こちらこそすまないね」


 リリーの質問に、農家の人は答えられなかった。

 しかし、リリーはなにやら嬉しそうだ。


(もしかして、解説役をとられたことを根に持ってるのか?)


 幸い農家の人は気づいていないようだが、一応両方に対してフォローをしておく。


「おじさん、教えてくれてありがとうございました!妖魔なんて難しい言葉を知ってるリリ姉もすごいよ!さすがリリ姉だね!」

「え?そんなことないよー!」

「役に立ったなら何よりだよ。……さて、どうやら魔獣は退治されたようだね。私は仕事に戻るとしよう」


 農家の人に言われて周囲の様子を窺うと、いつのまにか悲鳴や怒声は聞こえなくなっていた。

 代わりに、遠くで歓声があがっている。


(もう戻っても大丈夫だな!)


 そう判断した俺は農家の人と別れ、リリーと一緒に逃げてきた道を引き返す。


 その途中、南門から飛び出していった冒険者たちとすれ違った。


「お兄さんたち、ありがとう!」


 朝早くから俺たちのために出張ってきてくれたのだから、感謝は言葉で示さなければ。

 いかにもチンピラといった風体の男たちだったが、感謝されて悪い気はしないのか相手も笑顔で応えてくれる。


「おう!魔獣は俺たちが退治したからな!もう安心していいぞ」


 俺たちと一緒に逃げてきた農家の人々も、彼らに対して次々に礼を述べていた。


 それを尻目に俺はそそくさと自分の持ち場へ戻る。

 隣を歩く少女が、自分が倒すはずだったのにと言わんばかりの仏頂面で不機嫌になっているからだ。


「わたしが倒すはずだったのに」


 本当に言いやがった。

 確かにリリーの<火魔法>は強力なのだろうが、ちょっと自信過剰ではなかろうか。

 そのうち痛い目に合うんじゃないかと不安になってしまう。


「リリ姉もありがとう!リリ姉のおかげで怖くなかったよ!」


 本日何度目になるか、俺の渾身の演技によりあっさり機嫌を持ちなおすリリー。


 チョロすぎて、この子の将来が益々不安になるのだった。



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