第2話 わたしの下地は聖書

 ども、ぱのすけです。

 

 実は私、エホバの証人の家庭で育ちました。いわゆる「二世信者」です。

 父はずっと反対していましたが、母が信者で私も必然的に信者となっていました。

 あの教団の是非についてここで論じる気は一切ありません。ただ、17歳で脱退した。それが私の答えです。

 

 エホバの証人の家庭で育つと、当然の事ながら聖書を日々読んで育ちます。

 そのためなのか私自身は日本史よりも世界史、特にオリエントからローマ史が非常に好きです。


 世界史苦手な方が躓く「アウグストゥス」やらの難解なカタカナに慣れているからかもしれません。30代で亡くなった兄も世界史、とりわけローマ史を得意としていました。兄も勿論、信者でした。


 私はエホバの証人として育ったことで、日本に生まれ育つ意義をほぼ奪われたと思っています。日本人が連綿と受け継いで来た習慣から切り離されて、狭い教義の中に閉じ込められたこと。はっきり言っていらん苦労を背負ったと感じています。


 家庭を持った私が、日本古来の風習に拘って正月7日の七草粥やら冬至のかぼちゃやらを毎年行い続けるのは失った日々に対する明らかな執着です。


 迷惑千万だった信者の日々で唯一残されたメリット。それが「聖書の素養がある」ことだと思います。それは直截にファンタジーに生かせるからではなく、キリスト教世界の人々の考え方が理解できるからです。

 宗教の持つ力の強さと怖さを肌身に感じられること。それは私の作品にも生かしていけることだと思います。

 

 聖書にはムッチャ詳しいですが、自分の小説に使う気になれないのはやっぱり私にとって聖書は知識ではなく、信仰だったからだと思います。

 今となっては畏れ多い気持ちは微塵もありませんが、自分が何よりも好きな小説の世界に持ち込みたくない。そんなところです。私が自身の小説の設定に既存のものを使わないのはそこら辺もあると思います。


 ちなみに聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」に分かれていますが読み物として面白いのはやっぱり旧約聖書の方です。「出エジプト記」、「サムエル記」、「列王第一、第二」、「歴代第一、第二」、「エゼキエルの書」好きでした。


 多神教の国に生まれながら一神教で育ったことは、今では私の武器の1つです。


 次回は「わたしのほぼはイギリスで出来ている」です。

 

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