第3話
水光神社は、夕方だというのにすでに夜に近い暗さだった。雰囲気も陰気で気味が悪く、鬱蒼としげる雑草や境内を囲う木々だけが理由ではなさそうだ。そして問題の龍神池は、分厚い氷に覆われていた。氷の下には暗い緑色の水が透けて見える。太田が注意深く氷をたたいてみるが、割れる様子はない。
「なぁ、熱帯魚っていうやつは日本の冬を越せるのか?」
「本来ならば無理です。でも常に温かい工業用水が流れている地域ではうまく生きているようですね。龍神池は意外と縦長なので、温度が下がりにくい底のほうでじっとして越冬していたんだと思います」
新井山はいつの間にか大人の頭ほどもある石を抱えていた。それを凍った池に思いきり投げつける。ミシリと音が鳴り、表面にヒビが入った。そこを今度は小さめの石でコツコツ削っていく。やがて、水面が顔を出した。
「う……」
「このにおい……やっぱり、この前の寒波で全滅してたみたいですね」
笠原の病室で嗅いだにおいを濃縮した悪臭が太田の鼻を襲う。暗くよどんだ水は、まったく底が見えなかった。
ふと顔を上げると、池のふちに何か光るものを見つけた。太田が目を凝らし正体を見ようとしていると、突然新井山に突き飛ばされた。
「急に何をするんだ!」
太田はとっさに受け身を取り、新井山に怒鳴るが、目の端に映った奇妙なものに視線を奪われた。
「太田さん、見えますか?」
新井山の見つめる先には、信じがたいものがあった。それは火の玉に囲まれ、燐光を放ちながら空中に浮かぶ軽自動車サイズの魚だった。鎧のようなうろこに覆われ、そそり立つ背びれを優雅に揺らしている。
「み、見える。なんだあれは」
「あれが祟りの正体、人間の都合で捨てられ死んでいった熱帯魚の怨霊。ゴーストプレコですよ!」
ゴーストプレコは優雅な動きで2人の周りを旋回しはじめた。目は悪意に満ち、自慢のかたいうろこでジワジワとなぶり殺してやるとばかりに体を震わせている。
「俺は幽霊の類なんて見たことないぞ!」
「ここは敵の本丸ですよ。あまりにも強い怨念で霊感のない人でも見えるようです。しかしここまで強いとは予想外でした」
防御に使ったのであろう新井山のカバンが真っ二つに裂けて足元に転がっていた。中に仕込まれた鉄板が割れてはみ出ている。新井山が突き飛ばさなければ自分がそうなっていたと察し、太田は身震いした。
「物理的に干渉できるほどだとはね。私もたかが魚と侮っていたかな」
『人間 殺ス』
どこからか声が響いてきた。このときまで自信満々な顔を崩さなかった新井山に動揺の色が見えた。
「話せるだと!?」
「話せるとまずいのか!?」
「太田さんにも聞こえた!?これはかなり手ごわいな……」
新井山の顔に汗が伝う。魚の霊といえど、すでに人間を何人か殺しているからかなり強い霊だと想定し準備をしていた。しかし並の低級動物霊と違い言葉を操るとは。相当年季の入った霊なのか、何かほかの呪いがかかわっているのか。思考に気を取られたほんの一瞬で、霊体熱帯魚が池を囲うように次々と出現しはじめた。
「ゴーストポリプテルスにゴーストアロワナ、ゴーストガーか。外来種そろい踏みじゃないですか」
『我ラ 捨テラレタ 飢エテホカノ魚喰ッタ 我ラ タチマチ池ノ王』
『人間喰ッテ 龍ニナル』
区切るように響いてくる声にあわせて、霊体熱帯魚は恐ろしい歯をむき出しながら猛スピードで迫ってくる。太田は柔道で鍛えた運動神経でどうにかいなしながら、新井山に呼びかける。
「どうすんだこれ、何か対策はあるのか!?」
「結論から言うと、総当たり戦です!」
新井山は、引き裂かれたカバンから数珠、十字架、お守りにお札、様々な小瓶など様々な宗教アイテムを取り出した。それぞれを霊体熱帯魚たちに見せたり張り付けたりかけたり唱えたりしているが、霊体熱帯魚たちに効いている様子はない。うろこ一つはがれることもなく、殺意をこめたタックルを繰り返し放つ。
「所詮は動物霊!信仰はお持ちでないようだ」
ゴーストアロワナが吹っ飛び太田のそばの地面に土煙を上げて墜落した。事態を把握できていない太田がゴーストアロワナが吹っ飛んできた方向を見ると、満面の笑みを浮かべた新井山が見えた。
「やっぱり動物霊にはこれだ!己の強さを示すのみ!」
新井山は綺麗なオーソドックススタイルに構え、堅固な鎧に覆われたゴーストプレコを正面から迎えうつ姿勢だ。目にも止まらぬ速さで襲いかかるゴーストプレコの鼻っ面を殴りつけ、川の向こう岸に吹っ飛ばした。見ていた太田は霊体熱帯魚には物理攻撃が有効らしいと気づき、とびかかってきたゴーストポリプテルスのエラとヒレを無我夢中でつかんで背負い投げを決めた。初めて触った幽霊は、ぬめりのついた布をつかんだ感触だった。投げ飛ばされたゴーストポリプテルスは池の中心へ飛んでいき、そこにいたゴーストガーにあたって氷を割ってしぶきをあげながら水中へ沈んだ。上がってくるのを待ち構えていると、濁った池が急に金色に光りはじめた。それから攻撃されぐったりしている霊体熱帯魚たちが急速に縮んで光の玉に変化した。あんなにおどろおどろしい姿をしていたのに、神々しさに圧倒される。2人が呆然としていると水面が揺れ、見覚えのある竜が出現した。地元民ならだれもが知っている、水光神社に祀られた龍神様だ。
『この責、私が請け負う。道弘によろしく頼む』
黄金に輝く龍神様は、光の玉をお供に空へ飛び去った。2人は口を開けたまま、顔を見合わせた。
ほどなくして駆けつけた佐藤たちは、現場で疲労困憊で座り込む太田と新井山を保護した。それから2人は長い調書を取られ、やっと解放されたのはずいぶん夜が更けたあとだった。
「よもや調書を取られる側になるとはな。一体全体どういうことだあれは。もう笠原は大丈夫なのか?」
「おそらく大丈夫でしょう。あの神社に祀られた龍神様がどうにか解決してくれたみたいです」
署内のベンチに座り、新井山は今回の顛末を話しはじめた。龍神池は水中に含まれるバクテリアや微生物が特殊で、生物の発育に良い影響を及ぼすといわれている。鑑識がどこの池の水かすぐ特定できたのも、その特殊な組成のおかげだ。そのせいで熱帯魚の体も巨大化し知能が上がっていたのだろう。しかし熱帯魚を放流する人が増えすぎて、池は天然の蟲毒状態になり、とくに濃縮した恨みを持つ個体が誕生してしまった。また廃神社によくない霊が集まっていたことらと大寒波で一気に熱帯魚が死んでしまったことが今回の祟りの原因である霊体熱帯魚を生み出した原因と推測している。
「あの龍神がなぜ出現したのかだけわからないんですよね」
「道弘は、祟りに倒れた巡査長の名前だ。おそらく、彼の飼っている金魚が助けてくれたんだよ」
霊体熱帯魚たちとのバトルを終えたあと、太田のスマホには病院にいるはずの笠原から連絡が入っていた。慌ててかけなおすと、いつもの元気な笠原の声が聞こえて、太田はため息をついた。笠原曰く、急に体調がよくなったと思ったら、母親から連絡がきて、家で飼っている金魚になぜか角が生えたといっていたと興奮気味に話していた。
「その金魚、龍神様の使いだったんだろうね。そのせいで魚の縁ができて、なんの罪もない彼が祟りにあったのだろうけど」
「今後の書類のことを考えると頭が痛いよ」
「いやぁ大変でしたね太田さん。今後もどうぞごひいきに」
「いやだね」
満身創痍なはずの新井山は別れの挨拶を済ませると、軽い足取りで警察署を後にした。
この度の事件を受け、ずっと滞っていた廃神社の取り壊しがとうとう着手されることとなった。山道を整備して登山客を呼び込む目論見らしい。龍神池は埋め立てずそのまま残され、休憩所になるという。人の目を増やし、外来種の放流を防ぎ、在来種を復活させ、観光資源にする。そしてそれらが完成した暁には標語も飾られることになっている。
『放すなよ 熱帯魚たちが やってくる 三森あおい』
神域で罪を犯した者たちは口から水吐き死ぬらしい 北路 さうす @compost
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