第2話

「被害者の肺から得られた池の水は、水光神社の龍神池のものでした」

 疲れ果てた顔で鑑識課の職員が説明をする。水光神社は西警察署付近の山の中腹にある龍神を祀った神社だ。広い境内には竜を模した注ぎ口から滝が出る大きな池があり、初詣に夏祭りと地元住民に親しまれていた。ところが後継者がいなかったため、数十年前に廃社している。当時は不良のたまり場となり問題視されていたが、ずいぶん朽ち果ててしまいだれも近寄ることはない。今は人気がないことをいいことに不法投棄や動物の遺棄が問題視されている。

「そこで殺されたということですか?しかしあの山道を通って被害者宅まで遺体を運ぶのは難しいのでは?」

「マンションの監視カメラ2週間分の映像を確認しましたが、そのような映像は記録されていません。また被害者宅を訪れる不審な人物もいませんでした。池の水を貯めていただろう容器も見つかっていません。今そろっている証拠では、急に被害者の肺から池の水がわきだしたっていう意味不明な説明しかできないんですよ」

 検死の結果、被害者は発見される6時間前には死亡していた。そして死因となった池の水は被害者の口の中と、被害者が吐きながら動いたであろう軌跡上にしか検出されていない。監視カメラに映らず大量に池の水を持ち込んで、無理やり水を飲ませて溺死させる方法も考えられなくもないが、被害者は苦しんだ様子はあれど無理やり押さえつけられて抵抗したような外傷がない。また被害者の家の中には、不審な人物が侵入した痕跡は一切存在しなかったのだ。そこまで説明した渡部は、資料を机の上に投げため息をついた。

「さらに病院で同じような症状の人間がたくさん担ぎ込まれて祟り騒ぎ?お祓いでもしてみるか?」

 投げやりになってしまった渡部を慰めながら、会議は一旦解散となった。


 太田は捜査の合間を縫い、笠原の面会へ向かった。数日ぶりの笠原は、少しやつれていた。前回の見舞いのあとには退院できる予定だったのだが、何度も水を吐く発作に襲われ、入院が長引いてしまったのだ。

「さすがにつらいです。僕の吐いた水も、龍神池の水だったんですよね」

 会議のあとに、警察は病院へ正式に調査協力の依頼を出した。病院も未知の病気を疑い、警察と保健所に報告をする予定だったようで、資料は詳細なものがすぐに上がってきた。その資料には、入院患者のうわさ話と一致する内容が記されていた。8人の患者が大量の水を吐き緊急搬送されるも、点滴で症状が改善し数日で退院となる。しかしその後4名が衰弱した状態で再度入院となり、3人が病院で息を引き取っている。彼らの吐いた水と、笠原が吐いた水を鑑識に回したところ、龍神池の水だということがわかった。

「懐かしいなぁ。水光神社には、昔はよく遊びにいっていました。縁日で捕まえた金魚、まだうちにいるんですよ」

 笠原はうつむいて笑う。「どうして俺なんだろう」とつぶやく声を、太田は聞き逃さなかった。

「今、他の管轄でも同じような被害者がいないか調べている。俺たちがしっかり解決してやるから、めったにない休みをかみしめてな」

「頑張って寝ようとしても、夢の中で腐りかけたでかい魚たちに追いかけられるんですよ。このにおいのせいかもしれないですけど、まったく嫌な夢ですよ」

 病室には、どぶ川のにおいが漂っていた。輝いていた笠原の瞳は、よどんだ沼のようになっていて、太田の声は届いていないようだった。

 いたたまれなくなって病院から逃げるように立ち去る太田に、病院正面のベンチで待ち構えていた新井山が声をかけた。

「まだ寒さが厳しいですね。捜査の進捗はいかがですか?」

 新井山はぬるくなったコーヒーを差し出すが、太田はそれを断り自販機でホットコーヒーを買う。

「祟りってのは一理あるのかもしれないって考えはじめたよ。捜査情報を漏らすわけにはいかないから協力はできないがな」

「じゃあ、とりあえず私の話を聞いてくださいよ」

 新井山は赤くなった鼻をこすり、太田の隣に座って勝手にしゃべりはじめる。

「被害者たちの共通点がわかりました。被害者はみんなアクアリウムにはまっている時期があったんですよ」

 太田は、井上宅にもカラフルな魚の入った水槽があったことを思い出した。

「それだけならこの町に何人もいるじゃないか」

「まぁまぁ、被害者たちはそれに加えて、どうやらちょっといけないことをしているようなんです」

「いけないこと?」

「まだ仮説ですが、全員外来種である熱帯魚を放流したことがあるみたいです」

 外来種の放流は生態系に著しい悪影響を及ぼす。とりわけ特定外来種を放流した場合、警察に逮捕されて刑事罰が下る可能性もある。

 新井山はカバンからノートパソコンを取り出した。画面にはSNSの投稿をまとめたファイルが表示されていた。

「これは1人目の被害者である増本洋二の資料です。」

 画面には金髪の男を含む数名の若者が騒いでいる動画が映っていた。夜なのか、暗い道を歩いている。水色のバケツを持ち中身を撮影者に見えるよう傾けると、中には70㎝程の立派なシルバーの魚が入っていた。一行はギャーギャーと声をあげながら移動し、やがてどこかへ到着した。金髪が『クソジジイの大切な魚、逃がしちゃいまーす!』と叫び、そのままバケツの中身を暗がりの向こうにぶちまける。激しい水音と大きな笑い声が聞こえて、動画は終了した。

「この動画は2年前に投稿され、当時大炎上しました。増本はすぐ動画を消したようですが、このアロワナの飼い主であった勤め先の社長にも知られ、解雇に至っています」

「アロワナ?」

「この魚の名前です。アマゾン川原産の熱帯魚です」

 新井山がシークバーにカーソルをあわせ、動画をゆっくり動かしていくと、撮影者の持つライトがあたって周りの景色が見える部分があった。鳥居と、広い境内に、特徴的なな竜を模した注ぎ口のある池。

「水光神社じゃないか」

「そうなんです。ほかの被害者も、おそらく飼育していた熱帯魚を水光神社にある龍神池に放流していると思われます」

 新井山は別のファイルも開いてみせた。

「2人目の被害者は、3年ほど飼育していたポリプテルスの水槽に、去年からは別の魚を飼っています。SNS内で指摘されると、大きくなりすぎて水槽が手狭だったから友人に譲渡したと言っていましたが、友人らに裏取りし、譲渡された人はだれもいないことがわかっています」

「そして3人目の被害者は、池の苔を除去させるとか言って善意から龍神池にプレコを3匹放流しています。また、彼らは熱帯魚の放流以外にも、水を大量に吐く、大きくて光る熱帯魚に襲われる夢や幻覚を見るという症状を経て死に至っているという共通点があります」

 調査結果を聞きながら、被害者の写真と見たこともない謎のにょろにょろごつごつした魚を見せられ、太田は面食らっていた。

「ちょっと待て、ずいぶんと気合の入った調査じゃないか!霊能者ってのはここまでやるものなのか?」

「実は私本業が別にありまして、いわゆる探偵会社に所属しているのですよ」

 新井山は以前渡したものとは違う名刺を差し出した。『上総あんしん総合探偵社 新井山千春』と書いてあり、下部には「浮気調査、いじめ対応なんでもお任せください!」としゃべる虫眼鏡のイラストが添えてある。

「そして、私の今回の依頼者、三森あおいさんです。彼女は同級生らに強要されて、教室で飼っていたグッピーやネオンテトラを龍神池に放流したと証言されています。そのときの録音や、移動時の監視カメラも確認がとれています。最初は普通のいじめ調査でした」

 再び開いたパソコンには、ランドセルを背負った女の子の画像が表示されていた。おっとりした顔つきで、笑顔がかわいらしい。だがその画像の次に表示されていたのは、壊された筆箱や濡れて破かれた教科書、罵詈雑言の並ぶスクリーンショットと壮絶なものだった。新井山が一つのスクリーンショットを拡大する。グループチャットで三森が4名の生徒に学校の水槽で飼っている熱帯魚を放流するよう強要している内容だった。そして決行日であろう日付を境に、学校に貼ってあるのだろう『はなさないで!外来種』と書かれたポスターを連投して罵倒する、なんとも胸の悪くなる内容だった。

「最近の子供はひどいことしやがる。これはいじめなんて生易しいものじゃないぞ」

「この件に関しては、そのうちそちらでお世話になると思います。依頼者のご両親と私の上司に許可は取ってありますが、できたらオフレコでお願いします」

 新井山は真面目な顔で指を口元に当てる。気圧された太田がうなずくと、パソコンをしまって勢いよく立ち上がった。

「さて、事件を解決しに行きますか!」

「ちょっと待て、まだ祟りと決まったわけじゃ……」

「私の調べた情報と太田さんの反応から、敵の本丸は水光神社の龍神池と推測されます!さっさと三森さんと笠原さんを助けますよ!」

「なんで笠原の名前まで知っているんだ」

 刑事の表情を読むなんて、この探偵はただものではないと太田は確信していた。新井山についていけば、笠原は助かるかもしれない。ひとまず佐藤に連絡を入れ、すでにかなり先を行く新井山を追いかける形で水光神社へ向かった。

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