神域で罪を犯した者たちは口から水吐き死ぬらしい

北路 さうす

第1話

 西警察署の刑事課一同が現場に到着したとき、あまりの悪臭にベテラン刑事の太田も顔をしかめた。

「なんだこのにおいは。仏さんからなのか?」

「こんな寒いときにガタガタ震えながらやってきて、室内は温かいかと思ったらこれまた地獄のような臭気ですね」

 玄関に入ったときから続く悪臭は、西警察署のそばを流れるどぶ川のものと酷似していた。太田の部下である佐藤は、このごろ街を襲う大寒波のおかげで久しぶりにクローゼットから引っ張り出してきたコートににおいが染みつくのを恐れて、パトカーに戻りコートを置いて引き返してきた。

「お疲れ様です、太田さん佐藤さん」

 しかめっ面の2人を見つけて、先に現場に到着していた最寄り交番勤務の巡査長の笠原が状況を説明しにきた。

「被害者はこの家に住む井上誠28歳、製薬会社の営業マンです。保険証と、このマンションの管理会社から確認とれています。第一発見者は出社しない彼を心配した同僚と管理会社の方ですね」

 太田はちらりと玄関を見やる。外で青い顔をしていた若者と初老の男性がそうなのだろう。聞こえた話によると、被害者は数日前から体調を崩し会社を休んでいたらしい。

 被害者は部屋の中心でこと切れていた。苦痛にゆがんだ土気色の顔、首を両手で押さえて、床に横たわっている。周りには小物が散らばっていて、被害者が死の間際に暴れたことが推測される。太田は被害者の写真を撮っている鑑識の渡部に声をかける。

「殺しか?」

「なんとも言えないな。ガイシャの状態はどう見ても殺しなんだが、侵入者の痕跡がない」

「まだ捜査も始まってないのに、言い切るじゃないか」

「このマンションオートロックだったろ?この部屋を訪ねた人物はいないんだ。今録画を洗っているが、ここ3日は被害者しか出入りしていない」

「そうか……それにしてもこの部屋はずいぶん臭いな。なんのにおいだ?」

「それが被害者から臭うんだよな。死亡してからそこまで時間は経っていない様子なんだが、どうやら口の中に水が溜まっていて、そこから臭うみたいだ」

 なるほど、被害者の口には水面ができている。自身の顔を反射するそれは見ていて気持ちの良いものではなく、太田は顔のシワをより深くして視線をはずした。太田はなにか手がかりはないかと部屋を見回すと、被害者の周りや机に散らばっている紙に、汚い字で魚と書きなぐってあるのが目に入った。

「魚……?」

「その紙、色んなとこに落ちてるんだ。それこそ風呂場や台所にも。もしかしたら変な薬でもやって、妄想に囚われて自分で水をがぶ飲みして死んだのかもな」

 部屋には大きめの水槽があった。ライトでさんさんと照らされた水槽には、色とりどりの魚が入っていて、飼い主の不幸も知らず悠々と泳いでいる。

「あの水槽の水をがぶ飲み?」

「調べてみないとわからないが、水槽からは変なにおいはしないから望み薄だろう」

 太田が現場の指揮を取っていると、外から怒号が聞こえた。

「笠原ぁ!お前何やってるんだ!」

 同時に、悪臭に音を上げて外で聞き込みをしていたはずの佐藤が駆け込んできた。

「太田さん、笠原さんが急に水を吐きはじめて……」

 太田が外の様子を見てみると、マンション前で交通整理をしていたはずの笠原が道路に横たわり水をげぇげぇ吐き出しているところだった。噴水のように吐き出される水は止まることがなく、人間の胃の容量をはるかに超えているようだった。笠原は救急車に乗せられ、近くの病院へ搬送されることとなった。


 次の日、太田と佐藤は笠原の入院する病院へ向かった。笠原から、事件の手がかりが見つかったかもしれないと連絡が入ったのだ。

 事前に聞いていた病棟に入ると、点滴をぶら下げた笠原が出迎えた。

「思ったよりも元気そうじゃないか」

「頑丈が取り柄ですから。それよりも、病院から話は聞けましたか?」

「聞き込みは今からだ。お前と同じような症状を訴える患者が多いんだろう?」

 3人はだれもいない談話室で小さくなりながら話す。笠原は救急車で運ばれたあと、検査の結果とくに異常は見つからず、とりあえず点滴をしてもらって症状は落ち着いた。笠原自身はさっさと退院して捜査に加わる気満々だったのだが、病院からの強い勧めで2日ほど入院して様子を見ることとなったのだ。元気になった笠原は、持ち前の人懐こさを発揮して同じ部屋の患者からいろいろ聞き込みをしていた。患者たちの証言によると、少し前に大量の水を吐き出す患者が数名続けて入院してきたというのだ。症状はすぐに落ち着いてすぐに退院していくのだが、その後2日もたたず衰弱した状態で戻ってきて治療のかいなく死ぬのだという。

「死ぬ?それは確かなのか?」

「水を大量に吐くってのは本当かもしれませんが、死ぬってのはうわさ話に近いみたいです。みんな祟りだっておもしろがっているだけかもしれません。そこで聞き込みのベテラン、太田さんですよ」

「まったく調子のいいやつだ」

「うわさが本当なら、僕もしばらくしたら衰弱して死んじゃうみたいなんで、早期解決を期待しております!」

「笠原君が退院するまでに解決しちゃうかもね」

 笠原はいつもの調子で話していたが、太田は笠原が無理に笑っていることを察していた。太田は非現実的なものはあまり信じていないが、それなりに刑事をやっていると、説明のつかない現象に遭遇することもある。うわさを払拭し笠原を安心させるべく、佐藤を引き連れ病院関係者に聞き込みをはじめた。


「それはお答えできかねます。上の者を通していただかないと」

 笠原から得たうわさ話を、病室近くの数名の看護師や医師を捕まえて聞いてみた。うわさなんてすぐ否定されると思っていたが、だれも表情を硬くして話してくれない。これは出直すべきかと悩みながら外のベンチでホットコーヒーを飲む。

「お悩みのようですね、刑事さん?」

 2人が顔を上げると、そこにはスーツを着た女性が立っていた。年は佐藤より少し若いくらいだろうか。

「どちら様ですか?」

「私、こういうものです。お2人は昨日入院された笠原氏のお知り合いですね?」

 手渡された名刺には『霊能者 新井山千春』と書いてあった。

「ありゃ、看護師さんかと思ったらこれはこれは……」

「霊能者に用はないし、どこで得た情報か知らないが話すことは何もない。ほかをあたってくれ」

 ベンチから立ち上がろうとする2人を新井山は慌てて引き留める。

「待ってください、水を吐き出して死ぬ祟りに心当たりがあるでしょう!?」

「祟りなんて迷信だろう。俺は刑事だ。事件ならちゃんとした物証を上げなきゃならないし、病気なら病院の仕事だ」

「私の依頼者も、今入院中なんです。水を吐いて、衰弱している段階です。被害者のにおい、症状……あれは祟りです!」

 新井山は2人を追いかけながら訴える。依頼者は現在ほとんど意識がなく、時々目を覚ましては錯乱状態に陥ることを繰り返している。あなたの後輩もいつかそうなって衰弱しそのうち死んでしまうのだ。だから協力してほしいと。

「太田さん、ちょっと話を聞いてみても……」

 不安そうな佐藤に部外者を巻き込む必要はないと言おうとしたが、佐藤のスマホに着信がありそれはかなわなかった。

「……えぇ、わかりました。伝えておきます」

「今渡部さんからだったんですけど、被害者の死因が溺死と判明したそうです」

 電話は、検死結果と遺留品の調査結果を知らせるものだった。井上の肺は濁った水で満たされており、それが原因でもがき苦しみながら溺死したということを伝えられた。

「それから、その水は部屋の水道水や水槽の水ではなく池の水だったみたいです」

 2人は詳しい話を聞くため急いで署に戻った。残された新井山は、1人病院へ踵を返した。

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