拠悪
銅座 陽助
第1話
最初は、中学生の頃でしたか。ちょうどその時は授業中で、ああ、なんの授業だったかはもう忘れてしまったのですが。先生が黒板にものを書いているときに、教卓の上に出てきたのが最初です。
[話さないでください]って書かれた、白地に黒の立て札でした。
手書き看板、といってわかりますかね。テープなんかで養生しながら筆で書く、角の取れたゴシック体みたいな、のっぺりとした書体です。それで書かれた、大きさが……ちょうどそこにある消火器くらいの大きさですね。それくらいの大きさの看板が、教卓の上にあったんです。えぇはい。縦書きでそう書いていました。
誰かが置いたというよりも、急に現れたという様子でした。瞬きをした瞬間に出てきたというか、前後で誰かが置きに来た様子は無かったものですから。
最初は一番前の、教卓の目の前にある席に座っている人がイタズラで置いたのかとも思いました。
名前は思い出せませんが、お調子者というか、そういった生徒が前に座らされたりするじゃないですか。いまはもう、目が悪くて黒板が見づらい人だけとかかもしれないんですけど、その当時はまだ教員の権力と言いますか、それが強かったものですから。たぶん、その時もそういう生徒が前の方に座っていたんだと思うんですが、そういう生徒が置いたのかと。
先生は板書で背を向けているわけですから、もちろん気が付かないわけです。
一番初めに声を上げたのは、私の席の右後ろのほう、一番後ろの列ですね、そこに座っている。ええと、すみません、忘れてしまったのですが、たしか元気のいい運動部の、いわゆるカースト上位の生徒だったと思います。
その彼が何か声を上げて、「せんせー、それなんですかぁ?」みたいな調子だったかな。煽るような、おちゃらけた感じの、半笑いで声を上げたんだと思います。
先生はそう言われて、板書の手を止めて振り返ったんですけど、その時にはもうあの看板は消えていました。
すこしきょろきょろと見回したあと、「なにがですか?」だったかな。そんなことを言ってたんですけど、誰も声をあげないわけです。私一人の幻覚とか、見間違いというのは後ろの彼が声を上げたのでたぶん違うと思うんですが、そんなふうに急に看板が出たり消えたりするってのはまず普通じゃないことなので、先生が疑うのも無理はない話だし、私たちが黙ってしまうのも仕方ないことだったと思います。
ただ、問題はその次で、「誰ですか、いま言ったのは」と聞いてきたんです。私たちは当然、声を上げた彼のほうを振り返るわけですけれど、そこには誰も居ませんでした。
えっ? って思うでしょう。さっきまでそこに居たはずの生徒が居なくて、机と椅子だけが置いてあるんです。
私も、あれ、彼は今日休みだったかな、と思いました。みんながその空っぽの席のほうに注目するものですから、先生もすこし怖くなった様子で、「えぇと、その席は」と教卓の上にある座席表といいますか、それが入ったファイルのほうを見ていたんですが、しきりに首をかしげていました。これは後で、というか授業が終わって、その後の休み時間で確認したんですが、ちょうどそこの席のところは空白になっていて、名前が書いていなかったんです。
とにかく授業中の先生は、それに困惑していたらしくて、頭の上に疑問符を幾つか浮かべたまま「まぁいい」といって板書に戻っていきました。
私もすこし不安になったものですから、教室の後ろのほうにあるロッカーを見たんです。休みだったら置き勉にした教科書とかファイルなんかだけで、とにかく通学かばんは入っていないだろうと思って。そうして見たんですけど、空っぽでした。教科書はともかく、みんなファイルは後ろのロッカーに入れてるんですけど、それすらなかったんです。
すこし不思議に思ったんですけど、あぁそういうものかと思って、妙に納得したような気がします。
なんとなく、わかりましたか? 要はつまり、看板に書いてあるルールを守らなくちゃいけない、ってことです。
そして、ええ、はい。私は「最初」と言いました。
その後も何回か、似たようなことがありました。
二回目は、下校中だったと思います。最初のそれから、半年くらいあとだったかな。私は美術部だったんですが、その部活動で遅くなって、同じ部活の数人と帰っていたように思います。クラスは同じだったり、違ったりしたんですけど、その時のメンバーはみんな同学年でした。
まあ、はい。人数を明言しなかったのでわかると思いますが、それで多分、消えたんだと思います。記憶の中の美術部のメンバーに、居たかどうかあやふやな、顔も名前も思い出せない人が居るのです。
路地を雑談しながら歩いていると、前の方の道の真ん中に、看板が立っているのを見つけました。[動かないでください]でした。
私と、私と同じクラスの人は、以前おなじことがあったのを知っているので、その場でぴたりと止まりました。別クラスの人も何人かは、急に止まった私たちに歩調を合わせて止まっていました。ただそのときちょうど話していた、ええ、例によって名前は思い出せないのですが、その人が「なにこれ? こんなのあったっけ」と、道の真ん中の看板に向かってずんずん歩いていくのです。
私は思わず、「待って!」と手を伸ばしました。瞬きをした次の瞬間には、その友人、友人だったかも思い出せないのですが、その友人は居ませんでした。
私たちは困惑して、そのあとに怖くなって。その日はみんな黙りこくったまま帰りました。
ただ、その日お風呂に入って、自分の手を見て、気づいたことがありました。私があのとき咄嗟に手を伸ばして、つまり「動いた」にも拘わらず、私は消されなかったのです。当時は推測でしたが、あの看板に違反して消されるのは、一度に一人までらしいというルールを見つけました。
よく考えれば私が手を伸ばす直前に消えているとか、看板までの距離なんかが関係あるとか、別のルールがあって偶然助かったのかもしれませんでしたが、とにかく私が助かったのは事実でした。
……
………
ああ、すみません。今そこに、[話してはいけない]という看板が立っていたんです。あなたの背後の方だから見えなかったですよね。まぁ、視認しなければ問題ないみたいなので、むしろあなたに見えなくて幸運でした。
えぇ、この看板は今も続いています。それも、少しずつ多くなっているみたいで。最初は半年に一回くらいのペースだったんですが、次第に数か月に一回、数週間に一回と増えてきているんです。
今は大学生なのでそんなに困らないんですが、このあと社会人になったら困るな、とは思いますよ。例えば取引先と打ち合わせしているときに出てきたら、とか。
今回私がこうやってここに来ているのも、どうにかしてこれを解決できるといいなという、淡い希望を抱いてのことでもありますからね。といっても原因がわからないので、今のところどうしようもないんですが。
霊能者だとか占い師だとか、神主やお坊さんの類は一通りあたったんですけど、見ての通り効果は無かったみたいでして。もちろんお医者さんにも掛かりましたけど、箸にも棒にもかからずといった有様ですよ。
すみません、話が逸れましたね。その後も例の看板は何度も出てきました。印象的なものを挙げると、高校生の時の、体育の時間に出たものですかね。
その時間は体育館でバドミントンの授業だったんですが、私は体調が悪かったので見学をしていました。二人一組でペアを作って、2on2で試合みたいなことをやっていました。
片方がぎりぎり羽を打ち上げて、甘い球になったところを相手がスマッシュを打ち込もうとして飛び上がった瞬間でした。[触らないでください]という看板が、体育館のステージの上に出てきました。
甘い球を上げたチームがステージ側のコートに入っていましたから、スマッシュを打つ側の生徒からは、ちょうどその看板が見えたと思います。慌てて打つのをやめようとして止められなかったのか、それともラケットで打つ分には問題無いだろうと思ったのか、横から見ていた私には判断が付きませんが、少しよろけた様子で羽は打たれて。数瞬後にラケットが床を打つ硬い音が聞こえました。
しばらく周囲は騒然としていましたが、次第に騒ぎは収まって、持ち主のいないラケットはラケット入れに戻されました。なぜか相方無しの、一人で試合をしていた生徒には先生がペアについて、そうして体育の授業はそのまま続けられました。
他にもいくつかはありますけれど、怖いのは、どうにも思い出せない場合があることです。出現ペースといいますか、頃合いからしてそのあたりに看板は出ているはずなのに、何が起こって誰が消えたのか、なにも覚えていない時期があるのです。一番恐ろしいのは、そういうものです。
他に気付いたこと、ですか。看板の内容は、どれも否定形というか、「○○しないで」という形で表されることが多いですね。さっき話した通り、「話さないで」とか、「動かないで」、「触らないで」。他には「止まらないで」や「乗らないで」、「書かないで」とか。
珍しいというか、変なところだと「聞かないでください」もありましたね。ちょうどテレビを観ていたのですが、急いで両手で耳を塞ぎました。
実際のところ、隙間から漏れ聞こえてはいたのだと思いますけど、私はこうして消されないでいますから、つまりはその指示に従う意思を示すというか、そういう行動を取ることが大事みたいです。
例えば「触らないでください」の時も、厳密にいえば私は体育座りで自分の脚や腕を触っていましたし、他の生徒もラケットを握って触っていたので、厳密にいえばアウトのはずなんですけど、そういった不可抗力的なものは大丈夫みたいです。
ああ、それと。この看板ですが、別に私の近くにだけ出るというわけでも無いんですよ。あのとき、一番初めに看板が出てきた時のクラスメイトは全員、似たようなことになっているみたいです。中高一貫だったので在学中は気が付きませんでしたけどね。
そうだ、見てください。これは卒業写真なんですが、空欄がいくつもあるでしょう? 卒業後に会っていない人も居ますから、たぶんそういうことだと思います。
そのうち私も消えてしまうかもしれませんから、出来るだけはやく解決してほしいものです。
怖くないのか、ですって? そりゃあ、怖いに決まっていますよ。急に自分の存在が消えてしまうかもしれないっていうのは、とても怖いです。
その割には落ち着いているように見える、と。
それは、まぁ。一種の慣れと言いますか、麻痺と言いますか、諦めのようなものです。どうせ人は死ぬのだからという安っぽいニヒリズムの中にしか救いが無いものですから、頑張って信じているんですよ。
とはいえ、虚飾虚勢なことは自覚していますから、こうして回避するための努力はなんとかしているんですけ……伏せてください。
[読まないでください]
拠悪 銅座 陽助 @suishitai_D
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