はなさないで~切れたベルトが繋ぐ縁~

kayako

友達でも、恋人でも、赤の他人でもない。そんな微妙な時期。



 私は花野はなの佐奈さな。この前30の大台に乗ってしまったいい歳のOL。

 ずっと仕事で忙しい日々を過ごしてきたけど、この前ようやく、真剣にお付き合いしてみようかな?と思える人に出会った。

 名前は井出いでさん。35歳のサラリーマンだけど、ぱっと見25ぐらいにしか見えない。

 童顔とイケメンの中間ぐらいな感じか。背もそこそこ高いし、鼻筋も通っているし、ボサボサに見えるけどそれなりに整えられている短髪、そして少し垂れた大きな目が印象的。

 よく気がつくし、お互い趣味も合うしで、結構話が弾んで。


 そして今日は、出会って3回目ぐらいのデートとなる。

 でもお付き合いするかどうかまだ分からないから、デートというよりはその前の段階かな。

 私も井出さんもそこそこ引っ込み思案な方だから、お互いまだ敬語だし。


「ありがとうございます、花野さん。

 今日はわざわざ、カフェを予約していただいて……」

「いえいえ、こちらこそこの間はありがとうございました。

 連れていってくださったイタリア料理のお店、すごく美味しかったし」

「そりゃ良かったです!

 実は僕、あぁいうオシャレなお店とか予約するの、慣れてなくて……」

「えへ、実は私も。

 今日のカフェもかなり悩んだんですよ!」


 まだお互いこんな感じで、相手に対して二歩も三歩も引いている。

 要はお見合い直後の男女。互いが互いの恋人として、あるいは伴侶として相応しいか見極める、腹の探り合いの段階。

 私も何度かこういうお付き合いまでは出来たけど、だいたいこの段階でフラれたなぁ。学生と違って、このトシになると容易に「とりあえず付き合ってみない?」とか言えないし。

 ……って、それはともかく。


 この前会った井出さんはキッチリした黒スーツにネクタイ姿だったけど、今日の彼はぱりっとした白シャツにジーンズというラフな格好だった。

 ラフとはいえ、シャツはちゃんとアイロンがかかっているし、ジーンズもその細身にかなり似合っている。細かいところで気合入れているし、角度によってはグラビア雑誌から抜け出たかのようにカッコイイ。

 私もとっておきのパステルピンクのワンピで来たけど、井出さんも相当だ。

 爽やか笑顔の彼を見つめながら、私は思った――

 今日のデートは、イイ感じになりますように!



 それから1時間。

 予約済みのオシャレカフェで食事をして、話も結構弾んできた頃。

 ふと、井出さんが席を立った。


「す、すみません、花野さん。

 ちょっと、お手洗いに行ってきます」

「?

 え、えぇ……どうぞ」


 少し焦ったような表情で、そそくさとトイレに立つ彼。

 せっかく楽しく話していたのに、ちょっともったいない――

 そう思いつつも、私は彼を待ったが。



 10分……そして20分経過。

 トイレにしては、少し遅くない?

 私は少しイラつきながら、時計を何度も確認する。


 同時に不安になってしまう――

 気が付かないうちに、自分が何か粗相をしたのかと。

 自分が何かしら、失礼なことを言ってしまったのかと。


 これまでも何回か、男性とこういうお付き合いをしたことはある。

 だけどいずれも、ちゃんとした交際に至らずダメになってしまった。

 引っ込み思案すぎたのもあるけど、自分でも気づかないうちにウッカリ失言してしまうこともあるらしく。


『見た目に反して時々言葉が乱暴になるのが気になる』だの

『心を開いてくれない感じが半端じゃない』だの

『真面目なのはいいけどすごく手厳しそう』だの。

 かと思えば、『もう少し男を引っ張ってくれるタイプと思ってた』だの……


 全く。どいつもこいつも、好き勝手ばかり言いやがって!の一言を言いたくなる。

 一体相手に、私のことはどう見えてるのか。私にナニを求めているのか。

 私はただの、ちょっと引っ込み思案なOLだってのに。



 そんな風にイライラしているうちに、30分経過。

 もう何回、ウェイターから水を注がれたか分からん。


 ――いくら何でも、遅すぎる。

 まさか、トイレから逃げられたんじゃ?


 そんな考えすら頭をよぎったけど、一応彼のカバンはまだここにある。

 いくらデート相手が嫌いになったからって、荷物放り出してトイレから逃げ出すか?

 ありえん。他の無礼な男ならいざ知らず、井出さんはかなり誠実そうに見えたのに。


 ――まさか、お会計すらイヤになってバックレ?

 いや。いやいやいや、井出さんに限って、それは!!



 最悪の想像を、必死で否定する私。

 しかしそうなると今度は、別の心配が頭をもたげてくる。


 ――もしかして、トイレで何かあったんじゃ。

 ――床で滑って、頭打って気絶した?!


 いや。いやいや、さすがにそこまではないにしても。


 ――もしや、何かおかしなものにでも当たった? 私が選んだカフェで?

 つまり、私のせいで??


 その考えに至った時、思わず私は立ち上がってしまっていた。

 咄嗟に井出さんのカバンと自分の荷物を持って、慌ててトイレに向かう。

 カフェのトイレは店のやや奥にあり、男女別である。勿論男子トイレに踏み込むわけにはいかず、私はそこで待っているしかなかったが――


 あと5分待っても出てこなかったら、店員さんを呼ぼう。

 そう決めて、私は男子トイレのドアを睨みつけた。

 ――すると。



「……あっ」



 真っ青な顔して出てきた、井出さん。

 どうやら逃げられたわけではないと分かってホッとしたけど、その額からは脂汗が噴きだしている。

 あぁ。もしかして、やっぱり、何か当たっちゃったのか。


「だ、だだ、大丈夫ですか!?

 なかなか戻ってこないから、心配で!!」

「あ、す、すす、すみませんっ!」


 私を見て、大層慌てた様子でお腹をおさえる井出さん。


「ごめんなさい。もしかして、お腹痛めて……?」

「え?

 いや、えと、違うんです。これは、その……」


 必死で違うと言い張る彼だけど、お腹から決して手を離そうとしない。

 でも、私が両手に二人分の荷物を抱えていることに気づいたのか、すぐに言ってくれた。


「あ、ごめんなさい!

 僕の荷物、持ってきてくれたんですね。とりあえず、ここから出ましょう。

 勿論、お会計は僕がしますから!」

「いやいや! 割り勘にしましょうよ」

「いえ、すごくお待たせしてしまいましたし。ここは僕に払わせてください」





 そうして井出さんは私から自分のカバンを受け取ると、そのまま二人分の支払いをしてくれた。

 ただその間も、何があってもお腹から手を離そうとしない。

 顔色は青ざめ、汗はどんどん噴き出している。

 戻ってきてくれたのは嬉しいけど、これじゃもっと心配になってしまう……




 とりあえず私たちはカフェを出て、近くの公園のベンチに座った。

 体調が悪いのなら、少し休んでもらわないと。


「あの、井出さん」

「……すみません。ご迷惑おかけして」

「ごめんなさい。井出さんの具合にも気づかず、私、調子に乗ってしまって」

「え?

 いや、その、違うんです花野さん。別に、体調は何ともないんです。

 ですけど……」


 少し困ったように彼は目を伏せ、申し訳なさそうに呟いた。


「……すみません。

 今日はここで、お開きにしませんか」



 うわぁ、きた。

 相手から縁を切られる時の常とう句――

 この言葉を聞いて別れたら最後、その相手と二度と会うことはない。少なくとも私の場合!

 これを聞かされるたびに、どれだけ失望してきたか。



 でも。

 それでも井出さんは、違うと思っていたのに。



 そんな想いがあまりに強かったのか。

 私は次の瞬間、思わぬ行動に出てしまった。


「そんな。

 突然そんなこと言われても、困ります!」


 そそくさと立ち上がろうとする彼の腕を、思わず掴もうとして――

 何と、彼の腰のあたり。つまりベルトのあたりを掴んでしまったのである。


「う……うわぁっ?!」

「……えっ?」


 その時偶然にも、私は気づいてしまった。

 掴みかけたのは、彼のベルトのバックル付近。その根元からベルトがちぎれかけて、ベルトとしての用をなさなくなっていることに。







 数分後。


「す……すみません、花野さん! 

 本当に、すみませんっ!」

「いいんですよ。

 良かった、井出さんの体調が悪くなったんじゃなくて」


 コトの真相を知ってすっかり安心した私は、彼のベルトを掴んだまま、意気揚々と歩いていた。

 井出さんはすっかり小さくなったまま、片手でカバンを抱え、もう一方の手で必死にベルトを押さえている。



 ――要するに、こういうことだ。

 カフェで話に夢中になっていた時、彼は自分のベルトがちぎれかかっているのに気づいた。

 慌ててトイレに駆け込んで直そうとしたけど、既に時遅し。

 ハンカチやらでどうにかしようとしたけど、バックルの根元からちぎれかけたベルトはどうしようもなく、時間だけが経過してしまったというわけ。



「僕……前からこんな感じなんです。

 大事な時にしようもないミスをしては、お相手に失礼なことをして失望されたりはしょっちゅうで……」


 カフェでの流暢な会話がウソみたいに、しどろもどろになっている井出さん。

 多分そういう不運も重なって、今まで相手に恵まれなかったのだろう。

 でもそんな彼は――何故だか、とても可愛く思えた。

 そこそこイケメンで頼りになりそうとは思っていたけど……こんなに可愛らしい一面もあるなんて。


「私だってそうですよ?

 知らないうちに相手に失言したり、勝手に失望されたりで、フラれたのなんて何度あったか分かりません」

「そう……なんですか? 花野さんも?」

「はい。

 でも、何だか今回の件で、ミョーに気が抜けました!」


 何だかおかしくなって、笑ってしまう。

 それにつられたかのように、井出さんもちょっと笑ってくれた――が。


「あ、あぁ! ちょ、放さないで!!」

「あ、ごめん!……なさい」


 ベルトが壊れたズボンは、もはや二人の手で押さえてないとすぐにずり落ちてしまう状態。

 井出さんは真っ赤になりながら、上目遣いに私を見つめてくる。

 ヤバイ。その大きな眼でそんな涙目になられたら、

 ……ものすごく可愛いんですけど?


「こ、このこと……

 誰にも、話さないで……もらえますか?」

「うーん、それはどーかなぁ?

 私、意外と口が軽いから、すぐ喋っちゃうかも?」

「え、えぇ!?

 佐奈さんって、結構真面目で大人しそうな人に見えたのに」

「そう言われますけど、心じゃ相当おしゃべりっすよ?

 口に出さないだけで」

「え、そうなん……

 って、うわぁっ!?」


 二人で歩きながらベルトを押さえているから、ちょっと油断するとすぐにズボンは落ちそうに。

 それを慌てて引っ張り上げようとして――



 私と井出さんの手が、触れ合った。



「……」「……!!」



 井出さんだけじゃなく、私の頬も一瞬、真っ赤になってしまう。

 こんな風に男子と手を触れ合うなんて――中学のダンスの授業以来?



「あ、あの、佐奈さん」

「は、はい……」

「お店まで……手、離さないで、ね?」

「……うん」


 その日――

 替えのベルトを買うまで、私と井出さんはずっと、お互いの手を離さなかった。





 ――そして。

「花野さん」が「さなちゃん」になり、「井出さん」が「いでっち」になるまで、そこまで時間はかからなかった。




Fin

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