マッドサイエンティストも笑う


 月曜日の昼休み。ふわぁとあくびをしながら教室を出る。昨日は切りのいいところまで勉強してたら、いつもより寝るのが遅くなった。サボってる分一応自分なりには勉強している。おかげで成績は悪くない。

 やっぱりお昼は眠くなっちゃうんだよなとなんとなく教室を出て、さして行きたくもないトイレへ行こうとしているところ、またあの集団に遭遇した。

 気づいたのは本当に偶然だ。トイレトイレと歩いていたらなんか大きめの声がして、そちらに顔を向けるほどではないが意識だけは向けたらなんか既視感のある集団がいた。デジャブよデジャブ。まぁ、それが奴らだったわけだが。我ながらよく気付いたなと思う。快挙よ。すれ違いそうになっただけで知り合いに気づくなんて。


 そいつらは二年生の教室の並ぶ廊下にある、手洗い場の前に集っていた。教室から出た中途半端な場所に立ち止まってそれを見てみれば、やはり一番背の高いのに隠されるようにして背の低いのが混じっていた。なんか若干剣呑そうな雰囲気?一番背の高いのが低いのを威圧するような距離にいた。見えるのは背の高い奴の背中なんで詳細はわからんが。


 ほーん、と思いながらそれを眺める。全然よくわからないがあまりいい眺めではないな。むしろ悪いの部類に入る。だったら立ち去ればいいのかもしれないが、それはそれでどうなのだろうか。それをしたらさらにこの気持ちの悪さが増す気がする。

 この気持ちの悪さは何に向いているんだろうなと考える。

 俺が見ていることに気づいたくらいでまるで悪者みたいにその場を去る集団にか。それとも俺がうっかり関わってしまったがゆえに今何となく気にしてしまうあいつにか。それら全体的に面倒くさいという感情が一番を占める自分にか。


 なんだかため息でも吐きたくなった。ここでしてもよくわからん人になるだけだからしないけど。嫌も何も俺の問題じゃないし。一気に面倒くさくなって全部投げ出したくなってきた。

 もう面倒くせぇなトイレ行こ、と足を踏み出した。その前に少しだけ、背の高いのの向こうにいる、背の低い奴と目があった気がした。気のせいだったかもしれない。


 でもその時、確実に異変は起こり始めた。


 最初は小さなくぐもった声だった。それはどんどん急速に成長していった。そんな過程なんてどうでもよくなるくらい大きな声になった。

 思わず足を止め目を向ける。周りにいる連中もそうだ。さっきまで廊下は歩くものというルールに従い、ただの日常を過ごしていた奴らが、一斉に動きを留めてただ同じ一か所を見つめた。そうせざるをえなかった。


 言葉ではない。「あ」とも「お」ともつかないその奇妙な大声が泣き声だと気づくのに、いったい何秒かかったろうか。


 そうだ。奴は泣いていた。それはもう大声で泣いていた。お菓子をねだる三歳児だってもう少し加減するぞってくらい泣いていた。


 集団の中の高い背中はたじろぐように後ずさった。その他集団の何人かも一つの生命体のように同じ動きをした。

 おかげで奴の顔がよく見えた。くっしゃくしゃの顔だった。

 あの綺麗な顔が見る影もない。いや面影くらいはあるけれども。それでもそれがなんぼのもんじゃいと言わんばかりに絶えず涙を流し続け、大口開けて。何なら鼻水まで出ている気がする。

 集団はさらに後ろへと下がる。たじろぐ。逃げる。気圧される。奴から。


 その光景。


 自分の顔がゆがむのが分かった。口元には力が入り、目は細くなる。不可抗力に口が開いた。




「イヒャヒャヒャヒャ!」


 俺笑い方変なんだよな。

 イヒャヒャウヒャヒャと笑い続ける。腹を抱えて笑い続ける。なんならもうアーハッハッハァ!みたいな悪役サイドのマッドサイエンティストみたいな声も出た。

 馬鹿みたいに笑い続けながら、馬鹿みたいに泣いている奴の元へとふらふらと近づく。笑い過ぎてなんか頭ぼんやりしてきたし、マジで前後不覚という感じで体が言う事を聞かなかった。

 俺とあいつの周囲だけぽっかりと人のいない空間ができていた。わしゃわしゃとした集団もいつの間にか消えていた。逃げたんだ。あいつから。あいつの泣き声から。最高かよ。確かに泣かなきゃいいってわけじゃあない、みたいなことは言ったけどさぁ。じゃあ大泣きすればいい、にシフトするとは思わんじゃん。そう来るとは思わんじゃん。最高かよ。


 奴はずっと泣いていた。大口開けて、小さい子どもみたいに全力で泣いていた。でも俺は知っている。こいつは勇気ある泣き虫だ。愛すべき馬鹿だ。最高かよ。だってあいつらもう見る影もないぜ。


 近くに行ったら奴が嗚咽のすき間に「止まらない~」みたいなことを濁点まみれに言っているのが分かった。ヒャー!っと自分ののどから変な笑いが出る。もう膝から崩れ落ちそう。とどめを刺される前に必死で口を開いた。


「ヒロト」


 止まらぬ嗚咽を携えて、涙の流れる目が俺を見た。やっぱり鼻水も出てるのが見えて、顔面と腹筋がひくひくと痙攣するする。明日は筋肉痛かもしれない。俺ののどからまた変な笑いが出る前に言葉を吐いた。


「お前、最高。すげぇよ」


 それを聞いたあいつは笑った。涙でべちゃべちゃで、鼻水も出てて、嗚咽も止まっていなかったが。それでも確かにあいつは笑った。汚い顔で、決して綺麗とか美しいとかは似合わない。でもその笑顔は最高だった。


「ゔん!……ヴぇっ」


 そんでえずいた。

 アーハッハッハァ!と笑いがこぼれる。もう俺の笑いの基準馬鹿になってんな。でもまぁいいだろ、あいつも笑ってるし。泣きながらだけど。


 笑い過ぎて頭はぼんやりするし、顔面と腹筋の痙攣が止まらんし。おまけに涙まで出てきた。にじむどころじゃない。目に浮かび上がった水分が瞼を閉じた拍子にするりと落ちていく感覚がした。


 反射的に思った。

 俺泣いてる。


 なんかやけに面白くて笑いが止まらなかった。涙も相応に滲んで落ちた。ずっとずっと笑い続けた。笑い過ぎて涙が出てきたら拭った。あいつはずっと泣いていた。笑いながら、でも「止まらない~」みたいなことを濁点まみれに言ってずっと泣いていた。そんで俺はまたヒャー!ってした。


 それは先生が来るまでずっと続いた。

 ヒロトはずっと泣き続けて、俺はずっと笑い続けた。

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