絡まった縄跳びもいつかは解ける
共働きの両親はまだ帰ってこない。今日は金曜日だし。お昼寝でもしちゃおっかな。もう夕方だけど。そんなことを思ってベッドに転がる。なんかもうなんもしたくねぇ。
ピンポーン、と間の抜けたような焦燥感を掻き立てるような、それを両立させるインターホンの鳴る音がした。どたどたと自分の部屋から小走りに出て、うぇーい、となんとなく声を出しながらインターホンの画面をのぞき込む。うぇーい、と今度は驚きの声が出た。奴がいた。
通話のボタンを押す。
「どうした」
マジでどうした。
「あ、あの宿題持ってきました」
「おーん、ありがと。ちょっと待って」
通話を切る。
いやどういうこと?なんでてめぇが宿題持ってくんのよ。家とかどうやって知ったのよ。怖。
何にもわからないがとりあえず玄関のドアを開く。曇り空を背景に学校帰りなのが丸わかりの制服姿の奴がいて。その手にプリントを挟んであるらしいクリアファイルを持ってるから、とりあえず宿題を持ってきたのは本当らしいとわかった。
「あの、これ」
クリアファイルから数枚のプリントを取り出して渡される。それとサボった数学の授業範囲を教えてくれた。
「ありがとう」
「うん」
とりあえず受け取る。
……どうしよ。え、これはあれかい?とりあえずあがってく?って聞かなきゃいけないやつかい。いやなんですけど。あんま知らない人をうちにあげたくない。でも奴はなんかもじもじしてるし、去る気配ないし。
「えー、と。あがってく?」
社交辞令です。察して。
「いや、大丈夫」
それは大丈夫らしいです。よかったー。でももじもじしてるし、帰らないし。なんなの。
「んじゃあ、玄関でも座れば。立ちっぱなしは疲れるでしょ」
「あ、うん。ありがと」
それは座るんだ。わっかんねぇなと首をかしげながら俺は玄関に胡坐をかいたし、奴は靴も脱がずにちょこんと膝を抱えるようにして玄関に腰かけた。そこからしばらく、奴は何にも言わないし、それじゃあ俺も何が何だかわかんないし。とりあえず疑問に思っていたことを口にする。
「なんで家知ってんの」
誰も招いた覚えはないし教えた覚えもないんだなぁ。
「あ、それは先生に聞いて……。そしたら月曜までの宿題があるからって、案外すんなり教えてくれた」
「個人情報……」
プライバシー……。ダメだろすんなり教えちゃあ。えー。個人情報がばがばすぎない?学校。怖。そんなもんなの?
それは僕もびっくりしたと奴は小さく首を振る。ほらー、聞いた方もびっくりしちゃってんじゃん。学校はもうちょっと反省して。というかなんでわざわざ先生に住所まで聞いて、って話よ。
「なんでわざわざ家来たの」
「っそれは」
奴は一瞬顔を上げてこちらを見て、玄関にそろえられた自分のつま先を見て黙ってしまう。そんな体勢を取られてしまうと小さな玄関にいる身では何もできない。ちんまりとした背中と小さな片耳が見えるだけだ。長い前髪は巧妙に奴の表情を隠していた。
そんな体を隠そうとするハムスターみたいな姿を見て思う。
こいつもなんかもやもやしたのかなぁ。気持ち悪かったのかなぁ。嫌だったのかもしれない。泣いたこととか、俺を置いて公園を出たこととか、なんも言わずにわしゃわしゃとした集団の一部になったこととか。
電気もつけてない玄関は薄暗い。電気くらいつけりゃよかったな。
「あの、あの時いきなり泣いてごめん」
電気つけるタイミング逃したなー、などと考えていたら、すぐ隣から声がした。
「え、うん」
思わずおざなりな返事をしてしまう。まぁ、それ以上言う事ないし。なんか謝罪は受け取ったし。じゃあ俺はもうそれでいいや。満足。ありがとうございました。
でも奴はそううまくいかなかったらしく、しばらく迷子みたいな雰囲気を出して黙った後、口を開いた。
「僕、色々うまく口に出せなくて、焦っちゃうことが多くて。それで何が何だか分からなくなって、泣いちゃうんだ。どうにかしたいと思うんだけど、どうにかしようとすると更に焦っちゃって、こう。思わず涙が出てくるんだ」
ほーん、などと言いながらそれを聞く。なんか大事な話を聞いているような気がした。当時公園で奴の泣いた状況を思い出す。確か俺の話を聞いて泣きだしたんじゃあなかったか。
「それじゃあ、俺なんか余計なこと言った?」
「いや、ちがっ」
焦ったような声。壊れやすそうな背中が振り向いて、その綺麗な顔面にやはり焦ったような表情が浮かんでいるのが間近に見えた。
「おん」
とりあえず頷く。別にめちゃめちゃ知りたいわけではないし、でも答えてくれる気があるなら聞きたいと思う。だからぼーっと黙って、電気もつけずに座り込んでいた。焦る必要はここにはない。いらない。
いや俺は今少し焦っているけれども。また泣きます?
元の体勢に戻った奴からやがてスンっと鼻をすするような音が聞こえて、ほんの少し動揺しながら本当にこいつは泣き虫なのだなと思う。でも多分、決して弱虫とかの類ではないのだろう。だったらわざわざ俺のとこなんか来ないし。なんなら図太いとか勇気あるとかそういう類の奴なのだと思う。ちょっと見えにくいけれど。
「あの時は、驚いて。そんなこと言われたことなかったし。それで動揺して、でもうれしくて。なんかいっぱいいっぱいになっちゃって」
「なるほど?じゃあ別に俺が言ったのが嫌だったとか、そういうわけではない」
「うん。それはちがう」
「そうか」
そこはきっぱりとうなずいてくれた。そうか。それはよかったと心底思う。
傷つけたわけではなかったか。よかった。
「泣きたいわけじゃあないんだけどね」
ぽつりとつぶやかれた言葉。反射的に正反対だなと思う。俺とは正反対。俺は泣きたい。こいつは泣きたくない。まぁな。泣きたくないというのもわかる。むしろ俺だって通常は泣きたくないわ。特に人前では。シンプルに恥ずかしいんだろう。想像するだけで何となくぞわぞわしちゃうもん。
でもなぁ、とも思う。俺のことは別としても、奴のつらそうな顔を見た。学校の薄暗い廊下で、目に涙をたたえて。泣いてはなかったけどつらそうだった。あれがいいものだとも思えない。
「まぁ、泣かなきゃいいってわけじゃあないし」
「うん。僕も、うまく話せるようにはなりたいんだけど」
「そうじゃなくてさぁ」
いやそれはそうなんだけど。間違ってはないんだけど。
ぶつぶつとつぶやきながら、でもいい感じのセリフも思いつかないし、言葉はまとまらないし。面倒くせぇ、が頭をよぎる。よぎるというか占拠し始める。でもなんとなくこいつが大事な話をしているのは察せるし、だったら俺も少しはそれを大事にしたいと思う。だからほんの少しだけ頑張る。
「泣くのが嫌な人に泣いてもいいとか泣くのも悪くないとか言っても、って思うけどさ。でもさぁ、お前泣かないときでもつらそうな顔すんじゃん。それがいいとも思えないしさ。だからただ、たださぁ、シンプルにさ。泣かなければいい、ってわけでもないんじゃない、って」
まぁ、だったらどうしろと、って話なんだけど。
もう知らねぇよ、ここから先はわかんない。俺の問題じゃねぇし、とボロボロこぼしながら体から力を抜いてすぐそばの壁に身を預ける。もう知らないね。わからない。本日の薫君は終了しました。
他になんかある?とだらりと聞く。いや、と小さく否定の言葉が返ってきたのでふらりと立ち上がり、身をひねってこちらを見上げるその小さな背中を軽く押す。もうお開きにしようや。
はいおしまいと適当に靴つっかけてドアを開けば、か細い雨が降っていた。ぶわりとした湿度と雨の匂いを感じる。えぇ。
「傘持ってる?」
「持ってない……」
「んじゃ、ちょっと待って」
玄関の細長い収納を開けば不透明な傘に交じって透明な傘が数本入っている。あとやたら絡まった縄跳びとか。いつのもんだ。
「はい、これ持ってって。別に返さなくてもいいよ」
また買ってしまった!って叫んでる母ちゃんみたことあるし。大丈夫でしょ。
「いや、でも」
「いいから」
なんかこんなやりとりしたなぁと思う。具体的にはパピコとかで。そういえばあの絶対溶けてるパピコどうなったんだろ。どうでもいいけど。
何度か覚えのあるやり取りを繰り返し、結果はパピコよりも格段に速く奴が諦める形に終わった。
「ありがとう」
「いーえ」
軽い音を立てて奴は傘を広げた。灰色の街並みを背景に軽く振り向いた奴の姿はやけに絵になるように思えた。水彩画とかの類かな。俺は手を上げて別れを口にしようとする。すると直前、奴はふと思い出したように霧のような雨の中口を開いた。
「月曜日は学校来る?」
「ん?行くと思うぞ」
「そっか……」
特に意味はないのか、今度こそ奴はまたねと言って片手を上げた。俺はそれに同じしぐさで応える。透明な傘はきちんと透明で、今まで見た奴の表情の中でも柔らかい笑顔をよく映していた。よくわからないが奴はこれでよかったらしい。か細いが断続的な雨の音が心地よかった。
ドアを閉じて鍵を閉める。結局電気をつけるタイミングを逃した廊下はしっかりと暗くなっていて、でもまぁそれでいいかと思えるほどの心境にはなっていて。
そんな俺はなんか疲れちゃったなと、しかしなかなか悪くない気分で遅めのお昼寝としゃれこむことにした。
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