シェアハピネス!……間違えた。


 しばらくして奴は若干苦しそうにしながらも笑いやんで、不貞腐れてる俺をみて笑いを再発しそうになりながらも「ごめんごめん」と軽く流した。

 まぁそう言われたらね、俺もね、流しますよ。変な言動をした自覚はあるし。とりあえずブランコを漕ぐのはやめた。意外と楽しかったけど。久しぶりにやるブランコ、割とスリルあるよね。


「え、と。僕の名前は岩崎裕人」


 知ってる。

 俺はひとつ頷いた。

 聞いたことある。そうだと思った。岩崎裕人。俺の通う中学校、入学時によく聞いた名前。すこぶる美人だと。そんで俺と同級生。クラス一緒になったことないし、わざわざ見に行くほど興味なかったんで顔は見たことなかったけど。なるほどね。これはすこぶる美人さんだわ。納得。

 所在なげにパピコを弄ぶ岩崎を見遣る。絶対それもう溶けてんだろ。


「俺は三島薫。中学二年」

「あ」


 知ってる。

 岩崎の顔には思いっきりそう書いてあった。


「え、なに知ってんの?」


 俺もしかして有名人?


「ん、と、あの、よく学校サボってるって」


 なるほど悪名。


「いやそこまでサボってないよ。大体週一。多くても週二」

「サボってるのは変わんないんだね……」


 そうだね。ついでに言うなら今日もサボったね。


「だってほら、だるいじゃん?」

「えぇ……」


 困惑。奴の非凡な顔面からありありとそれが読み取れる。ごめんな困惑させて。そして「まぁ、そうだけど……」と奴は一応の共感を示してから困惑の表情のまま口を開いた。


「でも、学校は行かなきゃダメじゃない?」

「なんで?」

「えぇ……」


 困惑、リターン。ヒヒヒとほんの少し自分の口から笑い声が漏れる。正直困らせるつもりでやった。いや困らせるというか、反射的にというか。問題児の些細な防衛本能的な。じゃあ困らせるつもりじゃないわ。



「だって、ずるいよ」



 声変わり前の澄んだ声だった。

 大した答えが返って来るとは思ってなかったし、まじめに答えを返されるとも思ってなかった。でも奴は視線を伏せて、そのピカピカした顔面から少しの苦しさをにじませて。ひたすらまじめに答えた。


「僕は我慢してるのに、行かなくてもいいなんてずるい……」


 自分の顔がゆがむのが分かった。口元には力が入り、目は細くなる。不可抗力に口が開いた。



「イヒャヒャヒャヒャ!」


 俺笑い方変なんだよな。

 イヒャヒャウヒャヒャとしばらく笑う。人通りも少ない夜の公園にその声はよく響いた。ようやく騒音という言葉が頭をよぎり気持ちと顔がスンっとしたところで顔を上げる。めちゃくちゃ呆然とした顔が目に入りもう一度笑いそうになるが我慢する。


「お気になさらず」

「無理だよ」


 それは無理、と呆然とした顔ながら思ったよりしっかり首を振られた。気弱そうだから案外いけるかと思った。さすがに無理か。

 自分の心情の説明って面倒なんだよなぁ。コミュニケーションの基礎。マジで面倒。でも今日はさすがにサボり過ぎたからちょっと頑張る。


「いやさ、なんで学校行かなきゃいけないのって言ったらさ、きれいな言葉が返ってくるかと思ったんだよ。ご立派な感じの。同じではないけど似たような会話を先生なんかとした時もさ、一般論的な、感情じゃなくて論理的な感じであんま中身入ってない、そいつが言ったんじゃないような答えが返ってきたから。……なのにそれが。それがお前、ずるいて。僕は我慢してるのにずるいて」


 ウヒヒと少し笑いが再発する。

 その答えは自分勝手で、感情的で。でもだからこそ、ちゃんと中身があると思えた。その表情には俺をどうこうしたいとかじゃなくて、ただその言葉に見合った、ちょっと泣きそうな、不機嫌で苦しそうな色があった。


「つまりまぁ、答えが気に入ったわけだ」


 そんで思わず笑っちゃった、ごめんね。と軽く謝る。


「えぇ……」


 困惑と恥ずかしさと不機嫌さと嬉しさ。それらをほんの少しずつ混ぜたみたいな複雑な表情があった。それを何となく楽しく見ながら口を開く。


「まぁ、それでもサボるときはサボるけれども」

「なんで」


 笑われ損じゃん、と奴は疲れたように首を振る。


「僕も行きたくないのに」

「じゃあ、少しくらいサボっちゃえば?」

「……そうしたら多分、不登校になっちゃう」

「なるほど」


 なれば?とはさすがに言わない。それがいばらの道だってことくらいはなんとなくわかる。どうにかしようと思えばどうとでもなるのでは、とは少し思うけれども。

 でも、俺には割とこいつすげぇな、と思う気持ちがある。つい先ほど、こいついじめられてるのでは、と思えるような場面を見た。こいつの言うようにいじめというほどではないのかもしれない。でも、一目見て面倒くせぇと思えるような場面だった。俺だったらあんなのとは距離を取ってる。今の状況がそうだ。学校は、人間関係は面倒だと思ったから距離を取ってる。

 こいつは違う。

 行きたくないと泣きそうになりながら言うくせに、まじめに学校に通っている。


「行きたくないのにちゃんと行ってるのすごいと思うけど」

「……」

「俺はそういうの適当だしなー。本当にすごいと思いますよ。尊敬しちゃう」

「……」


 なんか言ってて馬鹿にしてるみたいだな、と少し思ってしまう。本気で言ってんだけどなぁ。なんか伝わりにくいんだよな。熱量のせい?

 嘘じゃないヨと伝えるために隣を向く。

 無言で泣いてる奴がいた。


「うぇーい」


 すげぇビビる。ビビりすぎてめちゃめちゃ場違いな声が出た。焦りすぎると一蹴回って冷静というか冷酷にまで見えちゃうことあるよね。自分でもどうかと思うよ。「うぇーい」て何。実際は焦りの極致だけど。


「え、え、どうした。なんで泣いてんの。どれで泣いたの」


 不登校になれば?の心の声でも漏れてたの、とボロボロといらんこと言ったような気がしないでもないが、そのくらい焦った。ブランコから立ち上がってむやみやたらと奴の周りをうろうろしたくらい。

 断続的な嗚咽のすき間から何か言葉が聞こえた気がした。変に中腰になってゴミどもを持った手を胸の前にさまよわせる不審者ポーズをしながらそれを聞き取ろうとする。


「き、気にしないで」

「無理だろ」


 それは、お前。さすがに無理だろ。

 思わずスンっと体勢も表情もフラットになりながら首を振る。


「さすがの俺でもそれは無理」


 倫理的考えても俺のわずかに残ったコミュニケーション能力を鑑みてすらもそれはあかんとわかるぞ。

 すっかり夜に包まれた公園に頼りない嗚咽はやまず広がっていった。俺はこの公園がベンチも何もないブランコだけの小さな公園で人気のないところにあるのに感謝しながら、もう一度ブランコに座って手持無沙汰にパピコの亡骸を見つめるなどした。そろそろ捨ててぇなこれ。


「ご、ごめん」

「ん?」


 なんて?と視線を移せば奴はよたよたとおぼつかない足取りで立ち上がった。泣き声は控えめになったがひきつるような音が奴ののどから時折聞こえる。

 夜の公園を奴はよたよた歩きだす。それを「お、おぉ」とか言いながら壊れやすい子ヤギを見る気持ちで見守る。おぼつかない足取りのまま、奴は公園を出ていった。


「……え?」


 奴は公園を出ていった。


「え?」


 どうしろと。

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