第11話 王女の脳裏に浮かんだのは誰か

 ユウリたちが動き出したその頃、シルヴィアは教会の地下牢に囚われていた。

 四方を石壁に囲まれた牢獄は薄暗く、じめじめと湿り天井を無数の脚を動かす蟲が這っている。

 

 剣を取り上げられた彼女の両手は枷で拘束されている。

 牢屋に入れられる際に抵抗していれば足にも枷がはめられ、猿ぐつわも付けられていたかもしれない、そう思えるほど異端審問官の対応は事務的だった。


 聖剣を盗んだ容疑者といえど、一国の王女であるシルヴィアに対してあまりに無礼な仕打ちだ。ここまでする理由はシルヴィアを精神的に追い込むためであり、裏で糸を引いているのはヴァルツ公爵であることは間違いないとシルヴィアは確信している。


 彼が大神官と通じているという噂は以前からあった。

 ヴァルツは自分が国王になるためには教会の後ろ盾は必須であると考えている。実際に教会を味方にできれば自動的に信者を味方にできる。そして大神官はヴァルツを応援する代わりに身に余るほどの豪華絢爛で酒池肉林の賄賂を受けて甘い汁を吸っている。


 しかし証拠が何もない。下手なことを口にすれば自らの身を危険にさらすことになる。王女といえヴァルツの前ではただの小娘なのだ。


 シルヴィアは冷静さを保つことができた敵と敵の目的が明確だからである。


 聖遺物の窃盗に関与しているという容疑は所詮でっち上げ、自白を強要してきたとしても拷問など手荒な真似はできないはず。

 自分が捕らわれたという報告が国王の耳に入るのは時間の問題、父の耳に入りさえすれば必ず助けてくれる、それまでのらりくらりと躱して問答を繰り返せばいい――。


 そう自分に言い聞かしてシルヴィアは、じっと時が経つのを待った。


 鋼鉄の扉にある小さな覗き窓が開いたのはそのときだった。ぎょろりと男が眼を動かして、薄闇に息を潜めるシルヴィアに目を凝らす。


「これはこれは囚われた姿もなんと麗しゅうごぜぇやしょう……」


「早くわたしを解放しなさい」


 扉の向こうから自分を凝視するギョロ眼をシルヴィアは睨み付けた。


「なんと尊いお顔でごぜぇやしょうか……。それは無理でごぜぇやす。さあさあ、姫さまぁ、取り調べの時間でございやす……けけっ」


 ガチャリと錠が開く音が地下牢に木霊した。

 不気味な笑い声と共に扉を開けたのは、背中が丸まった細身の男だった。骨と皮しかない、まるでミイラのような男だ。

 

「けけけ……、近くで見るとさらに美しい……」


 シルヴィアの顔を覗き込んだ男の口から生臭い息が漏れる。


「くっ……」


 シルヴィアが顔を歪めると男は嬉しそうに口を歪めて踵を返した。


「それではあっしの後をついてきてございやす……うけけっ。王族をこのような場所に閉じ込めて誠に申し訳ごぜぇやせん。あっしも心を痛めていやすが、規則は規則ゆえご理解くだせいごぜぇやす」


「国王との謁見を求めます」毅然とシルヴィアは言う。


「それは大神官様の判断になりやごぜぇやす。あっしはしがない拷問官、あっしの一存ではとてもとても決めやれやしやごぜぇやせん……。眼や爪の間に針を刺したり、生きたまま皮を剥いだり、焼きごてを陰部に当てたりするのが仕事でごぜぇやす」


 ちらりと振り返った男はシルヴィアを見ながら、じゅるりと爬虫類のように長い舌を突き出して不気味に動かした。

 ぞくりと背筋に寒気が走り、シルヴィアは唇を噛みしめる。


(わたしは何があっても屈しない……。聖遺物を盗んだと認めたらこの国はヴァルツの物になってしまう、何もかも終わってしまう) 


「こちらでごぜぇやす」


 廊下の最奥部で男は立ち止まり、両開きの鉄扉を押して開ける。その部屋の中には質素なテーブルと椅子が向かい合うように配置されていた。


 奥の椅子に座るのは自分を捕らえたソルモンという名の長身痩躯の異端審問官だ。


「どうぞ、お掛けください」


 ソルモンは紳士的な口調で言った。

 しかしその声は淡々としていて、一切の温度を感じない。


 拷問官に促されたシルヴィアは、ソルモンの正面に座った。

 

「連行する際にもお伝えましたが、あなたには聖遺物窃盗に関与した疑いが掛けられています」


「そのような噂があったことは知っています。さきほども伝えましたが、わたしは無実です。聖遺物の窃盗に関して一切なにも知りません」


「確かにそれはさきほど聞きましたが、こちらも『はいそうですか』と釈放する訳にはいきません。時間はたくさんございます故、ゆっくり話しましょう」とソルモンはテーブルに両手を置いた。


 相手が長期戦で臨むならば、それはシルヴィアにとっても好都合だ。


「わたしが聖遺物を盗んだと供述したのは誰ですか?」


「守秘義務がありますので、その質問には答えられません」ソルモンは言った。


 当然だ、そう答えることは想定内。

 答えられない質問をぶつけて時間を少しでも稼ぐ。質問し続けることで、取り調べの主導権を持ち続けようとシルヴィアは画策した。


「ソルモンと言いましたね? あなたは知っているはずです。これがヴァルツ公爵と大神官によって仕組まれた冤罪であることを」


「存じません。仮にそうだとしても現在の私の役目は王女を取り調べることです」


「取り調べることが役目ならば、今すぐにヴァルツ公爵と大神官を拘束しなさい。彼らに問いただせばわたしの無実が明らかになります」


「そのように審問委員会に伝えておきます」


 猿芝居も甚だしい。伝えたところで無意味だ。審問委員会の長は大神官なのだからいかようにもなる。

 

「盗まれた聖遺物とは一体何だというのですか?」


「聖剣です」とソルモンは答えた。


 シルヴィアは息を呑んだ。まさか答えると思っていなかった。

 そして動揺した。

 聖剣が盗まれるなどあり得ない。あってはならないからだ。


(なんですって……、聖剣が盗まれた? まさか、本当なの? だってそれは新たな勇者が誕生したことを意味している……。でも、確かにそれなら教会が血眼になる理由も表立って動けない理由にも得心がいく)


「……聖剣が盗まれたなんて俄かに信じられません、だって聖剣は台座に刺さっているのです。それを抜けるのは勇者だけ」


「その通りです。現在、試しの祠には限られた者しか入れません。祠に入るための鍵は二つあり、ひとつは教会、もうひとつは王宮に保管されています。教会にある鍵は鍛冶師組合の鍛冶師が定時に取りに来て、神官がそれを確認します。聖剣の状態を確認した後に返却されるときも神官が立ち会います。しかしながら聖剣が盗まれたと推測される時間ですが、鍵は教会にあることが確認されています。それはつまり――」


「それはどうでしょう? 鍵を持って行った鍛冶師の方が勇者である可能性があるのでは? それなら空白の時間に聖剣がなくなったことの説明が付きます」


 ソルモンはゆっくりと首を振った。


「それは不可能です。管理番を務める鍛冶師には念のため、聖剣が抜けるかどうか試させております。聖剣は正統な持ち主の意思に関係なく抜ける、偽証は不可能です」


「……」


「もう一つの鍵、王宮に保管してある祠の鍵を自由にできるのは極僅かです。あなたが聖剣を盗む手引きしたのではないですか?」


「一体なんのために、一体誰のためにそんなことをしたというのですか!」シルヴィアは吐き捨てた。


「わたしに勇者になれるような人物に心当たりなど――」


 そう言いかけた瞬間、シルヴィアの脳裏に浮かび上がったのはユウリの顔だった。


 幼少の頃、目にしたあの異常なまでの強さは今でも網膜に焼き付いている。

 時を経て学園で再会した彼は武功や地位や名誉に無頓着である一方、王の証であるエクスセンスが欲しいと言うほど剣に対して異常なこだわりを持っている。


 加えてマイスタークラスである鍛冶師の父を持つ彼ならば、父に同行して祠へ入ることも可能。もし彼が聖剣を抜いたのだとすれば、聖剣を隠し持っておくのではないだろうか――。


「なにか……心当たりがあるようですね」


 その一瞬にシルヴィアが見せた僅かな表情の変化を、見逃すソルモンではなかった。



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