第12話 王女を我が物にしようとするのは誰か

 シルヴィアは何事もなかったように「なんのことでしょうか?」と聞き返した。


 椅子から立ち上がったソルモンはシルヴィアを静かに見据える。


「素晴らしい胆力をお持ちだ。ここに来た誰もが怯えや恐れを眼に宿します。しかし、あなたの瞳が揺らぐことはなかった。動揺を見せたのはさきほどの一度だけ、それすらもう立て直している。さて……ここからが本番です。あなたはいつまで瞳の中に揺らぐ灯火を消さずに耐えられるでございましょうか」


「私の体に指一本でも触れてみなさい。後悔することになるでしょう」


 シルヴィアの脅し文句を意に返すことなく、ソルモンは手を後ろで組んだ。


「残念ならが触れなくても苦痛を与えることはいくらでもできます。ケッヘル……」


 呼ばれて現れたのは、あの背中が丸まった拷問官の男だった。そして男に腕を引っ張られて入ってきたのは年端もいかない少女だ。

 みすぼらしいボロ布を纏った彼女の手には枷、顔は目隠しと猿ぐつわがされている。


 ケッヘルは少女を椅子に座らせ、その栄養不足で骨張った胸と足にベルトを巻いて椅子に拘束した。


「この少女は盗みを働いた罪で昨晩、衛士に捕まりました」


 ソルモンは恐怖で体を震わせる少女の肩に触れる。


「王女、一昔前ですが盗人は指を切られても仕方ないと言われていたのをご存知でしょうか」


「……何をする気ですか」シルヴィアがソルモンを睨み付ける。


「原点復帰です。ケッヘル」ソルモンは言った。


 ケッヘルと呼ばれた男、背中を丸めた拷問官が剪定鋏を取り出した。鋏を開き、骸骨のような腕で少女の親指を抑えつける。


「ッ!? やめなさい!」


「やれ」


 ソルモンが静かに言い放ち、ジョキンと鋏の刃が重なり合う音が地下に鳴り響き、次いで少女の親指が床に落ちていった。

 声にならない叫び声を上げた少女は身をよじらせて悶える。シルヴィアは思わず顔を背けていた。


「この少女は今年の春に火災で両親を失い、現在は幼い妹と路上で暮らしています。妹と生きるために万引きを繰り返しては衛兵に捕まっていました」


 落ちた親指を拾い上げたソルモンは、それを見せつけるようにシルヴィアに差し出した。


「同情する環境にあったといえ罪は罪、然るべき罰を与えなくてはこれまで処刑されてきた罪人たちへの筋が通りません」


「こ、こんな惨いことは即刻やめなさい……」


 シルヴィアの弱々しい声が湿った空気を震わせる。


「それはあなたの答え次第です。あなたは聖剣が盗まれた件に関与しているのですか? それともあなたが聖剣を盗んだのですか?」


「私は……、何も知りません……。お願い……本当に知らないのです……」


「知らないはずがない。長い間、異端審問官を務めてきた私には分かります。あなたは何かを隠しています。聖剣に関わる情報か、もしくは犯人自身を」


「……答えは同じです。私は何も知らない」


「ケッヘル」


 再びジョキンという音が鳴り響いた。うめき声と共に少女が拘束される椅子が、まるで溺れる獣のようにガタガタと激しく床を打つ。


「彼女が窃盗を犯した回数は全部で八回、指をあと六本切り落とさなければなりません。しかし衛士に捕まった回数が八回であり、実際はその倍の罪を犯しているはずです。よって、手足を合わせてあと十四本です」


「……やめて……お願いだから……、もうやめて……」


「ケッヘル」


 三度、不快な音が鳴り響く。悲鳴にならない叫び声がシルヴィアの鼓膜をつんざき、耐えきれずに顔を伏せた。


「もう一度問います。聖剣を盗んだのはあなたですか、王女?」


「それは……、わたしは……」


 シルヴィアの目が泳ぐ。ユウリのことを話す訳にはいかない。この少女を助けられたとしても、次に拷問されるのはユウリだ。

 切れ落とされた指から滴る血液が足元に迫る。少女の苦痛に滲む嗚咽にシルヴィアの目から涙が溢れ出した。


「ケッヘル」


「待ちなさい……」消え入りそうな霞んだ声でシルヴィアは言った。


 少女の薬指の皮膚を切ったところで鋏が止まる。


「盗みました……」


「なにをですか?」ソルモンは問う。


「聖剣を盗んだのは……、このわたしです……」


 うなずいたソルモンは手を挙げてケッヘルを後方へ下がらせた。


「助かりました。私も仕事とはいえこのような子供に苦痛を与えるのは心が痛むのです」


 シルヴィアは「早くその子を解放して治療してあげてください」と涙目でソルモンに訴える。


「もちろんです、ケッヘル」


 畏まりましたと答えたケッヘルが鞘からエストックを抜いた。

 シルヴィアがハッと息を吞んだ瞬間だった。ケッヘルはエストックの鋭い刃で少女の胸を突き刺したのだ。


 シルヴィアは目を見開く。

 少女は何が起こったか分からず、ポカンと開いた口からごぼりと血を噴いた後、眠るように頭を垂れ下げていった。


 

「なぜ……、なぜ殺したのですか!!」


「解放してあげたのですよ。この世界で生きる苦しみから」淡々とソルモンは答える。


「――というのは冗談です。よく見てください」


 シルヴィアの目に映る少女の姿が徐々に変化していく。

 それは等身大の藁で出来た人形だった。床に落ちていた彼女の指も束ねた藁の切れ端だ。


「幻術です」


「げん、じゅつ……」


 生々しい少女の叫びと血の匂いがシルヴィアの耳や鼻腔に残っている。

 これが幻術だというなら、かなり高位の幻術魔法だ。黄金ゴールドクラスの魔導士でも見破ることは困難だろう。


「こんなことをしてまで……わたしに言わせた証言に……、一体なんの意味があるのですか……」


「このソルモン、無駄な労働が嫌いなのです。たとえ自白の強制だとしても言質を取ることが我々の役目、上司からのオーダーに応じて事実を作るだけです。そのためなら手段を選びません。であるならば、もっとも効果的で安価なやり方が好ましい。もし発言を撤回すると言うであれば、人形ではなく本物の少女をご用意いたしますが、いかがいたしましょう?」


 シルヴィアは力なく首を振った。

 この男はまともじゃない。本当にやり兼ねない。

 なにより彼女の心はとっくに折れ、抵抗する意思を失ってしまっていた。


「さて、これで取り調べを終えます。判決が出るまで牢でお過ごしください。また繰り返しになりますが発言を撤回された場合、孤児たちが獣に食われて亡くなる事件が頻発しますのでご注意を……」


 もはや言い返す気にもなれなかった。


「ソルモン君、終わったかね?」


 開け放たれた扉から入ってきたのは、金糸をふんだんに散りばめる法衣を来た神官だった。この教会を統べる大神官だ。


「はい、王女は聖剣を盗んだと自白しました」


「そうかそうか、よくやった。よーしよし、どうやら王女はお疲れのようだな、ワシの部屋にお連れする」


 大神官はヒヒヒッと下卑た笑みを浮かべる。


「どうせ斬首刑になるのだ。それまでその高貴な身体を楽しませてもらおうぞ」


 シルヴィアの全身に寒気が走り、顔が青ざめる。

 悪夢はまだ終わっていなかった。


「これがあなたたち異端審問官の正義だと言うのですか!」


 シルヴィアが腕を拘束されたまま立ち上がり声を荒げるもソルモンは答えない。


「答えなさい!」


「私たちは正義の味方ではございません。ただの公務員です」


 一縷の情も感じさせない氷のような視線にシルヴィアは初めて絶望を抱く。


「助けて……、誰か、助けて……」と勝手に口が動いて体が震え出す。


 その掠れた救済は誰にも届かない。教会の地下深くに彼女の味方は誰一人としていない。


「さあ、来なさい! うひょひょひょっ! 今から楽しみです! 興奮が止まりませんよ! これは朝まで寝ずに行きますよ!!」


 鼻息の荒い大神官に手錠を引っ張られながらシルヴィアはよたよたと歩き出す。


「ユウリ様……」


 それは祈るように彼の名を口にしたそのときだった。


「なんだ貴様は!?」


 突然、大神官が足を止めた。


 薄暗い廊下の先、王女の虚ろな眼に映ったのは、目の部分がくり貫かれたシンプルな仮面で顔を覆った人物だった。

 その者は丈の長いローブを着用し、大きなフードで頭をすっぽりと覆っている。


「侵入者だ! 出合え! 出合え!」


 大神官が声を張り上げると上階で待機していた衛兵たちが駆け下りてきた。彼らが仮面の侵入者を取り囲む。



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