第44話 島の夕暮れ
一時期は雨が降るかと思ったが、雲はそのまま通り過ぎていった。太陽は傾き始め、そろそろ夕方になる時刻である。
俺たちは、洞窟の前に座って身体を休めていた。今日はここに泊まることに決めたので、ゆっくり過ごすことができる。
「潮見さん、手帳の内容はわかったの?」
俺は、
「だいたいの内容はわかった、と思います。ただ、文字がかすれたり、ページが駄目になっていて読めないところもあったので、わからないところもあるのですが」
「ねえ、夕夏ちゃん、その手帳って結局は誰かの日記だったの?」
「公的な記録ではなく、個人の日記のようでした。ただ、名前や階級などは読み取れなかったので、どういう立場の人なのかはわかりませんが。日記の内容的には、先遣隊と言うのでしょうか、初期から居た人のようです」
「へえ、基地の立ち上げ要員みたいな役目の人だったのかな。軍隊でも、これだけ遠くの島だと大変そうだね」
俺が感想を言うと、潮見さんはゆっくりうなずいた。
「ええ、手帳にもそのような趣旨の記述がありました。しかも、この島はあまり重要視されていなかったみたいです」
「そ、そうなの? 今は飛行機も船も来ないけど、昔は違ったんじゃないの?」
浜本さんが驚いたような声を出した。俺も、同じ気分である。
「重要拠点というわけでもないし、輸送ルートなどからも外れていたようですね。それでも、防衛部隊は配置しておかないといけないみたいな感じだったようです。ともかく、そんな事情ですから、物資や人員が乏しかったみたいで、なんとか工夫してやっていこう、というようなことが書かれていました」
「まあ、上層部の人も最前線を優先しないといけなかったんだろうな」
かつての戦争が、本土からずっと遠くの場所でも行われていたなんて、うまく想像することができない。この島だって、行き来するだけで大変だろう。ましてや、基地を維持しようとしたら、相当な労力である。
「それで、わかったことがあるのですが、やっぱりバナナなどは食料を補う目的で持ち込まれたみたいです。いろいろと手を尽くして、この島で育つ植物を試していたみたいですね」
「じゃあ、潮見さん。あの畑みたいな場所は……」
「本当に畑だったみたいです。守川さんが前に言ったように、観測所が山頂近くにあって、そこの人が利用していたという記述がありました。補給物資は船で運ばれていたようですが、その食料だけだとやりくりが大変だったみたいです」
「だよね、成人男性だから一日の摂取カロリーもたくさんいるだろうし」
感心したようにうなずいていた浜本さんだったが、ハッとしたように顔をこわばらせた。
「ね、ねえ、夕夏ちゃん。その人、兵隊さんたちはどうなったの? ご飯も大変だけど、戦争があったんだよね」
潮見さんは少し考え込んだ様子だったが、静かな声で話を続けた。
「戦況が悪化するにつれて、この島も連合国側の攻撃を受けるようになったみたいです。主に艦載機による攻撃で、高射砲陣地や観測所などがよく狙われたとありますね」
「やっぱりあれは、破壊された跡だったのか」
俺は、昼前に見てきた高射砲陣地跡の光景を思い出した。目の前の草原も、同じなのだろうか。
「さらに、それで補給の船も来ることができなくなっていったようです。物資の不足に悩んでいるような記述が増えていますね」
「あう、それで、どうなっちゃったの?」
「はっきりとしたことは、この手帳からはわかりません。ただ……」
潮見さんは、少しためらったようだった。彼女は、一度目を閉じてから続きを語り始める。
「おそらく最後となるだろう補給の船に、負傷者を乗せて本土へ帰したという記述がありました。そして、残った人員と装備で最後の決戦を挑むと。……これが最後でした。ここから先は、何も書かれていません」
気がつけば、太陽の光はオレンジ色になっていた。夕陽が、森や海、目の前の草原を美しく染め上げる。
俺たちは、黙ったままだった。いや、言葉を発することができなかったというべきか。様々な想いが胸をめぐったが、どうも言葉にできない。
女の子たちも同じ気持ちなのだろうか、潮見さんは夕暮れの空を見上げ、浜本さんは草原に咲いた花を黙って見つめている。
「……うまく言えないけど」
俺は無理やり声を出してみた。このまま黙っていると、動けなくなってしまうような気がしたからだ。
「昔、この島でがんばって生きていた人がいて……その人たちのおかげで、今、俺たちがこうやって生きていけてると思うんだ。自力でやってきたと思ってたけど、バナナとかサツマイモを持ち込んでくれてたおかげで助けられたんだよな。……その、つまり……」
何を言いたいのか自分でもわからなくなってきた。仕方がないので、開き直ることにする。
「とにかく、昔の人のおかげで助けられてたわけだし、落ち込んでないで元気にやろうってことで」
強引に言い切ると、浜本さんがくすくすと笑った。
「なんかさあ、守川君って変に格好をつけようとすることがあるよね。普通にやれば十分なのに」
「悪かったね」
「ううん、あたしはそれでいいと思うよ。うん、なんだか元気がでてきたかも。そうだ、さっき取ってきたシークワーサーみたいなのを食べようよ。疲れたり、悲しいときでもご飯は食べなきゃいけないんだからね」
よしっ、と気合を入れた浜本さんは、立ち上がってぐっと背伸びをした。
「ご飯……そうですね。ここで生活をしていくためには、毎日しっかり食べないとやっていけませんよね。えいっ」
潮見さんも、浜本さんの横で背伸びを始める。なんだか、珍しい光景だ。無理やり元気を出そうとしているのかもしれない。
「正直、あの手帳を読んで気分が沈んでしまったのですけれど、わたしたちが落ち込んでも何もいいことがありませんからね。守川さん、もう大丈夫ですよ。……これから、山頂の仮拠点まで戻るって言われたら困りますけど」
少し恥ずかしそうに言った潮見さんに吹き出しそうになる。彼女、だいぶ疲れてたんだな。
俺も、彼女たちに続いて立ち上がった。
「今日は、ここでしっかり休んで疲れをとろうよ。それで、明日からも3人で力を合わせてがんばっていこう」
「はい」
「賛成っ」
浜本さんが元気よく手を上げたので、みんなでハイタッチをした。周囲は少しずつ暗くなってきたが、みんなでいれば平気だろう。
島は、夕暮れから夜を迎えようとしていた。
***
翌日の早朝、俺は寝ている女の子たちを起こさないようにそっと洞窟の外に出た。なんとなく目が覚めてしまったのだが、太陽が昇り始める時間帯は、これから一日が始まるという感じがして気分が良い。
思わず背伸びをすると、ズボンからはみ出したシャツがほつれているのに気がついた。幸い、破れたりはしていなかったが、ずっとこの1枚を着ているのだから、仕方がないのだろう。
俺は、何気なくこの島に来てから何日が経つのが数えてみた。潮見さんが教えてくれたところによると、今は8月の中旬ごろになるはずだ。正確には、何日だっけ。
「あっ、もしかして……」
思わず声が出てしまった。不意に、考えもしなかったアイデアが頭にひらめいたのである。
俺は落ち着かない気分で、自分が思いついたことを検討した。正直、成功率は低いと思う。だが、どうしても試してみたいと思う気持ちが止められないのだ。
俺は、女の子たちが起きてくるのを辛抱強く待ったのだった。
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