第43話 計画変更

 俺たちは、黙って小さな手帳を見つめていた。

 旧日本軍が使っていたと思われる小さな洞窟、そこで見つけた背嚢はいのうの中に入っていたのだ。拳銃などが入っていたらどうしようと思っていたので、ちょっとほっとする。俺は、破かないようにそっとページをめくってみた。入り口から光が入ってくるので、なんとか中身を見ることができる。


「おっ、中にはびっしり文字が書かれているな。日誌? 個人の日記かな。ええと……文字がかすれてるし、漢字がよく読めないなあ」

「守川君、漢字が読めないって、子供みたいなことを言わないでよ」


 あきれたように言った浜本美波はまもとみなみが、俺の手元をのぞきこんできた。


「どれどれ、あたしが……あう、昔の難しい漢字でいっぱいだね。それに、カタカナも混ざってて読みにくい」

「昭和初期の文章ですし、軍隊風っていうんでしょうか。言い回しが独特ですね。時間があったら、ゆっくり読んでみたいのですが」


 潮見夕夏しおみゆかは、手帳の内容が気になっているようだ。


「どうしようか? 持っていくのは破れそうな気がして、ちょっとなあ。雨に濡れたらすぐにダメになりそうだし」

「そうですね。今のわたしたちでは、きちんと保管できないと思います。内容が気になりますが、持ち出すのはやめておきましょうか」


 俺と潮見さんが手帳について考えていると、浜本さんが洞窟の外の様子をうかがっていた。


「ねえ、雲がでてきたよ。風が強いって思ってたけど、海の方から黒い雲が近づいてきてる」


 発見に気を取られて、外のことを忘れていた。今はどのくらいの時間だろう。山頂の仮拠点まで移動するのに、時間が足りるだろうか。

 洞窟の入り口のツタをどけて外に出ると、浜本さんが言ったように空が曇ってきていた。太陽が隠れてしまったので、今がどのくらいの時間かもわからない。こういうときに時計が無いのが不便だ。


「うーん、まだお昼を過ぎたぐらいだと思うんだけど、天気が気になるな。浜本さん、持ってきたバナナってまだあったっけ?」

「うん、ご飯担当のあたしは、ちゃんと余裕を持って、多めに用意してたんだからね」

「それは頼もしいな。……提案なんだけど、天気が心配だから無理に移動しないで、今日はこの洞窟で泊まるっていうのはどうかな? 水は近くの川にあるし、一晩ぐらいなら大丈夫だと思うんだ」


 俺は、風で揺れる樹木の葉を見ながら言った。通ってきた森の中も、薄暗くなっているようだ。


「あたしは、いいと思うよ。正直、これからあの距離を歩くのはしんどいって思ってたんだよね」

「わたしも賛成です。ちょっと疲れているのと、この手帳を読んでみたいって気持ちがありましたから」


 潮見さんは少し恥ずかしそうに言った。大丈夫だとは言っていたが、疲れているのは事実なのだろう。


「じゃあ、潮見さんはここで休みながら、手帳を読んでもらおうかな。俺は、寝るときに地面に敷く葉っぱを取ってくるよ」

「いいんですか? わたしだけ楽をするわけには……」

「気にしないで、あとで手帳に書かれていた内容を教えてくれればいいから。……念のために言っておくけど、読めないわけじゃないからね」


 人には適材適所というものがある。俺の国語力に不安があるわけではないのだ。


「あ、あたしも守川君を手伝うよ。あたし、食べ物に詳しいから何か食べられるものを見つけられるかもしれないし。……難しい漢字が苦手なわけじゃないよ」

「……お、お願いします。あの、昔の文章って慣れていないと読みにくいですから、お二人とも気にしないでください」

「だ、だよねっ」


 俺と浜本さんは、年下の潮見さんに気づかわれてしまった気がする。いや、これはそれぞれの特性に合わせて作業を分担するということなのだ。

 天候が悪化する前にと、俺と浜本さんは洞窟を出たのだった。


  ***


 俺たちは、まず川で水筒に水を補給した。次は、寝床に敷くための葉っぱを探す。


「俺たちの住んでいるところとは、生えている植物が違う気がするな」

「そうだね。何か役に立ちそうなものはないかなあ。余裕があれば、このあたりも探検してみたいよね。川があるだけでも、だいぶ雰囲気が違うし」

「うん。だけど、今は潮見さんを1人にしているし、早めに済まそう」

「ふーん、やっぱり夕夏ちゃんのことが心配なの?」


 浜本さんが、何か意味ありげな表情でたずねてくる。


「そりゃあ、初めて来た場所で1人って心細いだろ。普段だって、迷子とか怪我をしたら大変だから、ほとんど3人で行動してるじゃないか」

「……まあ、そういうことにしておこうかな」

「一体なんなんだよ」


 話しながら歩いていると、立派な葉をつけた木を見つけた。細長い葉だが、風車の羽のように大きい。


「おっ、これいいな。さっそく何枚かもらおうかな。……あれ、どこかで見たような」

「守川君、本気で言ってるの? これ、バナナだよ」


 あらためて見直すと確かにバナナだった。よく見ると、バナナの果実もしっかりとついている。


「いや、こんなところにあると思わなかったからさ。先入観だよ、俺がうっかりしてるわけじゃないから」

「ホントかなあ。……ここのバナナも基地の兵隊さんが植えたのかも。ありがたく使わせてもらおうよ」

「うん、昔に持ち込まれたバナナが、現代の俺たちを助けてくれるっていうのは不思議な感じだな」

「こういうのをめぐり合わせっていうのかなあ。……あっ、守川君、あれを見てよ」

 

 浜本さんが指差す方向には、豊かな緑色の葉をつけた木があった。


「良い葉っぱだね。地面に敷くのに良いかも」

「そうじゃなくて、実がついてるでしょ。これは柑橘類で……シークワーサーとかの仲間かな」

「あっ、緑色のみかんみたいな実か。シークワーサーって、沖縄名産のすっぱいやつだよね。これも、持ち込まれたのかな」


 俺たちは近寄って、柑橘系の木を見上げた。周囲には、同じような木がぽつぽつと生えている。


「守川君、知ってる? ビタミンが発見されたのって、人類の歴史で言うと現代に近くなってからなんだよ」

「へえ、そうなんだ。足りなくなると……脚気かっけだっけ? 病気になるんだろ。長い間、原因がわからなかったとか聞いたことがあるなあ」

「そうそう、他にもビタミンCが不足すると壊血病になっちゃうんだよ。これは、船乗りの人が苦しめられてたらしいね」


 浜本さんは、どこか得意気に話を続ける。料理が得意な彼女は、こういった知識にも詳しいようだ。


「昔の人は大変だったんだな。ビタミンなんて、わからないよなあ」

「でもさ、昔の人は賢かったらしいよ。ビタミンが発見される前から、大航海時代の船乗りさんはレモンとかが壊血病に効くって経験的っていうか、感覚的に知ってたんだって。だから、港とか休憩するような場所に柑橘系の果物を植えてたって話を聞いたことがあるの」

「おお、すごいな。ビタミンを発見したのって科学者だろ、それより前か。まあ、自分たちの身体と命がかかってるから真剣になって対策してたのかな」


 こういう話を聞くと、目の前の緑色のすっぱそうな果実がありがたい存在に思えてくる。俺たちは、果物を食べているからビタミンは不足していないと思うが、新しい食べ物は嬉しいものだ。


「いくつかもらっていこうか。……あっ、この木も、そういう目的で持ち込まれたのかな」

「かもしれないね、ビタミンは健康に大事ってわかってたと思うし。実がつくまで時間がかかるから、自生していたのを基地の近くに植え替えたのかもしれないけど」


 緑色の実をとると、さわやかな柑橘系の香りが広がった。果実はすっぱそうだが、この香りだけでも気分転換に良いだろう。


「浜本さんてさあ、たまに良いこと言うよね」

「そうでしょ。……今、たまにって言わなかった?」


 浜本さんは、ちょっとだけ頬をふくらませた。何か言いたげに俺を見ている。


「き、気のせいだよ。……とにかく、さっきみたいな話を聞くと、昔の人の生活が想像できていいよね。軍隊っていうと戦闘のイメージが強いけど、いつも戦ってるわけじゃないもんね。基地の人に健康で美味しいものを食べてもらおうとか、がんばってた人もいたのかなあ」

「うん、大変なときこそおいしいご飯は大事だからね。これで、あたしのことを見直したでしょ」

「うん、見直したよ。……じゃなくて、普段から料理と食べ物の知識がすごいって思ってるから」

「ふうん、まあ、いいかな」


 よくわからないが、浜本さんは機嫌を直してくれたようだ。

 俺たちは、バナナの葉とミカンっぽい果実を持って、潮見さんが待っている洞窟へと戻ったのだった。

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