第14話――『諸悪』 side.???

 ソレは赤子だった。産声を上げたばかりの赤子。

 ソレにとってあらゆる刺激が新鮮で、だからこそ受動的に貪った。


 それ以外の方法を知らない。

 それ以外に知る術を知らない。


 ソレにとって当然の行いであり、それ故に間違いを犯した。

 己の由縁を知らず、自覚せず。あらゆる全てを貪ろうとする様は実に滑稽だった。


「――はぁ、なんてチープな作品なんだろう」


 ソレは骸を繋ぎ合わせたモノでしかない。

 亡者であり、キメラであり、幻想体だ。


 あの兎娘コータスが追い縋った忘れ形見トモダチでもなければ、その諸悪ですらない。

 彼女は何かしらの声を耳にしたようだが、ソレはただ産声を上げているだけだ。


 歪んだ現実。歪んだ認識が兎娘コータスを惑わせた。

 ただ存在する意思だけを持った不浄の存在アンデット。その程度のいわれでしかない。


 故に、


「私は巨人を描こうとしたのに、はぁ……こんなもの、燃えて然るべきね」


 ソレは内側から燃え始めた。

 青白い炎を噴き出して、どろりっと溶け落ちていく。


 当然の帰結だった。

 くさびは依然として穿うがたれており、それを成した張本人は腹袋に落ちている。


 くさびの効果範囲から抜け出し、兎娘コータスに宿った『恩恵ポイニクス』が効力を発揮する。

 皮肉にも、彼女の自殺行為が怪物を打倒する結末を生み出した。


「これのどこが万能なのでしょうね。満足に作品を生み出せず、真っ当な客寄せにすらならない。それがどんなにチープな作品であれ、その評価を下す存在すらいないのであれば、私たち芸術家マエストロが織り成す活動にどのような意義があるのでしょうね?」


 ついぞ怪物は灰燼かいじんと帰し、その場には渦巻く青白い炎だけが残された。

 燃え盛る炎の中で灰が舞う。灰は徐々に一つと成して、人を模ろうとした。


 そうして形を成した時、渦巻く炎を晴らして、兎娘コータスが生成された。


「君達はどのように感じた?」


 少女は静かに寝息を立てていた。

 その眠りは浅くも、すぐに目を覚ますことはないだろう。


「私の作品を通じて、君達が何か得られることを願うよ」


 大広間全体を覆うその一つ一つの肉塊が、這いずるような動きを見せ始めた。

 それらは中央一角に集まり、互いの肉と肉をぶつけ合って一つに成ろうとした。


 壁や床、天井にへばりついた肉の大海が波打ち、ぶくぶくと泡を立て始める。

 それらは蒸発するように溶けていき、最終的に水溜まり程度のものが残った。


 だが、そのどろりとした水溜まりは、未だぶくぶくと泡立てている。その水面には人影のようなものが浮き上がり始め、ついぞ水面から一人の女性が顔を覗かせた。


 姿を現したソレは、女神と見紛みまがうような中性的な美女。


 軍服のような衣装を纏う、細身の身体。繊細な体のパーツの中で自己主張する胸の膨らみを抑え込み、しなやかな肢体は眩しいくらい美しい。白い肌を晒し、黒色の長い髪を一つに束ね、肩の前に垂らしていた。


 只人ノーマン兎娘ラニ

 彼ら二人を見下ろす瞳の色は、紫。


 女性は只人ノーマンの元へ歩み寄り、まるで母親のように優しく、彼の頭をそっと撫でた。


「……それにしても、君は自己の完成を目指していたとはね。君のその認識主義グノーシスが、内側にある『本来的自己』を知覚して安らぎへ導くといいね」


 「でも」と、彼女は続ける。


「我を我と知らぬのなら、それは夢と何が違うのだろうね? 『神秘』が満ち溢れるこの世界で、自己の完成を追い求めることに何の意義があるのだろう?」


 「だからね」と、彼女はさらに続ける。


「……君。君は君でいてもいいんだよ。我と我の問答に終わりなく、なれば我で在る方がいいさ。だから君、君こそ『自分』を縛り付けることをやめるべきだ」


 「そうは思わないかい?」と、今度は兎娘ラニがいる方へ向けて、言葉を投げかけた。


 ――直後、棒のような何かが飛び込んできた。

 女性は咄嗟とっさに後方へ飛び退り、身をかわした。


 それはくさびだった。

 女性が居た場所に深々と突き刺さり、その衝撃で床が砕け散る。


「おはよう。君がこんなにも早くに目を覚ますとは思わなかったな」

「あなたは、誰ですか……!」


 兎娘ラニは震える足で立ち続け、力を振り絞るように声を張り上げた。

 目の前に立つ女性はどこか異常だった。本能的に、人とは思えなかったからだ。


 女性が首をかしげる。その動作はどこか幼さを感じさせた。


「私? 私はしがない芸術家マエストロさ」

「……ふざけないで!」


 兎娘ラニの抗議を受け止めて、女性は可笑しそうに笑った。


「ふざけてなんかいないよ。でも君からすれば、私は悪趣味な道化師なのだろうね」


 女性が次に取った行動は、右手を顔にかざすことだった。

 かざした右手から、まるで手品のように仮面を取り出し、顔の右半分だけを隠した。


「それなら私が――私が『諸悪』だとすれば、君はどうしたい?」


 女性の試すような声に、兎娘ラニが過剰に反応した。


「……許さないっ」


 怒気で顔を歪ませ、歯軋りをして、声を絞り出すように言葉を紡ぐ。


「殺す、殺してやるッ!」

「うーん、君では私を殺せないだろうし、むざむざ殺される気もないんだよね」


 「だからね」と彼女は右手を払い、仮面を放り投げた。


「君の相手は彼らに任せるよ。私はその間にとんずらするからさ」


 瞬間、床に転がり落ちた仮面からどす黒い液体が溢れ出した。

 そしてそれは黒いもやとなって、ぶくぶくと泡を立て始める。


 黒い泡が大広間を埋め尽くし、もやに浸食されていくように部屋の景色が変わっていく。蠢くもやは一塊りとなり、その輪郭をハッキリとさせていった。


 現れたのは、三体の異形。

 ガーゴイル。フレッシュゴーレム。ウォーシャドウ。


 この広間に繋がる通路で相手をした、人ならざる造形物達。


「君は彼らと遊んでいればいいよ」

「逃げるなっ!」


 兎娘ラニが駆け出すと同時に、三体の異形が動き出した。


「それに君。君は失ったものばかり数えるよりも、今残っているものを数えた方が良いよ。これは私なりのアドバイスさ! 真摯に受け取ってくれたまえ。じゃあね!」

「――――ッッ!」


 三体の異形に追われる兎娘ラニを他所に、女性は優雅に歩いてその場を後にした。

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