第15話――『規範破り』

 目を覚ますと、俺は都市の療養所にいた。


 ベットの上で気だるげに横たわっている。

 身体を動かそうとすると、あちこちに痛みが走った。


「んっ……」


 シーツ以外に、兎のような何かが俺の上にもたれるようにして乗っかっている。

 赤みがかった淡い栗色の兎耳。ラニだ。すぐに分かった。


 どうやらお互い、遺跡から無事に生還できたようだ。


 俺はラニを起こさないようにして、ベットからの脱出を試みる。

 俺の私物はすぐ脇の所に置かれていた。それを取って、いそいそと身支度する。


 ささーっと速やかにドアを超え、俺は音もなく部屋を後にした。






「規定違反です」


 人狼ウェアウルフの女性職員からそのように宣告される。


「すみませんすみません! 本当に、ほんっとうにすみませんでしたッ!!」


 その隣を、只人ヒュームの青年が血相な表情で何度も頭を下げていた。


 俺は事の顛末を確認するため、冒険者組合に足を運んだ。

 ロビーに入るとすぐさま職員に奥の部屋へと通されて、今に至っていた。


「これまでにもいくつか、貴方に依頼を承認したことがあります。ですが、それらは全て運び屋組合か、くさび事務所を通して承認されたものに限ります」


 ギルドは規則にうるさい。あまりに厳格すぎて、それによって死者が出るほどだ。

 俺は理解わかっててやったことだったが、これはかなりの罰則が科されそうだ。


「ノーマンさん。貴方は現状、冒険者組合に。貴方は冒険者ですらないのです。それなのに勝手に依頼を受けられては、此方としても困ります」


 淡々とその事実を指摘されてしまい、俺は有無も言えなかった。

 本当はあの時に、その登録を済ませるはずだった。だが私情を優先してしまった。


「此方側の不手際につきましては謝罪致します。ですが、規定は規定ですので……。貴方には罰則が科されるでしょう」


「で、その罰則はどれほどのものなんだ?」


「金貨50枚のお支払い、または懲役8年の収監となります」


 ……頭が痛くなりそうだ。

 それは何も、金額という面ではない。


 という事実が、俺を苛ませた。

 まるで俺自身の根底を揺るがすかのような衝撃が襲ったのだ。


 以前にも規則を破ることは多々あったが、今のような感傷を受けたことなどなかったはずだ。『自分』と向き合ったことで、俺の中で何かが変わったのだろうか?


「金貨50枚を満額で支払おう」


「承りました。此方の期日までに罰則金をご用意してギルドにお越しください」


 そう言って、女性の職員は何やら紙を渡してきた。

 紙には大量の文字がずらりと並び、その殆どが無意味な単語でつづられている。


 全くもって、読む気が起きなかった。


「それで、話はもう終わりか?」


「いえ、もう少しお待ちを。……君、彼に報酬を用意して」


 女性に告げられ、青年が膨らんだ革袋を俺の前に出した。


「こちらが依頼の報酬となります」


 女性にそう告げられて、隣の青年が机にどっしりした袋を載せた。

 随分と詰まった袋だった。どうやら事は、完全には終わってないようだと悟る。


「俺は療養所から起きたばかりだ。あの後何があったのか、その顛末を知りたい」


「良いでしょう。とはいえ、我々も多くは語れませんが――」


 まず、俺とラニは洞窟を抜けて遺跡から脱出した後、予想通りにゴタゴタがあったようだ。というのも、遺跡から生還した者が俺たち以外にいなかったからだ。


 そして遺跡から持ち帰った情報は、都市を大いに慌てさせた。


 あの依頼は、当然のように他の探索者にも回されていた。

 その受託した者の一覧に、冒険者組合が大事に育てた有望株もいたそうな。


 だが、そのことごとくが帰らぬ身となってしまった。


「現在は冒険者組合が主導の元、掃討作戦が行われています」


 遺跡から生まれた大量の『異形』。

 そのどれもが元人間であり、そのどれもが『異能』を有している。


 それらが一人でも遺跡の外に出ようものなら、瞬く間に混乱が起きるだろう。

 事態は一刻を争い、組合は速やかに討伐隊を送り込んだそうだ。


「俺たちが五層で遭遇した怪物は?」


「我々にもたらされた情報に、そのような怪物は見当たりませんでした。しかし彼女によれば、この惨状を生み出した犯人がいるらしく、我々が今、その後を追っています」


 どうやら事は、随分と複雑な模様を現しているようだ。

 元より深入りする気はないが、とはいえ、気になる部分は解消されないだろう。


「現状は以上となります」


「そうか、分かった。……それで、俺はこれからどうすればいい?」


組合ギルドは貴方に報酬を支払いました。つまり、本件は以上となります。これ以上の関与を、組合が貴方に認めることはないでしょう。どうぞ、お引き取りください」


「……はぁ、そうするとしよう」


 色々と考えを整理する時間が必要だった。

 そのためにもまずは、身の振り方を考えねばなるまい。


 根底から、『自分』を見つめ直すためにも――――。






 ――――ともあれ、今回の冒険は予想以上の成果を得られたように思う。


「自分と向き合うだけで、こうも見える景色が変わるとはな」


 以前の俺なら、常に規範を選択していた。

 個よりも集団を重視し、時に規範を破ることはあれども、それらは人間社会に基づく道徳の範疇で行われてきたことであり、それ以上を犯すことはなかっただろう。


 少なからず、これまで都市で築き上げてきた生活基盤を捨て去るような真似はしなかった。都市を去るという選択肢を取らないはずだった。


 それもこれも、あの兎娘コータスから受けた影響のおかげだろう。少女の後姿は、今も俺の脳裏に焼き付いている。まるであの少女に、少年心を鷲掴みにされたかのようだ。


 俺にとって彼女は、まさしく『衝女しょうじょ』と評すべき人物だ。


 『衝動』は、自身の内にある中でもっとも希薄な存在だ。

 俺は変化をもたらす存在――『神秘』を追い求めた結果、自身の衝動をより抑制する結果を招き、自分自身を苛む罪責の声として、常に不安を与えるものとして精神の一部となっていった。


 その結果、俺は無意識の内に『自我』を裁くという思考に陥った。

 俺という『自己』が、司法的な役割りを持つ領域と化してしまったのだ。


 これにより、俺は物事を俯瞰ふかんして見るようになり、自分を否定するようになった。


 記憶の幻影は、確かに俺という自己を形作るものではない。この記憶は依然として『元からある記憶』と『与えられた記憶』としての二面性を有していた。


 だからこそ、俺は本能的に『他者の記憶』として頭から切り離していた。

 俺という根底を揺るがし、自己を消滅させかねない存在として嫌悪していた。


 だがそれは、結果的に間違いだった。


 確かに俺という存在は、依然として『神秘』の影響を受けないでいる。

 この身体はその誕生経緯すら謎に包まれており、未知であることに変わりない。


 ――だが、それがどうした。


 俺は解釈の節度に拘るあまり、『自分』を見失っているように思えた。

 このような考えに囚われず、もっと自由に生きてみても良いのではないだろうか。


 ――あの衝女しょうじょのように。


 とはいえ、俺がこれから何をしようにも指針は必要だ。

 そして幸運にも、今回の件で俺はとして都市に指名されていた。


 ――彼女はあの時、何と言ったか。


『色んな土地に行って、色んな街を見て回って、色んな人との出会いを紡ぐの!』


 彼女はそう言ったのだったか。なるほど、悪くないように思う。

 ならば俺も、あの衝女しょうじょに倣って誓いを立ててみるのも良いだろう。


大陸を跨ぐ者ビックフットに憧れて!』


 あの子ならきっと、こんなふうに誓いを立てただろうね。


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