第12話――『再誕者』

 ワタシの身体は何とか動かせそうだ。

 だがやはり、この身体に抵抗するだけの力は残っていなかった。


 悲観的な事実だけが、ワタシの思考にずらりと並べられていく。

 眼前に映る少女は未だ奮闘を起しているようだが、それも時間の問題だった。


 ワタシは彼女に、どのような言葉をかけたら良いのだろうか?


「――っ、くさびを抜け! 奴の『神秘』に触れるんだ!」


 記憶の幻影が、その問いに答えてくれる。

 ワタシの代わりに、この身体を突き動かしてくれた。


「――っ! うん、分かった!」


 出会って一日にも満たない間柄。

 それにも関わらず、彼女は愚直に動いてくれた。


 神秘に触れる――その行為がどういう意味を成すか、理解しているのだろうか?


 彼女は死ぬだろう。

 ワタシの頭が、その判断した。


 だが、記憶の幻影はそうと思ってはいないようだ。


「……ジョウはあるな。くさびの状態も問題ない」


 ワタシはサイドポーチから二つの遺物を取り出した。


 一つ目は、カギの形をしたルーペ。

 その遺物は『ジョウ』の神秘を宿している。


 二つ目は、小さな針だ。

 この遺物には、怪物の額に刺された『くさび』と同様の力を宿していた。


 これら遺物で、ラニを死なせずに無理やり『恩恵』を開花させる。『現実性の値』を固定ロックして、ラニが宿した恩恵で状況の打破を狙う算段だ。


 それを実行するためにも、ワタシはラニの側にいる必要があった。


「とぉぉどけぇぇええええぇっ!!」


 怪物に刺さったくさびに向かって、ラニが跳躍する。

 その兎人コータス特有の敏捷と跳躍力が、ラニを高く飛翔させた。


 そして少女は、ものの見事に到達した。

 そのくさびを、両手に握り締めた。


「がっ―――――!」


 瞬間、触手によってラニが吹き飛ばされる。

 両手に握り締められた棒状のくさびと共に、宙を舞った。


「――ラニッ!!」


 いつの間にかワタシは走っていて、ラニの体を受け止めていた。


「あっ――ぎっ、あがぁっ!?」


 だが、くさびを抜いたと同時に攻撃を受けてしまったラニは、その身体が『異形』へと変貌し始めていた。目玉がどろりと溶け始め、穴という穴から緑の液体を噴出した。


 ワタシはすぐさま彼女の身体にいくつもの針を刺した。

 変化は、それで収まった。


 だが――――。


「……ヒューっ、ヒューっ」


 虫の息。辛うじて生きている状態だった。


 神秘に触れたことにより、目と鼻が溶けてなくなっていた。顔の判別がつかなくなっていた。そしてその長い兎耳からは、絶えず緑の液体を垂れ流している。


 医術に詳しくない俺でも分かる。

 彼女はもう間もなく死ぬだろう。


 無駄な試みだった。

 希望は、ここで潰えるのだ。


「――――いや、まだだ。あと少し、あともう少しだけ耐えてくれっ!」


 ワタシは『ジョウ』のルーペでラニの身体を覗く。

 彼女の身体には、二つの『恩恵』が宿っていた。その内の一つは、強力な代物だ。


 ワタシはラニの身体に、ルーペを差し込んだ。


 差し込んだ場所から波紋が生じて、身体の中へ腕が入っていく。次にナニカに小突く感触が伝わり、そして「カチャ」っと音を鳴らして、鍵のルーペが


 そして俺は鍵のルーペを捻り、ラニに宿った『恩恵』を開花させた。


「ラニッ! 恩恵を、今ここで能力を発動させ――――」


 風を裂くような、音がした。


 振り返る暇もない。

 怪物から繰り出された触手が、影のような形で視界に映った。


 瞬間、轟音。


 それは触手に叩き潰された時の衝撃音か。

 はたまたは――。




 ――衝撃は襲ってこなかった。

 俺の身体を包み込んだのは、温もり。


 周囲を青白い炎が包み込んでいた。

 その炎の発生源は、佇んだ兎娘コータスから溢れ出たものだった。


 眠るように閉じられたまぶた

 意識が混濁しているのか、彼女は渦巻く青白い炎に身を委ねていた。


「ラニ、お前が得た恩恵は『深紅の鳥ポイニクス』だ。再誕と浄化の炎がお前の能力だ」


 俺の言葉に呼応するかのように、そのまぶたがゆっくりと開かれた。


 強力な恩恵だ。

 目の前の怪物を倒しうる程の異能を得たのだ。


 あの異形の男は確か、この怪物をと呼んでいたか。

 なるほど、ラニがこの『恩恵』を得るのも納得だ。


「――凄い。炎が、力が、私の全身からみなぎってくるのを感じる!」


 ラニは目を輝かせて、自分の身体を確かめる。


「これなら、あの怪物に勝てる!」


 ラニは自信に満ちた表情で、そう断言した。


「それとラニ。俺から一つだけ言わせてもらうぞ」


「うん、なんでも言って! 今なら何でもできるような気がするの!」


 随分と調子の良いことを口にする子ウサギに、俺は釘を刺すことにした。


「お前が俺を巻き込んだのは、確かに過ちだったかもしれない」


「え――――っ」


「だが、それがどうした……誰でも犯しうるだ。ラニ、その程度の間違いに『自分』を縛り付ける必要はない」


 俺は限界を迎えた身体に鞭を打ち、残った気力で彼女の背中を叩く。


「お前も根無し草ならば、好きなように生きろ。誰の為でもなく、だっ!」


 そう言って、振り絞った力で思いっきり背中を押してやった。


「うん、分かった!」


 ラニはそう返事して、怪物に向かって直進した。

 俺はその後ろ姿を目に焼き付けながら、今度こそ意識を手放した。

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