第10話――『SANチェック』

 大広間はこれまで見てきた部屋よりも広く、天井が高い。

 そして所々に松明が灯っていたため、視界を十分に確保することができた。


 だが、それ故にその『異常』を目の当たりにする結果となった。


「――っ、最悪だ」


「なに、これ――――っ!?」


 そこには、部屋全体に広がった肉と巨大な薄紅色の糸の巣があった。

 中央には巨大な肉柱が立ち、幾つもの肉塊がもぞもぞとうごめいていた。


 その肉塊は、まるで小さなまゆだった。

 そして肉のまゆからは、人間の腕のようなものが幾つも飛び出していた。

 そのような肉壁と肉柱、肉の繭が、この大広間の全体を占めていた。


 ここはまるで、だ。


「なんと! この大広間に辿り着ける者がいたとは、素晴らしい!」


 大広間の奥から、男性の賞賛の声が響く。

 そこには、人間とも呼べない『ナニカ』がいた。


 その男にはあるはずの頭がなく、代わりに水晶玉が宙にプカプカと浮いていた。そして、男の両手足は既にずぶずぶに溶けてなくなっており、身体が大広間の一部と化して身動きが取れなくなっていた。


 あの水晶玉からは、強大な力の波動を感じ取れる。

 間違いない。あれこそが、この異常の全ての元凶だ。


「アナタ方はなんて運が良いのでしょう! この瞬間に立ち会えるなんて!」


「お前は一体、何者だ? ここで一体、何を企んでいる!」


「私が何者かなんて、些細な問題でしょう? 今はこの瞬間を喜びましょう!」


 駄目だ、アレとは会話が成立しない。

 『自分』を失い、此方に対して一方的に喋りかけているだけだ。


「サァ視てください! 私の子供、名の知れたモノ! 私だけの、を!」


 アレは中央の天井に向けて喋っている。

 俺もラニも、その方向に視線を移した。


「な――――なんだあれはっ!?」

「うっ、うそよね――――嘘だよねぇっ!?」


 それは巨大な肉のつぼみだ。つぼみの中から、ドクンドクンと脈打つ様子が聞こえてくる。そしてその半透明の膜から映る姿は、幾万にも及ぶ、人間と動物の形状を組み合わせた異形の姿だった。


 その巨大な肉の蕾が、液を垂らして今にも開花せしめようとしていた。


「さァ喜びましょう、謡いましょう! 新たな存在、新たな高次元に至る光景を!」


「ちっ―― お前は黙っておけ!」


 何か途轍とてつもなく、取り返しのつかないことが起きようとしている。

 それを妨げる唯一の光明、唯一の手段を講じる必要があった。


 俺は腰に下げた剣を引き抜き、水晶玉に狙いを定めて投擲した。


「アッ――――――――ガァッ!?」


 投擲された剣は放物線を描いて、男の頭に浮かぶ水晶玉に見事、突き刺さる。

 玉にヒビが入り、男はその場で身体をビクンビクンと痙攣させた。


 そして遂に水晶玉は砕かれ、男の身体と共にその姿を塵へと変えた。


「えっ、うそっ――――やったの!?」

「いや、まだだ!」


 そう、まだ油断してはならない。

 もうこの広間は『異常』の影響下にある。


 一寸先は闇という言葉があるが、今はまさにその状態だ。


「ゥゥウ……オォオォオオッ!」


 『ソレ』が、断末魔の叫びを上げる。

 その叫びは徐々に大きくなり、まるで地の底から響くような声に変わっていった。


「くっ――!」


「きゃあっ!?」


 俺は咄嗟にラニを抱き寄せる。そして『ソレ』の真上の天井が弾けた。

 砕けた天井の瓦礫が雨のように降り注ぐ中、肉塊が大きく膨れ上がる。


 そして肉のつぼみが開花し、中から巨大な『ナニカ』が姿を現した。


「あっ……ああっ……」

「くそっ、何が再誕者だ! 生物ドッキリ盛り合わせの間違いじゃないか!?」


 それは、巨大な蜘蛛クモ蟷螂カマキリを足して二で割ったような存在だった。


 その胴体を構成する要素は、複数の人間と動物が繋がって融合したような形をしている。そして頭部からは何十本もの触手が生えて、その先端に様々な口がよだれを垂らしうごめいている。


 此方を見据える一つ目は、表皮が赤黒く染まって炎のような形相をしていた。


 そして『ソレ』が花弁のようなつばさを広げると同時に、肉塊から糸が吐き出された。その糸は瞬く間に広間中に張り巡らされ、この空間をまゆのように覆い尽くしていく。


 我々の退路が、肉の海に埋もれていく。

 一筋の希望が、肉の海に沈んでいく。


「「「――ぁ――ぃ――!」」」


「……えっ?」


 ラニが何かに反応した。何かを聴き取った様子だった。


「「「――ぁ――ぃ――!」」」


「……やだ、うそ……そ、そんなぁっ!?」


「ラニ? ――――おいラニっ! しっかりしろ!」


 ラニが異形の怪物の姿を見て、表情を青ざめている。


 ――いや、違う。彼女は怪物のとある部位を見て青ざめていた。


「「「――ラァ――ニィ――!」」」


「トマリ、エーデ、フランク……ああっ、嫌、皆ぁっ……」


「――っ! ラニ、気をしっかり持――――」


「いやあああああああああああぁぁぁぁっっっっ!!」


 ラニが発狂した。


 俺はこの場を、俺一人の力で潜り抜ける必要があった。

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