第8話――『ラニの告白』

 物静かな足取りだった。


 闇が蔓延る遺跡内部。

 迷路と化している通路を、右に左にと進んでいく。


 耳に触る自分自身の呼吸音。浅くなっている息遣いは疲労だけが原因ではない。

 時折、遺跡に生息した魔物との衝突が幾度とあった。だれそれらは、ラニが持つ種族特有の機敏な音の察知によって、大した被害を受けることなく終わらせていた。


「次はそこを右に曲がって真っ直ぐの通りよ」


「……壁がある、行き止まりだ」


 だが、探索は順調とはいえない。行く先々を常に警戒しながらの行進だ。

 その上、新たに生成された壁が行く手を阻み、迂回を強制させられる。


 疲労が溜まり、その足取りは重くなっていく。


「ノーマン、この道を進まないともう何処にも行けないよ」


「なら、壁に穴を開けよう。俺は準備に取り掛かるから、ラニは周囲の警戒を」


 俺は荷物から黒い箱を取り出す。中を開けると、二着の白い手袋があらわとなった。それを両手に嵌めて、壁に手を当てる。そして『線』をなぞるように指を動かした。


 俺は指をなぞった個所に、今度は両手で掴むようにして指を


 壁からは、ぶちっ、ぶちっ、と繊維質が千切れるような音が鳴り響く。

 そして俺は、カーテンを思いっきり開放させるようにして大穴を作り上げた。


 この遺物は、ありとあらゆる『線』という要素を扱うことが出来る。


 これは使用者が『線』を認識しようが、そうでなかろうが、頭の中で描いた空想が認識した『線』を紡ぎ出し、物質の形を自由自在に変えて扱えるようにする代物だ。


 まさに、魔法のような遺物だった。


「穴を開けた。行くぞ」


「……うん」


 張りのない声のやり取りが交わされる。


 似たような道、似たような光景。

 湿った空気が石と血肉の香りとともに、灰色の岩窟内を漂っている。


 お互いに口数が減っていく。あるいは、道半ばで見た光景がそうさせた。


 他の探索者が、四肢と歯でお互いを殺し合っている光景。

 他の探索者が、頭を風船のように膨らませて破裂して死ぬ光景。

 他の探索者が、悪魔像の姿をした何かに生贄を捧げ、祈りを捧げている光景。


 このような異常な光景が続く中で、恐怖パニックだけには陥ってはいけない。

 このギリギリの綱渡りを続ける中で、取り乱してしまったその時が我々の最期だ。


「五層に続く階段だ。ラニ、地図を。それと今のうちに強壮の水薬スタミナ・ポーションを飲んでおけ」


 俺はラニから地図を受け取って、一時の休息を促した。

 地図には至る所に印が付けられていた。


 地上へ続く道も、

 透明な膜のような何かが道を阻んでいた。


 その透明な膜は、まるで空気の塊だった。


 たとえ『線』を扱う遺物であっても、空想を構築する上で『線』を紡ぎ出す発想イメージを組み立てなければ意味を成さない。しかし、どうやって『空気』から『線』を取り出す発想イメージができようか?


 不可能だ。そもそもがであり、ありえない発想だ。

 残念ながら、俺の足りない頭では扱いようもない事柄だった。


 五層からは、地図の精度も落ちる。現時点での断定的な最下層であると推定されているが、その調査も何処までが本当かは分からない。しかし、それを信じる他ない。


 ラニが俺の隣に腰を下ろした。視線は地面に落としている。

 その表情は、滲む汗ととともに苦痛に濡れていた。


 それから涙がにじみ始め、ぽたっ、ぽたっ、と地面に零れ落ちた。


「ねえ、ノーマン。わたし、友達がいたんだ……」


 突然の告白だった。感情を吐露とろし、その表情かおは限界を迎えていた。


 友達――恐らくは、ラニと一緒にいた仲間のことだろう。

 組合ギルドのロビーでそれらしい会話を俺は聞き逃さなかった。


「ちょっと前に私だけ熱を出しちゃって、数日寝込んじゃったの。でもお金もなかったから……それで皆、仕事に出かけちゃって、私だけ宿に置いてけぼりになったの」


 ラニはうつむいたまま、ぽつぽつと話を続ける。


「でも皆、帰ってこなくて、それで組合ギルドに問い合わせたら、この遺跡に向かったって聞いて……」


 やはり、そうだろうな。


 雑貨屋の店主との揉め事、三層で床に散乱した私物を漁ろうとした行為。

 彼女は、含みのある言動や様子を幾度と見せていた。


 どうやら隠していたつもりだったようだが、それらはあまりにあからさまだった。


「でも、でも私、やっぱりどうしても諦め切れなくって……だから、だからその、ごめんなさい……あなたを、巻き込んじゃったっ……!」


 抑えていた感情は遂に決壊し、溢れる涙と嗚咽おえつに濡らした。


 彼女の告白に、俺はなんら衝動に苛まれることはなかった。

 俺の心は


 しかし、彼女を立ち直らせるためにも事実を返すことにした。


「ラニ、俺は巻き込むなと言った覚えはない。俺自身が望んだ選択だ」


 俺は荷物を肩に手繰り寄せ、立ち上がる。


「行けるなら来い、無理なら何処かに隠れていろ。俺は一人だろうが、やれる事をやるだけだ」


 俺はそう言い放ってから、そっと、ラニの頭に手を置いた。


「それに、まだ手遅れだと決まったわけじゃないだろう?」


 それは淡い希望であり、劇薬でもあった。だが、必要な事柄であるとも感じた。

 その通りであるかのように、うつむいていたラニは此方を見上げて目を丸めた。


「……うん、そうだね――そうだよね!」


 ラニはぐっと口元を引き結び、力強く頷いた。俺は手を差し伸べる。

 それを握り返す小さな手を引っ張って立たせると、俺はラニを見つめる。


 最初にここへ来た時の調子と変わらない顔だ。

 ラニが前向きになったのなら、もう十分だろう。


 俺はラニの頭をガシガシと乱暴に撫でる。

 当然ながら、ラニは嫌がるように頭を振って、頭を撫でる手を振り払った。


 だが、ラニは俺を見上げるとクスリと笑った。

 俺も釣られるようにして笑う。


 しかし俺は、すぐにその表情を引き締めた。


「五層に向かう。油断せず、気を引き締めて行くぞ」

「うん、分かった!」


 俺たちは生還するために、更なる階層へ足を踏み入れた。

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