第5話――『異臭』

 悪魔の陵墓――地下三階。

 そこで初めて、異変の遭遇した。


「んっー? なんだか美味しそうな臭いがするよ?」


「こんな場所で料理だと? ……どんな神経をしてやがる。注意して進むぞ」


 冒険の最中であれ、一時の休息をとる場面もあるだろう。だがしかし、どのような発想に至ればアンデットが跳梁跋扈ちょうりょうばっこする環境で料理をしようと考えるのだろうか?


 とはいえ、万が一の場合もある。

 異臭がする方向へ、確認に向かった。


「……ん? ちょっと待って、何かがこっちに走って来るよ!?」


「何だあれは――人型の、肉塊!?」


「いっぱい来てるよ!?」


「ラニ、武器を構えろ!」


 俺は腰に下げた剣を引き抜き、戦闘態勢をとる。近づいてくる『それ』はまるで、口の歯と顎の骨格部分を除き、まるで骨と皮だけが削ぎ落とされたような姿だった。


 その数、五体。


「やるぞ!」


 身軽なラニが敵を引き付け、長物を持つ俺が斬り伏せる。

 剣を振るう度に、大きな肉塊は抵抗なく真っ二つに切られていく。


 まるで、柔らかいローストを切っているような感触だった。


「これで終わりか。見かけのわりに大したことはなかったな」


 対象の沈黙を確認したら、次に周囲の状況を確認する。

 すると、ラニが何やら異臭がする方に向いて呆けていた。


「ラニ、どうした?」


「良い匂い、本当に美味しそうな料理の……食べたいなぁ」


「ラニ? ……おいラニッ!! くそっ、この臭いか!」


 ラニが惑わされている。異臭のする方に向かって、ふらふらと歩き始めた。

 俺はラニを引き留め、ありったけの力で鳩尾みぞおちを殴った。


「ぐぇっ」


「おい、しっかりしろ! 布で鼻を摘まめ、あまり息を吸わないようにしろ!」


 痛みで腹を抱えて涙目になりながらうずくまるラニの様を他所に、その口元に無理やり布をあてがう。そして先を急かすようにして立ち直らせた。


 その恨みつらみが籠った表情を、俺は見なかったことにした。

 背中をボコボコと殴られている感覚もあったが、それもきっと気のせいだろう。


「先に明かりが見える。この異臭はやはり人の仕業なのか?」


 奥に見える階層の小部屋、その入り口から明かりが漏れていた。

 部屋へと近づくほどに、異臭は更に強烈になる。瞬間的に精神が崩れ、吐き気がこみ上がった。俺は何とか堪えながら静かに忍び寄り、部屋の様子を窺った。


 そこでは、一人の獣人がしきりに料理をしていた。


 上半身がにわとりの姿に変貌した『異形』の存在。その部屋の片隅で、テーブルを囲んで食事をする探索者たちの姿があった。


「うっ……皆、一体何を食べてるの?」


「連中から生気が感じられない。この異臭と料理にてられたか」


 部屋の辺り一面に、探索者の私物だったものが散乱している。その数は、部屋にいる人数よりも遥かに多い。この場にいない者たちは、一体何処に消えたのだろうか。


 様子を窺っていると、突如一人の探索者が立ち上がった。

 空になった料理の皿を持って、にわとりの獣人がいるキッチンに向かった。


 獣人の隣に立ち、空いた皿に料理が配膳されるのを待つ。だが、にわとりの獣人は台に置かれた棍棒を手に取り、探索者の頭に目掛けて振りかぶろうとした。


「えっ、待ってあれ殺され――っ!?」


「ちっ!」


 俺は棍棒を握り締めた奴の腕を狙って、ナイフを投擲した。

 ナイフは放物線を描いて、その手首に深々と刺さる。


 突然の奇襲ににわとりの獣人は驚いて、握り締める手から棍棒を滑り落とした。


 眼前に起きようとした凶行は防いだ。

 だが、周囲を取り巻く状況はさらに悪化した。


「 俺は鶏頭チキンヘッドを、ラニは他の連中を頼んだ!」


「分かった! ……あれ、聞き間違い? 誰を相手に私は――――ぐぇっ?!」


 ラニの問いに答える間もなく、テーブルの方角から皿が飛んできた。

 それを俺は回避し、ラニは無様にも顔に受けてしまった。


 テーブルを囲んでいた探索者たちは、怒りに満ちた形相で此方を凄んでいた。隣で殺されそうになっていた探索者も含め、一斉に此方へと飛び掛かってくる。


 部屋にいる全員が、この異臭と料理に惑わされている。此方から言葉を投げかけても意味はないだろう。『異臭』の影響を受けない俺が対処する必要があった。


「コッコケー! コッココッコッコケー!」


 もはや、人の言葉を持たなかった。

 『神秘』に触れて『自分』を失った怪物がそこにいた。


 にわとりの獣人が手首に刺さったナイフを引き抜き、床に落とした棍棒を拾い直す。血が滲み出ているが、痛みに震える様子はない。羽毛の皮が分厚いのだろう。


 斬撃はなし。刺突は期待できる。打撃は分からないが、それを調べる時間はない。

 一直線に突撃して剣を突き刺し、そのままの勢いで断ち切る。これしかない。


「そこだっ!」


 迫りくる探索者たちをかわし、つけ入る隙も与えずに一気に間合いを詰める。

 狙いを定め、奴の首筋に剣を突き刺した。


「ゴ、ゴケェ――――――――ッッ?!」


 俺は見事なまでに、奴の首筋に剣先を捉えた。

 剣が深々と突き刺さり、ゴボゴボと血が吹き溢れる出す。


 ――すかさず、回転。


 勢いよく捻られた体の回転は、奴の肉と骨もろとも断ち切る。

 にわとりの頭が血飛沫と共に宙を舞い、床に転がり落ちた。


 それを皮切りに、襲い掛かってきた探索者たちは糸が切れたように倒れ伏した。


「やれやれ、とんでもないな。失踪者の原因はこいつで間違いなさそうだが……」


「むぐぐっっ! お、重い。たっ、たすけてぇっ……」


 声のする方に目を向けると、兎娘ラニが男たちに覆い被さられ雁字搦がんじがらめになっていた。

 大の男たちが少女を取り押さえる光景は、何とも得難い犯罪の香りがした。

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