プロローグ:後編――『現実性の値』
基本的に、平均的な若い男女を相手にすることが多かった。
そして事の次第は、既に手の施し用がない状態に陥っていることが殆どだ。
「――手遅れだ。そいつからは何一つ意思を汲み取ることができない」
「……ちくしょうっ! こんなことになるなら、俺たちは――――ッ!!」
「故人の弔いは聖者の領分だ。懺悔ならそっちでやってくれ」
その異形は、まるで糸の線が切れたかのように固まっている。かつて人間だった頃の面影などなく、台座に寝かせられたその物体は、ただの肉塊でしかなかった。
神秘に触れることで、特別な能力が手に入る。
そんな甘い誘惑は、多くの人たちに好奇心を駆り立たせた。
特に、自身が頭打ちであると痛感した冒険者は、安易な考えで動く傾向が強い。
今回の依頼者もまた、そのような青年たちだった。
結果は、8人中――生存者5名。死者3名である。
生存者の内、2名は『恩恵』を授かり、1名は獣人化した。
残り2名は異形へと変貌したが、俺が対処したことで『今は』事なき終えていた。
今回の仕事もまた、現実性の強度を調整することだった。
『神秘』という事象は、モノに宿ることで現実性を帯びるようになる。
このような現象は、『現実的な問題』を抱える要因となった。
『神秘』とは、いわば人たちが『夢』や『空想』といった視覚的印象を持たない概念的存在であり、それらが現実性を持つことで、現実を変成させる大きな力となる。
すなわち、現実改変だ。
奇跡や魔法といった事柄もそのような類であり、祈りや呪文、魔力といったものは、あくまで『現実性の強度や量』を測る指標と、その引き金でしかない。
祈りや呪文を言葉として紡ぐことで『空想』はより鮮明かつ明瞭となり、現実性の強度を上げることができる。呪文使いが『歌謡い』などと呼ばれる所以でもあった。
そして、人間が異形に変貌する理由も『現実性の強度と量』の変化によるものだ。
大雑把だが、三原色と分量で考えると分かり易いだろう。
赤と青を混ぜると紫色に。
赤と黄を混ぜると橙色に。
青と黄を混ぜると緑色に。
赤と青を『2:1』で混ぜると桃色に。
青と黄を『2:1』で混ぜると水色に。
赤と青と黄を『1:1:1』で混ぜると茶色に。
このように、混ぜる色と分量によって異なる結果を見せる様が、『人と神秘』の間でも同様に起きている。そして人間が持つ現実性の値は、人それぞれで異なるのだ。
俺は神秘に
だが、ふとした瞬間に分量のバランスが崩れ、『本来の様』に戻る場合もある。
冒険を生業とする以上、このような脅威と向き合い続ける必要があった。
それは、人や物の流れを担う商人たちも例外ではなかった。
「どうか、どうか我が愚息を助けてくだされ――っ!!」
泣いて
それは、幾重にも束になった『紙の山』だ。
もはや、肉体の有無に関わる事柄だった。
元は帳簿か何かだろう。『紙の山』を構成する、その一枚一枚が宙に浮いており、冊子の糸で綴じられていることにより、辛うじて人のような姿形を保っていた。
不思議なことに、俺や商人の言葉に身振り手振りで反応を示してくれている。肉体そのものが消失しているというのに、彼は確かに『意思』を表明していた。
なんでも、倉庫から出てきた怪しげな水晶玉が起因らしい。
商人の息子が水晶玉を手に取り、帳簿からその来歴を調べようとしたところ、水晶玉が体の内側へ溶け込むように入り込み、突然の事態に慌てて書類をひっくり返したところで、今度は息子の身体が半透明となって霧散してしまい、今に至るそうだ。
何処かに消えてしまったのなら、水晶玉と息子の身体は調べようがない。
だがしかし、このような現象は割と似た事例が多い。同時に、その解決策もだ。
「……恐らく、写し珠――変身魔法の類かと」
「へ、変身魔法?」
「えぇ、息子さんの肖像画のようなものはあるでしょうか?」
そう言って、依頼者に息子の肖像を探してもらった。
「息子さん。この自分の姿を、頭の中でより現実的かつ明瞭に想像してください」
そのように促すと、突如として『紙の山』は宙から崩れ落ちてしまった。
床一面に散らばった紙から煙が立ち昇る。
その煙は一点に収縮して、人の姿形を模った。
そうして、俺と商人の前に露わとなったのは『素っ裸の息子』だった。
「ああっ! 戻った、人の姿に戻れたぞっ!!」
「ああっ息子よ! よくぞ無事で……何やら少し四角いような?」
「息子さんの肖像を元に『自分の姿』を思い出させたわけですから、このような結果になったのでしょう」
人は主に見て呉れを気にするためか、自身の『裸体』をしかと視て記憶し、その姿を思い起こせる者は少ない。彼には日常的に鏡で自分を視るように勧めた。
後日、彼の様子を見に行ってみると、店の前でなんとも煌びやかな男性が、複数の女性をあたかも侍らせるような格好で談笑していた。
その様子を店の内側から苦々しい表情を浮かべて眺めている商人がいた。
商人は此方に気付くと、途端に動きを見せる。店の前に
「……随分とまた、様になられたようで」
「そうなんです! 父の若かりし姿を参考に、鏡の前に立つようにしています!」
「この馬鹿息子! 私の若い頃は、こんなにも身体の線が細くはなかったぞ!!」
また一波乱、吹きそうな流れだ。
しかし、今度ばかりは俺にどうすることもできない話だった。
「また店にいらしてください! 流行りの物をいつでもご用意しておりますので!」
そのように礼を述べて、上等な服を何着か見繕ってもらえた。
商人の息子曰く、『憧れの象徴』と世間でもっぱら評判のコーデだそうだ。
饒舌に『今』を語る彼の様子に、俺には何が良いのやらさっぱりだった。
だが、憧れ――何かに焦がれるという思いは、久しく忘れていた感情だった。
だからこそ、俺の中の食指が動いた。人が持つ『憧れ』を探してみたいと思った。
元より当てのない旅だ。『何者でもない』存在が、憧れを抱いて『何かになる』というのなら、それはきっと素晴らしい変化だろう。
俺は根無し草の『ノーマン』だ。
何かを探しに行くというのなら、それは冒険に出ると同義だ。
俺は冒険者の門戸を叩くことにした。
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