ビッグフットに憧れて!

デンテン

序章

プロローグ:前編――『自分を失う』

 人たちは皆、『自分』という事柄を語ることができるだろうか?


 自己を定義する要素は何だろうか。

 自分と他人を分けているものは何か。

 何をもってして『自分』だと認識しているのだろうか。


 想像してほしい。


 目の前に、ある男の子の遺体があるとしよう。

 その子供の姿は、自分と全く同じ見た目だ。

 体質や生前の人間関係までもが同じだったとする。


 では、それを視認する『自分』は何者か。

 目の前の子供と全く同じ見た目で、その経緯すらも記憶している『自分』は何者だろうか。


 人造人間ホムンクルスか。あるいは、泥人形スワンプマンか。

 それとも、死んだ男の子がそうなのか。


 では、周囲からはどのように『自分』が認識されているのだろうか?



 冒険を生業とする者たちの間で、只人が獣人化する現象が相次いでいる。

 大抵の場合、収集物に宿る『神秘』に触れたことで発症するケースが殆どだ。


 『神秘』に触れることで物質的な在り方に揺らぎが生じ、そこに家畜や愛玩動物といった身近な存在に対し、人々の強力な感情的熱望と爆発によって発現する現象と推定されている。


 『神秘』とはあやふやであり、視覚的であり、幻想であり、未知である。

 『神秘』とは何所にでも宿るモノであり、目に見えるモノ、見えないモノも含め、『神秘』という事象を科学的に説明することはできない。


 財宝、遺物、神聖文字ヒエログリフ、とかくその類は、学者や冒険者にとって何よりの喜びだ。

 無我夢中でそれに飛びつき、神秘と接触し、抽象的な変化をもたらす。


 運が良ければ《怪力》や《耐異常》といった異能を得ることもある。

 人によっては、獣人化を恩恵と捉える者もいる。

 但し、運が悪いと理性を失い、完全な異形の存在へ変貌することもある。


 どのような結果であれ、これら現象は『人間性の喪失』によって引き起こされるものと捉えられている。


 只人から獣人へ。

 只人から異能者へ。

 只人から異常存在へ。


 物質として異なる姿に変貌した者を、はたして同一存在であるといえるだろうか?



 一人の女性が、俺の元へ訪ねて来たことがあった。

 その女性は冒険者で、元は軽装に包まれた華奢きゃしゃな体付きのレイピア使いだった。


 だがある時、女性は『神秘』に触れたことで《怪力》の恩恵を得てしまった。

 端的かつ顕著な変化をもたらすその恩恵は、文字通りの有様へ変えてしまう。


 その時の女性の容姿は、端的に言って『』だった。


 かつて性別問わず、見る者の目を奪うほどの美しい容姿は、その影や形すらない。

 誰もが『女性』であったと認識できず、あるいは、その経緯を知った上で『女性』は爪弾きにされた。


 どのようにして、俺の元まで訪ねて来たかは分からない。

 それに残念ながら、これら『神秘』を取り除く手段は未だ見つかっていない。


 遥か昔に『調律者』と呼ばれた英雄が、人類の生存圏から神秘を消し去ったと伝えられている。だが、その知識や技術は後世に引き継がれることはなかった。

 その時代の、その一代限りの奇跡とうたわれていた。


 その代わり、人類は人工的に神秘の力を抑え込む手段を編み出した。

 その手法も、遺物に宿る神秘を用いた技術ではあった。


 たとえそれらが苦肉の策だったとしても、人類に多大な恩恵を与えたことには違いない。事実、その女性はかつて『自分』だった頃の姿形に戻れたのだから。


 但し、女性の身から神秘を取り除けたわけではない。

 俺は言葉にしなかったが、本当の意味で『自分』を取り戻すことはできなかった。



 10年前、俺は『自分』を失った。

 何の前触れもなく、小さな町をカルト教団が襲った。


 まだ12歳だった子供は、黒装束に身を纏った異常者どもの贄として殺害された。


 その最期の光景を、まるで『自分』の事柄であるかのように記憶している。

 その凄惨な現場に、ただ一人『自分』だけが残されていたことも覚えている。

 その場にいた俺は、確かに検めた。家族、友人……『自分』だったモノのさえも。


 では、それを視認し記憶する『自分』は一体何者か。

 周りからは、どのように『自分』が認識されていたのだろうか。


 しかし、それを知る術などなかった。

 『自分』を知る者たちは皆、いなくなったのだから。



 俺は『神秘』を追っていた。

 俺の身体は、『神秘』の影響を受けなかった。


 理由は分からない。

 ひとえに、『自分』が異常存在で『何者でもない』からということだろうか。


 あれから10年が経った。

 硝子ガラスに映る己の姿は、子供の面影を残した――成熟した青年の姿だった。


 時折、俺の瞳に『自分』だったものが映り込む。

 時折、俺の脳裏に『自分』だったものが囁きかける。

 時折、俺の思考が『自分』だったものに支配される感覚があった。


 記憶の幻影は、その姿を見せない時などなかった。

 記憶の幻影は、過去トラウマを刺激して身体を衝動のように突き動かそうとした。

 記憶の幻影は、やり場のない怒りを目に映るモノ全てに当たり散らそうとした。


「――俺はノーマンだ」


 まるで『自分』の存在を確認するかのように、あるいはその言葉を口にすることで自分自身を定義づけるかの如く。繰り返し、繰り返し、『自分』を否定する。


 『神秘』を自己解析する行程は、『自分』を冷静に保つための糧にもなった。

 『自分』という存在に一つ一つ指摘することで、今を見失わずに済んだのだ。


 また、『神秘』が人々に変化をもたらすように、俺の中で何かが変わることを望んだ。あるいは、ただ『自分』との決着ケリを付けたかっただけなのかもしれない。


 己を定義づける出来事。その時がどのような形で来るかは分からない。

 その時が来るまで、俺は神秘を追い求め続けるだけだ。


 俺は根無し草の『何者でもないノーマン』だ。

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