第2話 女神様の提案

『誠に申し訳ない……』

 大きな猫ね……そんなことをボンヤリ考えているともう一度頭の中で声が聞こえた。

 どうやら目の前に浮いている猫が発している声らしい。


 私は状況が今一掴めなくて直ぐに返事をすることができない。


「えっとぉ……。いま喋ったのってあなた?」


『そう、それがしである』


 私は漸く声を絞り出した。でも、返ってきた言葉は何だか時代がかった言い回しで何て返したらいいのか分からない。


『あらあら、いきなり謝っても何の事か分からないわよ。先ずは状況説明からしなくちゃダメじゃない』


 突然のんびりした高い声が私の中で響いたと思ったら、今度は猫の後ろに古代ギリシャ人が身につけていたような白いキトンを身に纏った女性が光りの中から現れた。


 足首まで伸びたストレートの銀髪に金色の瞳を持つその女性はのこの世の者とは思えない程に美しい。


 大きすぎない胸に引き締まったウエスト、8頭身のモデル体型は女性なら誰もが憧れるプロポーションと言えるだろう。


 綺麗な人ねぇ……


 今一状況を掴めない私は、只呆然とその美しい女性を眺めるだけだった。


『初めまして、私はアスティアーテの女神ラシフィーヌ。貴方はこの子のせいで命を落としてしまったの。この子は私の眷属で神獣のグレン。本当にごめんなさいね』

 

 アスティアーテって何? 女神って? しかもこの猫は神獣で白いのにグレー、じゃなくてグレンと言うらしい。


 いやいや、もっと重要なことを言っていたわね。私が命を落としたって……。


 現実味を感じない中で私は漸く事態を把握し始めた。


「えっ? 私、死んじゃったの? えっ? 何で?」

『貴方は車の運転中に突然林から飛び出したこの子を避けようとして事故にあったの』

 私の疑問に女神様は眉尻を下げて哀しそうに言った。


 私の中に、この場所に来る前の映像が映画のワンシーンのように蘇った。そうだ、私は車の運転中に…………

 

 あの時…………私、ほんとうに死んじゃったんだぁ……

 

 ショックを受けた。


 だって、私の夢は目前だったから……。


 目の前が真っ暗になった。


 いや、実際は真っ白なのだが……。


『どうやら思い出したようね。それでね、貴方は本当は死ぬはずじゃなかったの。それに神獣は普通、地球の人間に見えるはずはないのよ。でも、何故か貴方はグレンを認識して避けようとしてしまったの』


「えっ? じゃあ、本当は避けなくても大丈夫だったの?」


『ええ、神獣だから車に轢かれて死ぬなんてことはないわ。精神生命体だから……そう、今の貴方や私と同じようにね』


「まじでか?」

 私は女神様の言葉に唖然とした。


 じゃあ私は何で死んだの? これじゃあ無駄死にじゃない?


 なんともやるせない気持ちのまま言葉を失った。


 でも、不思議とその白い猫に対しての怒りは芽生えなかった。


 多分、私が猫好きだからかしらね。


 私はグレンと言う猫の方に目を向けて苦笑した。


 女神様が私の様子に意に介さず言葉を続ける。


『それでね、提案なんだけど、あなた私の世界でやり直さない? もちろん貴方の夢を叶える為に出来るだけのことをするわ』


 女神様の唐突な提案にまたまた私は言葉を失う。


 うん、意味分からんわ。やり直すってどういうこと? 生き返るってこと? それとも生まれ変わるってこと? 


 疑問がどんどん湧いてくる。


『私が管理する世界に貴方を転移させて貴方が死ぬ直前で失った夢のお手伝いをするわ。そうね、その前に私が守護しているアスティアーテについて説明するわね。』


 私の様子をよそにニッコリと微笑む胡散臭い女神様。


 笑顔は輝くばかりに目映いけどね。


 何て言っている場合ではない。


 ハッキリ言って何を言っているのか分からない。


 話が突飛過ぎて突っ込むに突っ込めないのだ。


 女神様は呆然とする私に構わず話を続けた。


『私はアスティアーテの女神ラシフィーヌ。アスティアーテとはこの地球とは違う世界なの。つまり貴方たちがよく言う異世界ということね。アスティアーテはこの地球よりも大分遅れているの。なまじ魔法があるせいで科学が全然発展しなかったせいね。だから、アスティアーテの発展を促すために地球を参考にしようと思ってグレンを視察に行かせたんだけど……。』


 言葉を詰まらせた女神様は伏せ目がちに続ける。


『神獣であるグレンはアスティアーテの人間なら兎も角地球人の貴方には見えるはずがないの。でも、貴方の目にはグレンが映ってしまった。もしかしたら、貴方は遙か昔にアスティアーテ人として生きていたことがあるのかもしれないわね。稀にあるのよね〜。他の世界の魂が混じってしまうことが……』


 女神様は私の方を見て苦笑した。


 いやいや、軽く言っているけど稀にでもそんなことがあってはダメなんじゃないの? 


 そう思ったけど、ここで突っ込んでは話が進まないのでスルーした。


 女神様の話は更に続く。


『兎に角、グレンが不用意に地球で遊んで……じゃなくて、視察していたこともその監督不行届きも私のせいであることに変わりはないわ。だけど、アスティアーテの女神である私は地球に干渉できないの。でもアスティアーテなら貴方の魂を転移させることが出来ると思うの。転移したら記憶を持ったままだから夢を叶えることが出来ると思うわ』


 今女神様ってば、遊んでって言ったよね。いや、そんなことより肝心な事を聞いて置かなきゃならないわね。


「えーっとぉ、もし断った場合はどうなるの?」

 私は戸惑い勝ちに女神様に尋ねた。


『貴方の魂は永遠に彷徨う事になるわね……多分……』


「多分って……曖昧すぎやしません?」


『仕方がないのよ。初めての事例だから……』

 困ったような顔を向けるラシフィーネ様は口を噤んだ。


 永遠に彷徨う…………ひとりぽっちで? つまり、前世で聞いたことのある浮遊霊ってやつ?


 私は誰にも気付いて貰えず、終わることのない孤独に耐える自分自身を想像しただけで死にたくなった。


 もう死んでるけど……


 ふうっと溜息を付いて何とか気持ちを落ち着かせた。


 それにしても、ラッキーとかチャラとか地球でもおなじみの言葉を使い回す女神様は妙に軽い感じがする。


 きっとかなりの地球贔屓のせいなんだろうけど……


 兎に角、転生するにも転移するにも疑問は出来るだけ解消しておきたい。


 私は女神様に更に問いかける。


「アスティアーテに魂を転移させるということは、生まれ変わって赤ちゃんから人生を始めるということなの? 地球での私は死んでしまったし……」


『地球の魂をアスティアーテの輪廻の輪に入れるにはきちんと前世の生を宿命通りに終えてから双方の神同士で協定を結ぶ必要があるから無理ね。だから、魂が抜けた身体を拝借することになるわね』


「えっ? 魂が抜けた身体って死んだ身体……つまり死体ってこと?」

『大丈夫よ〜。魂が抜けたばかりの新鮮な身体を選ぶから〜」

「えっ? そう言う問題?」

 相変わらずのんびりした口調のまま何とはなしに言葉を発する女神様に不安が過ぎった。


 大丈夫かしら? 


『そうねぇ、この子なんてどうかしら?』

 私が不安に思っているとそんな事もお構いなしに女神様が話を続け、目の前にスクリーンのような物が現れた。


 そこには、所々破れて汚れたうす紫色のワンピースを纏った藍色の髪の少女が荒れ果てた地に仰向けに倒れていた。


 痩せこけた頬に落ちくぼんだ目の周りは隈になっているが全体的に整った顔立ちだ。


 10代前半くらいだろうか? 

 

 動く気配を微塵も感じない少女はきっともう生きてはいないのだろう。


「ねぇ、女神様。どうしてこの少女を助けてあげなかったの?」


『生きる意志が強ければ私も何とか出来たんだけど、この子は生きることを拒否したの。生きるのを諦めてしまった者にはどうすることも出来なかったの。でも、きっと大丈夫。この子の魂が次の人生はきっと幸せになるように出来るだけの事をするつもりだから……』


 女神様は哀愁を帯びた微笑みを零した。

 

『だから、カリンは安心してこの身体に入って自分の夢を実現すればいいのよ』


 私は女神様の言葉を受け、考えを巡らせた。


『もちろん、転生したら直ぐに生活に困らないための住居を準備するわ』

「住居?」

『そうよ〜、何てったって私はアスティアーテの女神だからね〜。この世界ではそれなりの力があるのよ。それに私の加護の他に恩寵も授けるわ』


 どうやら好待遇で転生できるようだ。


『今ならカリンとしての前世の記憶の他に天寿を全うする宿命も付けるわ。それにこの子は孤児だから自由に生きられるわよ。それで、どうする? この子の中に貴方の魂を転移して良いかしら?』


 何だか「今ならお得」みたいな前世のテレビショッピングみたいな言い回しなんだけど、益々不安感が沸き上がるのは気のせいだろうか?


 女神様の言葉を反芻して不安を払拭させるべく考える。


 私は夢の実現を目前にして命を失った。


 たとえ異世界だとしても永遠に彷徨うよりも転移させて貰った方が絶対にいい。


 しかも魔法が有るファンタジーな世界だ。そう思うと何だかワクワクしてきた。


 でも、魂を転移させてそのこの身体に入るってことは転生と言うことで良いのかしら? そんな疑問が過ぎったが、私は無意識に声を発していた。


「お願いします。あっ、でも…………」

 私が了承の声を発した瞬間、光りが私を包み意識が何かに吸い込まれるように消えていった。


 ーー いや、いきなりかよ! ーー


 意識を失う直前に私が発した言葉は女神様に届かなかった。

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