第13話 育児放棄 前編

~族長執務室~

「本当か!?良かったな!」

龍希は笑顔になって龍算を見る。  

「はい。妻は6月出産予定です。ようやく私にも・・・」


龍算は目に涙を浮かべている。

龍算は今年で38歳、前の鹿妻の出産では散々な目にあったのだ。

今度こそ無事に龍算の子が産まれてほしい。


「しかし、竜縁は大忙しだな。これで6人目か?」

「はい。また龍栄様が拗ねてしまわれますね。6月は竜縁様の誕生月でもありますから尚更・・・」

龍算はそう言って苦笑いする。


龍栄の親バカっぷりはもう有名な話だ。



~本家 リュウカの部屋~

「芙蓉、ただいま~」

仕事を終えた龍希はリュウカの部屋にいる妻を抱きしめて、唇にキスをした。

「あなた、今日もお疲れ様でした。」

愛しい妻は今日も笑顔で労ってくれる。

「う~今日も疲れたよ。ん?」

龍希が足元を見ると娘が袴を引っ張っている。

「どうした、竜琴?抱っこか?」


「パパー、りゅうきんしんでんいく。」


「は?」


「おなまえあげるの」


「は、はあ!?」


龍希は驚きのあまり大声が出た。


「ええ?え!竜琴!まさか竜神の声が聞こえたのか?お前が巫女?」


娘はこくりと頷いた。

「え?この子が?」

妻も驚いている。

「あ、ああ。今日ちょうど龍算の妻が妊娠したと報告があったんだ。てっきりまた竜縁かと思ったけど・・・」

「まあ、龍算様に・・・」

妻の顔が曇った。

「明日、竜縁を呼んで巫女の引き継ぎをしないとな。」

龍希は作り笑顔でそう言ったものの、内心は穏やかじゃない。


妻と離れて巫女なんてできるのか?


翌日、龍希の悪い予感は的中した。


「い~や~ママ~!ママ~!」


さっきまでご機嫌で竜縁と神殿に行く準備をしていた娘は妻が一緒に馬車に乗らないと分かると大泣きを始めた。


「竜琴。大丈夫!竜縁様とパパが一緒でしょう?ママはここで待ってるから。」


妻が馬車の側で宥めるが・・・


「やー!ママもいっしょ!」

「竜琴、パパが抱っこして一緒に行くから、な!」

龍希も娘を抱えて慰めるが、


「パパいや!ママ!ママ~」


「そんなにはっきり言うことなくね。」

龍希はショックを隠せない。

「族長、今日は無理そうです。まだ時間はありますし、奥様とはなれて外出するれん習からしたほうが・・・」

「そうだな。」

竜縁の提案に龍希も同意した。


だが、翌日、竜琴は妻から離れず大泣きし、龍希も妻も困った。

「な~ん~で~?ママも!」

「ママは神殿に行けないんだ。」

「なんで?パパいじわる!」

「いじわるじゃない。俺だって芙蓉と一緒に行きたいさ。でも無理なんだ。」

「なんで?」

「竜琴、ママはお家で待ってるから。パパと行ってらっしゃい。」

「い!や!パパいや!ママと!ママ~」


「なんで?俺そんなに嫌われるようなことした?」


龍希も泣きたくなった。



こんな日が3日続いた。

そして4日目の朝のことだった。

「おはよう。」

龍希が憂鬱な気分で食事の部屋に行くと誰もいない。

「ん?」


おかしいな。妻は龍風の授乳中か?

にしても侍女が1人も、カカまでいないなんて・・・

龍希がリュウカの部屋に行くと、部屋の前に侍女たちが集まっていた。


「どうした?」

「あ、旦那様!奥様が・・・」

タタが困った顔をして答える。

「芙蓉、どうした?」

そう言ってリュウカの部屋の扉を開けた龍希は驚いた。

妻はベッドで布団を頭から被って寝ているようだが、ベッドの側で3人の子どもたちが妻を呼んでいる。


「ママどうしたの?」

「マ~マ~」

「ママ!わーん」

龍風は泣きながら妻を呼んでいるが、どうしたのだろう? 妻は全く反応しない。

いつもは子どもの呼ぶ声を聞くととんでいくのに・・・何の反応もしないなんて異常だ。


「芙蓉はどうしたんだ?」

ククとシュンに尋ねるが、

「分かりません。朝方、暗い顔で寝室からお戻りになられてから、ずっとこの様子で。お子様たちが起きても反応されず・・・」

2人とも困惑している。


「芙蓉、どうした?体調が悪いのか?どこか痛むか?」

「・・・」


返事がない。 いや、妻は小さな声で何かしゃべっている。

子どもたちの声がうるさいが、龍希は妻に近づいて妻の声に集中した。


「い、いや。もうよばないで・・・ぐすん。うっうっ」


妻は布団の中で声を押し殺して泣いているようだ。

連日の竜琴の大泣きに龍希だって疲れていた。

妻にもとうとう限界がきたんだろう。


「ママは今日はお休みだ。ほら、お前たち、パパとご飯を食べような。ママはねんねだ。」

龍希は笑顔を作って子どもたちに話しかける。

「う~うん。」

「は~い。」

意外にも上の息子と娘は素直に返事した。

娘なんてここ数日のぐずりが嘘のように素直だ。

ただ、一歳になったばかりの龍風は泣きながら妻の布団を握ったままなので、龍希が抱っこしてリュウカの部屋から連れ出した。


「竜湖、竜紗、竜冠を呼べ。」


廊下のタートに命じるとすぐに呼びに行った。

龍希が3人の子どもと朝食を終え、龍風が泣きつかれて眠った頃、竜湖たちがやってきたので、妻の様子を説明して子どもの子守りを頼んだ。


「芙蓉様はお疲れがたまっておられるだけならよいのですが・・・」


竜冠は随分と深刻そうな顔をしている。竜湖と竜紗もなにやら険しい顔だ。


『いや大げさすぎだろ。』


龍希は首をかしげながらも1人、リュウカの部屋に向かった。

疲れた妻を慰められるのは自分しかいない。


「芙蓉」

龍希がリュウカの部屋に入ると妻は相変わらず布団の中で泣いていた。

部屋に侍女たちはいない。

さすがにククとシュンも退室したようだ。


「芙蓉、大丈夫だ。竜湖たちを呼んだから子どもたちのことは心配ない。今日はゆっくり休もうな。」


龍希は優しく声をかけて布団の上から妻の頭を撫でる。

しかし、妻から返事はなく、泣き止む様子もない。


布団に入って抱きしめようかな?


龍希は困った。

こんなに泣いている妻は初めてだ。

かつて転変前の娘が竜神の呪いを受けた時、妻は毎日泣いていたが、俺が来るといつも泣くのを止めて、睨んでたし・・・う、嫌なことを思い出した。


今回は別に龍希が妻を怒らせたわけではないのだが・・・泣いている妻の慰め方が分からない。


「・・・て。」


「ん?」

かすかに妻の声が聞こえた。龍希は耳をすませた。

「1人にして。」

聞いたことがないほどか細い声だった。

どこか体調がわるいのではないかと心配になったが、龍希は素直に部屋から出た。

ククとシュンを扉の前に控えさせ、シュシュにも今日一日本家で待機するよう命じて、龍希は執務室に向かった。



~龍希の私室~

「芙蓉はどうしたんだ?」

龍希は頭を抱えていた。

昨日、朝からベッドの中で泣いていた妻から子どもたちを引き離し、1日ゆっくり休ませたのだが、今日も妻は部屋どころかベッドから出てこない。

昨日は侍女がベッドサイドに置いた飲み物は飲んだらしいが、食事には一切手がつけられていなかった。

それに夜になっても、1人で居たいと泣くので子どもたちは別室で竜湖たちが無理矢理寝かしつけたのだが・・・あんなに子どもたちのそばを離れるのを嫌がっていた妻なのに?

龍希の寝室にも来てくれず、龍希がリュウカの部屋で一緒に寝るのも嫌がった。

娘にも妻にも拒絶され、龍希は寝室で1人泣いた。


そして今日はもう昼すぎなのに妻の様子は変わらない。

子どもたちについに限界がきて、3人とも妻を求めて大泣きしている。

もう1時間になる。

龍陽は最近は妻と離れて過ごせる時間も増えていたのに・・・大泣きしながら龍希に問いかける。


「ママ~!ママどうしたの?」

「ママは体調が悪いんだ。休ませてあげような。」

「なんで?」

「疲れてるんだ。お前たちあんまり泣いて困らせるな。」

「ないたらこまるの?なんで?」

「泣いたらママは困るの。パパも困るの。」

龍希だってそろそろ限界だ。


「どうしたらママげんきになる?」

「パパが知りたい。」

「パパわかんないの?」

「パパも分かんないの。」


「やくたたず~。わーん。」


「・・・」

娘も息子も俺に冷たくね?

誰だよ?役立たずなんて言葉教えたのは!



~リュウカの部屋~

「芙蓉、体調はどうだ?」

夕方、仕事を終えた龍希はそっと扉を開けて、妻に呼び掛けた。

妻は相変わらず布団を頭から被って、反応がない。

ベッド横に置かれた食事は手付かずだ。

病気かと思ってシュンとシュシュに診察させたが、熱も怪我もないという。


「芙蓉、何か食べたいものはないか?お風呂は?1人でゆっくり入ってこないか?」

龍希はなんとか妻を元気づけたいのだが、妻は返事もしてくれない。

「芙蓉~どうしたんだ?」

龍希はたまりかねて布団をめくって妻に問いかけた。 妻は両手で顔を覆って身体を縮めている。

「・・・たか?」

今日もなんともか細い声だ。


「あの子は神殿に行きましたか?」

やっぱり娘のことが心配で調子が悪いようだ。

「いや、ダメだ。芙蓉が心配みたいで。元気になったらまた娘を説得してくれ。」


「・・・なんで?」


「え?」

まさか妻からもなんで?攻撃をくらうとは。

龍希はげんなりした。

「いや、俺じゃダメなんだ。やっぱり芙蓉じゃないと。竜琴だけでなく子どもたち皆ママ、ママって。」

「あなたの子なのに?」

「え?」


「人の子じゃないのに・・・」


「・・・芙蓉?どうした?」


「神殿ってなに?巫女ってなに?竜の子のことなんて私には分かんない!なんで人の子じゃないの!!」


「え?芙蓉?」

妻の様子がおかしい。子どものことを話す時はいつだって優しい声なのに・・・今の声はまるで

龍希は絶句した。

信じられない。 妻から子どもたちに対する敵意を感じる。


「もういや!ううう・・・」


妻は激しく泣き出したが、龍希はパニックだ。

今までだって子どもたちが泣いて困らせることはよくあった。妻が疲れた時は数時間子どもたちと離して1人で休ませたら、元気になって自分から子どもたちの元に戻っていたのに。



~子ども部屋~

「うわーん。ママは?」

龍希を見るなり大泣きしている子どもたちが駆け寄ってきた。

「ママは今日もねんねだ。」

「なんで?」

「俺が聞きたい。」


「龍希、ちょっと隣の部屋にいらっしゃい。」


疲れた様子の竜湖にそう言われ、子どもたちを竜紗と竜冠に任せて、龍希たちは隣の部屋に移った。

「芙蓉ちゃんの様子は?」

龍希は先ほど感じたことを素直に竜湖に話した。


「あ~やっぱりね。」


竜湖はため息をついて天井を仰いだ。

「やっぱり?何がです?病気ですか?」

「ううん。違うわ。芙蓉ちゃんにも限界がきちゃったのよ。まあ同種繁殖の獣人にしては頑張ったわ。」

「はい?」

龍希は意味が分からない。


「芙蓉ちゃんは育児放棄したの。」


「は、はあ?ありえないですよ!」

龍希は即座に否定した。異常なほど母子の愛着が強いのだ。育児放棄なんてありえない。

「よくある話よ。先月、龍陽のうろこが生え代わってもう人の姿にはならなくなったでしょ?そこに竜琴が竜神様の巫女になって限界がきたのよ。人の子じゃないことに。」

「人の子じゃないって・・・そんなの当たり前でしょう?俺の子なんですから。」


「あんた、それを妊娠前に芙蓉ちゃんに説明した?」


竜湖に睨まれて、龍希は目をそらした。


「人族は同種繁殖の獣人よ。他種族との交配は想定してないどころか嫌悪してる。龍陽の妊娠が分かったとき、芙蓉ちゃんは人の子じゃないってことに嫌悪感を示してた。

それでも母と同じ人族の姿で産まれるってことで出産して、これまで子育てをしてくれたけど・・・もう龍陽は人の子の姿じゃないし、神殿の巫女なんて人族にはないものだから。

竜の子を育てるのが嫌になったのよ。 あんたは驚いてるけど別に珍しいことじゃないわ。竜冠の母も、龍兎の母もうろこの生え代わりを目の当たりにして育児放棄したし。龍景の母親なんて転変と同時に育児放棄したから、守番の私は大変だったわ。

あんたはうろこの生え代わりの前に親離れしたから困らなかっただけ。鳥族と猫族は早いからね。」


「ええ!?なんで?芙蓉は俺のことをもう嫌ってないのに?俺の子は嫌なんですか?」

龍希は信じられない。

「夫との仲は関係ないわ。私も1人目を産卵して育ててるとき同じ経験をしたから分かるけど、自分の子どもが自分と同じ種族じゃないってすごくストレスなのよ。そんなの分かってたことなのに・・・どう育てていいのか分からない、自分の子なのになんで違うのって。」

あの竜湖が泣いている。

「ど、どうしたら妻は元気になりますか?」

「さあ。」


「さあって!このままじゃ子どもたちだけでなく俺まで大泣きしそうですよ!」


「人族の妻は前例がないの!分かんないわよ!私が持ってきた縁談でもないし!」

「う・・・」

それを言われると龍希は何も言えない。

「明日、三輪ちゃんを呼ぶわ。それくらいしか手だてがない。いそいで対策を練らないと、龍風の命が危ない。」

「え!?」

「あの子はまだ離乳してないでしょ?なのにもう2日も母乳をもらってないどころか母との接触すらできてない。衰弱してきてる。まだジュースを飲んでくれてるからいいけど、今日は離乳食は食べなかったわ。あんたの雷気も食べないし・・・このままだと龍墨みたいに」

「そんな・・・」

龍希は頭を抱えた。


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