第12話 族長お披露目会

~紫竜本家 大広間~

『あーしんど』

カラス族長のアヤは心の中で呟いた。

紫竜の臭いは何度嗅いでも慣れない。

新族長のお披露目会で多くの種族が来ているとはいえやはり竜の巣だから紫竜の臭いが一番強い。


アヤと夫は龍算の案内で席についた。

紫竜の世代交代により龍算が取引担当の筆頭になっている。

格下の取引先はすでに着席し、カラス族と同時に呼ばれた熊、白鳥は各担当者の案内で席についた。

熊の担当者はやはり龍海に代わっている。


その後から象族が入ってきた。

龍灯の妻が娘を出産して象族の立場があがったのだ。熊族も補佐官筆頭になった龍海に嫁いだが、やはり紫竜では子を産まないと主要取引先内の地位はあがらない。

だが、子を産んだら安泰というわけでもない。

シリュウ香の取引量や種族の状況等で取引先としての地位はコロコロ変わる。


白猫族と鹿族はやはりいない。

どちらも花嫁の替え玉をやらかしたから当然か。

シマヘビ族もいない。

間者によれば、龍光の妻が族長の人族妻にちょっかいをかけて消されたらしい。

紫竜にとって誤算だったのはシマヘビ母の死のショックで龍光の次男が死んだことだろう。

まあそれがなくても龍光が族長になることはなかったろうけど・・・龍光はしばらく塞ぎこんでいたらしいけど、今日は長男と出席してるわね。

妻と死別したとはいえ幼い子のいる竜は回復が早いのね。


「なんでワニ族までいないんだ?」


夫がアヤに尋ねる。

ワニの妻は居なくなったとはいえ、紫竜と揉めたとはきいてない・・・間者も把握してない事件でもあったのかしら?


「う・・・」


隣の夫が苦しそうに下を向いた。

『きた・・・』

アヤは己を叱咤して臭いの方を見た。


黄虎、朱鳳様、藍亀だ。


紫竜と同じく神獣のあの方々は常に主要取引先のトップに君臨している。

おや?黄虎は族長と虎豊と虎の子も一緒だ。

紫竜から2名までと言われていたが、まああの族長が大人しく従うはずがない。

ふーん、主担当は龍灯に変更になったのね。だから象の案内が竜紗だったの。


朱鳳様は族長様と鳳剣様だ。妻の竜湖が案内している。


藍亀は族長と族長後継か。主担当は龍栄のままだ。


案内役の紫竜たちも席についた。

あら?1人だけ獣人の妻がいる。すごいわね。この臭いの中でよく平気・・・


「あれは人族か?」


隣の夫も気づいたようだ。

「みたいね。ならあれが龍海の息子ね。」

一体どうやって2匹目の妻を捕まえてきたのやら。



~熊族長レイラの席~

「ふっ、やっぱりカリナはいないわね。」

熊の新族長レイラは心の中でほくそ笑んだ。

実家から兄の失脚を聞いて、出席する気も失せたのだろう。

いい気味だ。


レイラの元に紫竜本家で急死した伯母の遺言書が届いたのは昨春のことだった。

そこには熊族に潜り込んでいる紫竜の間者3匹が書かれていた。そして、これを利用してレイラに次期族長になるようにと。

なんと、族長後継候補のカリナ兄の側近も紫竜の間者だというから驚いた。


レイラは遺言書を見ながら1人私室で大泣きした。


かつて伯母が竜音に騙されて実家に戻った際、当時10歳だったレイラは母の命令で伯母の話相手をしに行った。

母はうるさい愚痴を代わりに聞いてこいと命じたが、伯母は愚痴なんて1つも溢さず、成獣前のレイラに沢山の話を聞かせてくれた。

熊族の歴史、商売のこと、紫竜のこと、取引先のこと・・・レイラは驚いた。

バカ母はもちろん族長の父よりも伯母の方が何倍も博識で聡明なのだと分かったからだ。


レイラは勉強のために毎日のように伯母に会いに行き、聞いた話をすべてノートに書き留めた。

そのおかげで20歳で成獣すると同時に年上の兄をさしおいてレイラは族長後継候補になった。


そのノートはどんな宝石よりも価値のあるレイラの宝だ。


だから、伯母が紫竜に戻ることになった時は本当に悲しかった。

ずっとレイラのそばに居てほしかった。

大泣きしてすがりついたが伯母の意志は揺るがなかった。


愛する子どもたちが待っているからと言って。


臭い竜の子など放っておけばいいのに!


そう言って大泣きしていたレイラは、真剣な眼差しの伯母に諭された。

紫竜と正面きってけんかをしてはダメ。

時には騙されたふりをしながら、大切な局面では情報と知恵と度胸をもって取引をしなさい。

けんかはダメ。熊族には滅亡しかない。

金銭取引に持ちこむの! 覚えておいてね。

あなたが将来、熊族を背負うのよ!

賢くて優しいレイラ、私はあなたのことも大好きよ。

そういって伯母はレイラを抱き締めて、泣いて別れを惜しんでくれた。

レイラは約束したのだ。

将来、伯母の教えを胸に熊族を導くと。


そして伯母もその約束を覚えていてくれた。


その証がレイラ宛の遺言書だ。

昨冬にカリナと龍海の結婚が決まり、紫竜が族長の父に圧力をかけてカリナの兄を後継者にさせようとした。

そのタイミングを待って、今年の1月、レイラは伯母から教えられた紫竜の間者3匹を捕らえて、竜夢に取引を持ちかけた。

秘密裏に間者たちの身柄を紫竜に渡すことと引き換えに、レイラの族長就任に力を貸すとともに熊族長が伯母の遺産の買取りに支払った金額の半分を返すようにと。

竜夢はしらばっくれていたが、レイラが伯母の遺言書と捕らえた3匹の身柄を黄虎に売ると脅すと顔色が変わり、翌日には紫竜新族長の承認を取り付けて取引に応じた。

カリナ兄は紫竜間者である側近に不正を暴露され、熊族領の端で蟄居となった。


カリナは何のために紫竜に嫁いだのやら。


こんなはずではなかったと熊の侍女にあたり散らしているらしい。

あと1ヶ月待ってから、熊の侍女を使って優しく懐柔し、レイラの手駒にしていく予定だ。

龍海の妻という立場を利用しない手はない。

カリナには子を産んで主要取引先内での熊族の地位を上げてもらわなければならないし、伯母に代わって紫竜の内部情報を漏らしてもらわないと。


それはそうと紫竜新族長の妻はどこの種族になるかしら?


レイラは内心ほくそ笑みながら、アヤと同じことを考えていた。



~カラス族長アヤの席~

「そろそろ、新族長と竜の子たちがくるかな?」


アヤは宴会場の入口を見ていた。

族長の今の妻はそろそろお払い箱なのだろう。

短期間に竜の子を3匹も産まされたのだ。もう人族は心身ともにボロボロのはずだ。

今日は当然居ないだろうな。

やはり流産はデマだったが、流血事件は事実だ。

それに最近は本家の使用人の前にほとんど姿を現してないらしいし。


まさかあの人族が竜の子を3匹も産めるなんて誰が予想できただろうか?


竜の子一匹だけでも心身を病んで死んだり、離婚する妻は多いのに。

まあ人族の妻には離婚して実家に戻る選択肢はないだろうが。

人族の妻を補充したということは、龍希の妻は死期が近いのだろう。


新族長妻の後がまを狙っている取引先は多いようだ。

出席種族の3割近くは族長とともに若い娘が来ているが、娘の方は心中穏やかではないだろうな。

子を産むプレッシャーはもうないが、何せカラス族長の娘と半年足らずで離婚した雄竜だ。

その上、紫竜の中でも一際強い臭いを嗅いだら尚更、娘たちは嫌がるに違いない。


妹のサヤは結婚後半年ともたずに心身を病んでいた。


あの時、枇杷亭から連れ出せなければ年を越えることなく死んでいたに違いない。

だからアヤも当時のカラス族長もサヤの離婚に後悔はないのだ。


「え?」


驚きの声をあげたのはアヤ夫婦だけでない。

紫竜の新族長と竜の子3匹と・・・


人族の妻もいる!?


長男の転変祝いの時と同じく族長に肩を抱かれて密着されているが、作り笑顔を浮かべて自分の足でしっかり歩いている。


『嘘でしょう?』


アヤは目の前の光景が信じられない。

族長はもちろん竜の子たちの臭いも相当きついのに・・・なんで平気?

席についた新族長が何やら挨拶をしているが、どうでもいい。


信じられないが、あの人族の妻だ。


作り笑顔を浮かべて一番小さい竜の子を抱いてあやしている。

あの頑丈な熊族の妻でさえ先代族長のお披露目会は欠席していた。孔雀の妻なんていわずもがな。

アヤたち獣人の取引先は紫竜たち四大神獣の席から可能な限り離されて、外の空気に当たることのできる席にいるからなんとか臭いに耐えられる。

ダメなら席をたっても非礼にはならない。

倒れるよりマシだからだ。


だが、紫竜の妻は紫竜一族に取り囲まれ、そのうえ執着の凄まじい夫竜がそばから離さないのだ。下手すれば会の途中で気絶してしまう。

ゆえに紫竜の花嫁は滅多に取引先の前に姿を現すことがない・・・と聞いているのに。

アヤが呆然と人族の妻を見ていると、会場にどよめきが起こった。


「なに?」


アヤは小声で夫に尋ねる。


「聞いてなかったの?族長長男の鱗を1枚ずつプレゼントするって。この場にいる全取引先に!」


夫はすさまじく動揺している。

「は?」

アヤはまた驚いた。


先月、族長長男の鱗が生え代わったことは聞いている。今日の会で販売されることも想定内だ。

だけどプレゼントする?嘘でしょ?


と、龍算が近づいてきた。

「新族長よりカラス族に贈り物でございます。」

そう言って手渡したのは・・・深紫に輝く鱗だ。

ガラスケースに入れられていても臭いが強い。


『まじで!?』


前代未聞だ。 紫竜の鱗は貴重ゆえ毎回高値で売られている。

しかも族長長男は10数年ぶりの竜の子だ。

相場よりも高い150万円以上の値をつけてくると予想していたのに・・・なんと見事な色だろうか。

カラス本家にある新族長とその異母兄の鱗に負けてない。


嫌な予感がする・・・あの新族長は型破りなのだ。


ただでさえ行動が予想できない紫竜の中でも特に。

末席からは歓声とも悲鳴とも聞こえる声が次々聞こえてくる。そうだろう。弱小取引先が購入できるものではない。

族長ですら初めて紫竜の鱗を見る種族も多いはずだ。


『あの族長はもう息子の代のことを見据えているわけね。』


アヤは紫竜族長の意図に気づいて感心してしまった。 さすがに紫竜からのプレゼントを転売するわけにはいかない。

いや、鱗の購入すらできない取引先にとっては金よりも価値のある一族の宝になるだろう。

そんな取引先は、一族や後継者に紫竜の新族長とその長男のことを嬉々として語り継ぐに違いない。


「息子の鱗は行き渡りましたか?まだありますので例年どおり販売も致します。ご用命の方はこの場でご注文ください。一枚400です。」


新族長が営業スマイルでバカなことを言い出した。

「はあ!?」

アヤは開いた口が塞がらない。

これまでの相場の2倍以上だ。とんでもない商売をしやがる!


「あははは!さすが龍希殿!」


大きな笑い声をあげたのは黄虎の族長だ。

「いいわ。お祝いだもの。うちは40枚ね。」

「奇遇ですね。私どももそう注文しようと思っていました。」

黄虎に続いて朱鳳様も同じ数を注文した。


やはり種族としての格が違う!


「藍亀族はいかがされます?」

紫竜の族長が愉快そうな顔で藍亀のお二人を見る。

「ふーむ、紫竜の鱗なんて珍しくもないがのう。」

「まあまあ族長、お祝いですから。それに色は悪くない方です。」

藍亀族長を族長後継が諌めている。


「そうか?まあ、竜の子の小遣い程度にしかならんだろうが、80もらおうかのう。すまんな。少なくて。」


『ひえ!』


アヤは恐怖で全身の毛が逆立った。

竜の巣で黄虎と朱鳳様を挑発する?

普通はしないってかできないわよ!?


ああ、黄虎も朱鳳様も藍亀族長たちを恐ろしい顔で睨んでいらっしゃる。

主催の紫竜は・・・なに楽しそうに笑ってんだ!?

こっちは生きた心地がしないわよ!


やっぱり紫竜なんてろくなもんじゃない!


心の中で悪態をついたのはアヤだけではなかった。 それどころか隣の熊族からは舌打ちが聞こえ、白鳥、象の族長は凄まじい顔をしている。

アヤの夫が耐えきれず席をたった。

他の取引先は・・・あ~あ、若い連中は恐怖で気絶するか逃げ出している。

末席の取引先なんて族長ともども・・・


あら?あれは孔雀の新族長ね。

あいつは席に留まってる。

ふーん。孔雀は今後、取引先の地位を上げてきそうね。

まあ主要取引先になることはないだろうけど、要チェックだわ。



『ええ?なにがあったの?』

芙蓉は作り笑顔が壊れてしまった。

獣人たちが気絶するか部屋から逃げ出している。


隣の夫は・・・なぜか愉快そうに笑っている。


なんで?

芙蓉の困惑した顔に気づいて夫が立ち上がった。


「そろそろ怒気を押さえてくださいよ。獣人たちが気の毒です。」


黄虎、朱鳳、藍亀たちの席を向いて声をかけるが、顔はまだ笑っている。


「あら?なっさけない。こんなのお遊びなのに。」


そう言った女族長の顔は芙蓉からは見えない。

その隣の席の朱鳳2人は顔を見合わせているが、芙蓉から表情までは見えない。

藍亀の族長は相変わらず飄々としているが、そのとなりの幹亀はほっとした顔になったのが辛うじて見えた。


「20分ほど休憩にしましょう。黄虎、朱鳳、藍亀の皆様は担当者が別室の休憩室にご案内します。」


夫がそう言うと、龍灯、龍栄、竜湖が立ち上がって、各々の休憩室に案内して行った。


「芙蓉、俺たちも下がろう。」


夫はそう言って立ち上がると、芙蓉の手を取って席の後ろにある扉に向かった。



~族長休憩室~

「芙蓉は・・・大丈夫そうだな。」

夫はほっとした顔で芙蓉を見るが、

「あの・・・何があったのですか?」

芙蓉は訳が分からない。


「藍亀のじじいが虎と朱鳳を挑発するから、虎と朱鳳の怒気で獣人たちがぶっ倒れたんだ。」


夫は肩をすくめる。

「ドキ?」

芙蓉は首をかしげたが、夫は作り笑顔を張り付けたままそれ以上は教えてくれなかった。


「芙蓉はこのまま子どもたちとここで休んでてくれ。竜紗と竜冠が来るから。」


夫はそう言って1人で休憩室を出ていった。

珍しい。

一族の商売の話になるから聞かせたくないのかな?

それとも宴会場に残った取引先との密談でもあるのだろうか?


なんにせよ獣人だらけの宴会場に戻らなくていいなら良かった。

三輪も休憩室で休めているかな?


「ママ~大じょうぶ?」

優しい長男が心配そうに芙蓉のそばに寄ってきた。

「大丈夫よ。大勢の前だから緊張しちゃったの。」

「くさかったねー」

「ふふ、龍陽たちは鼻がいいからね。」

「とらはとくにくさいのー」

娘はまた不愉快そうな顔をしている。


「・・・ママはどんな匂い?」


芙蓉は娘に尋ねてみた。

「ママはいいにおい!だいすきなにおいなの。」

「ぼくも!ママのにおいすき!」

「2人ともありがとう。ママも大好きよ。」

芙蓉はそう言って上の息子と娘を抱き締めた。


「パパはまたママにいじわるしてるの?」


「え?何を言ってるの?龍陽。パパはママにいつも優しいわ。いじわるなんてしないわよ。」

芙蓉は慌てて息子をたしなめる。


「でもママかなしいでしょ。」


「・・・」

芙蓉は返事に困ってしまった。

息子は敏感な上、最近はすぐに言葉に出してしまう。

「パパはお仕事中なの。ママより大切なものが沢山あるんだからいじわるなんて言っちゃダメ。」

「・・・はーい。」


「いい子ね。龍陽、竜琴、龍風。あなたたちがパパを助けてあげてね。ママからのお願い。」


「わかった。」

「はーい!」

「あーい」


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