第16話 丸岡 (1か月と1週間後)

「くそっ、どうなってんだ。パスワードを変えるとかありえない、何考えてるんだあの無能野郎」


 丸岡は誰もいないオフィスで怜のデスクに肩肘をつきながらPCのキーボードに右手の拳を叩きつけていた。


「もう少しだ、もう少しで大金が手に入るところだったのに。どうしてこうなった、そもそもあいつはなんで生きている?」


 暗いオフォスの中で独り言をブツブツと言っている丸岡のスマホが鳴った。ビクッと体を震わせた後にスマホの画面を見る。無視したい気持ちを押し殺して通話ボタンを押した。


 丸岡が一番会いたくない相手は近くまで迎えに来ていると言って通話を切った。暗い窓からビルの下を見る。通りはカフェから洩れる灯りや外灯で人の姿がちらほら浮かびあがっていた。その中にひときわ大きな体が見えた。


 短いコートを着て帽子をかぶって顔を隠しているが体つきで分かる。


「グリズリーだ」丸岡は顔から血の気が引くのが分かった。冷たい汗が流れるのを拭くこともせずにカバンを力なく下げオフィスから出ていく。


 ビルのエントランスに出ると丸岡の前にグリズリーと呼ばれた大きな男が立ちはだかった。帽子を目深にかぶっていても視線に殺意がみてとれる。


「ついてこい」短く言って先を歩くグリズリーに丸岡は黙って従った。車に乗せられ目隠しをされ連れて行かれるのは多分『オッソ・ポラール』のアジトだろう。


 『オッソ・ポラール』はヒスパニック系ギャング組織だ。殺しを厭わない冷酷非道なギャングである。


 しばらく車で走ると引きずられるようにして車から降ろされた。連れて行かれた広い倉庫のような暗い場所にはぽつんと椅子が一つ置かれている。丸岡はそこに座るように指示され恐怖で縮み上がった。どんな拷問が待っているのだろうか。


「こんばんは。そこに座ってね」 オネエのような声が聞こえてくる。丸岡の横にいるグリズリーではなくスピーカーのようなものからだ。前方の机に置かれた白熊のぬいぐるみから声が出ていた。


 丸岡は場にそぐわない可愛らしいぬいぐるみに返って不気味さを感じる。


「丸岡くんといったかな。貸したお金の事は覚えてる? いつ返してくれるのかなぁ」


「銀行口座に金は入ってるんだ。それが、PCに入れなくなって、方法はあるんだ、PCにさえ入れたらすぐに指定の銀行に振り込みができるから、待ってくれ」


 必死に白熊のぬいぐるみに丸岡は叫ぶ。


「いつまで待てばいいのかなぁ」


「その前に聞きたい、鷹東怜からブツは受け取ってないのか。なんであいつを殺さない、取引をダメにしたんだ殺して当然だろう」


 鷹東怜の名前を聞いた途端、グリズリーが怒り出した。


「ボスの質問が先だ。お前こそ俺たちを騙してるんじゃないのか。レイ・タカトウは本当にブツを持っていたのか? 待ち合わせ場所が爆発したのは罠じゃないのか」


「俺は確かにあいつにブツを持たせて時間通りにレストランに行かせて、そこにいるのも確認した。スマホに連絡が来たんだ、あんたがまだ来ないとな。俺は取引の後で残りの金を持っていくつもりだった」


 借金まみれの丸岡は弱みを握られたギャングの G.P. から優良企業の営業マンの立場を利用され麻薬売買の仲介人をさせられていた。麻薬の密売には危険が伴う。逃げられない弱い日本人を受け渡しに使えば仕事はきちんとするし例え死んでも惜しくないという理由からだろう。


 今捕まっているオッソ・ポラールにも借金がありコカイン5キロの現物と残り5千万を現金で支払う約束をしていた。取引はあの夜だ。


 鷹東怜に嘘をついて現場に行かせるのは簡単だった。会社の金を横領していることをバラすと言ってやったら青くなってお使いを引き受けてくれたのだ。バカなやつだ。


 丸岡は事前に麻薬取引の情報をFBIにタレこんで何も知らない鷹東怜がグリズリーと取引する現場を押さられて捕まるように仕向けていたのだ。これは大きな賭けだった。グリズリーもろとも捕まればよし、愚図な怜が一人逃げ遅れて捕まるもよし、とにかく怜だけは陥れたかったのだ。


 だが、想定通りにはいかなかった。オッソ・ポラールに渡すはずのコカイン5キロはなくなり邪魔な鷹東怜は生きていて、俺はカジノでイカサマがバレてイタリアマフィアに追われる身になった。八方ふさがりとはこのことだ。

 

 コカイン5キロを今日明日に用意するのは無理だが一月あればなんとかなる。金はかかるがPCさえ開ければ5億は手に入るはずなんだ。5億あればコカイン5キロを買って借金を返しても手元に3億は残る。これさえあれば余裕で高跳びできる。


「一月待ってくれ、コカインを5キロ用意する。元締めに今から頼めば用意できる」と丸岡は懇願した。


「一月だと、ふざけるな」グリズリーは丸岡の首を片手でしめる。


 ううと唸りをあげる丸岡は息が出来ずに白目をむく。


「グリちゃん、やめたげて。今まではちゃんと取引出来てたんだし今回は目をつむるわよ。一月ね、きっかりやってよ。ただし借金には利子をつけるからよろしく~」 


 白熊のぬいぐるみから聞こえてくるちぐはぐなオネエ言葉に苦笑いもできず黙って頷いた。


 丸岡はまた目隠しをされるとタカトウ・コーポレーションの入ったビルの近くまで戻されたあとに解放される。


 ギャングに逆らっても殺されるだけだ。この生活から抜け出すために仕掛けた暗号資産詐欺を絶対に成功させなければならない。金は集まっているのにあいつのPCが開けないために動かせないのだ。


 早くしないとタカトウ・コーポレーションが※ICOを行うという嘘がバレて集まった資金が凍結されてしまう。

 

 丸岡は企業が独自で発行する暗号資産を使って詐欺を仕掛けていた。鷹東怜の名前を騙ってプレスリリースの前に秘密裡に取引をすれば儲かると取引先の役員や営業から金を集めていたのだ。


 計画では鷹東怜が麻薬密売で逮捕された後、暗号資産詐欺の罪も全て背負わせるはずだった。丸岡はアジアの何処かに高跳びして身を隠し今の地獄から抜け出るのだ。


 あいつは今どこにいるんだろう。携帯は通じないし自宅にも帰っていない。どうにか探さないと。何がなんでもPCのパスワードを聞きださないといけない。





オッソ・ポラール スペイン語で「白熊」の意味


※ ICOとは「Initial Coin Offerings」の略称 企業や団体が独自の暗号資産トークンを発行して資金調達を行うこと。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る