第12話 レイの悶々とニーコの疑惑

 ラン・ホウジョウの店から二人して逃げ出したレイは車の中で起こった不測の事態の後どうやってディーノの部屋に戻ってきたのか覚えていなかった。助手席で気絶していたのかもしれない。部屋でキツイ酒を飲んですぐに寝落ちしたのもまったく記憶になかった。

 

 ただ、一つ覚えているのはあの光景だけだ。レイは二日酔いの頭をかかえベッドの中で一人悶々としていた。


「キスしてしまった。ディーノと、」 思わず倒置法で呟いてしまうくらいには混乱している。


 レイは布団を頭から被りディーノの唇の感触を思い出してはベッドの上でゴロゴロしながらうわーと叫んでいた。


 トントン


 寝室のドアがノックされる音がしたあとディーノがそっとドアを開けて中を覗く。


「どうしたの、大丈夫? うなされてるみたいだけど」


 普段通りの態度で何事もなかったようにレイに接するディーノに自分だけが意識しているのが恥ずかしくていたたまれない気持ちになるが意識するなと言うほうがおかしいと思う。


 甘い声を聴いてあの時の事がまた勝手に頭の中で映像化される。


 シートベルトに挟まれて逃げられないレイにディーノは優しくキスをした。それはほんの軽いものなのにレイは驚いてカチコチに固まってしまう。


 「可愛いね」と言いながらレイの顎を少し上げて「リラックスして、はい、もう一度」と、予想外の言葉にえっとなり半開きになったレイの唇をディーノが優しく舌で舐めたあと遠慮なしに吸い付けられた。柔らかい唇はとろけるように甘いのに舌だけは口内を乱暴に動いている。レイは頭がふわふわするような濃厚なキスで身も心も痺れるように溶かされる。


 んんんっ


 キスってこんなに気持ち良かったっけ。


 いつの間にか夢中になって貪りあっていたが耐えきれなくなったレイは腰が砕けてへなへなと座席からずり落ちた。


 負けた。戦っていたわけではないがレイは甘美な敗北を味わった。思い出すと下半身が誤作動を起こすのがその証拠だ。あの時ディーノはどんな顔をしていたんだろう、と思ったところで我に返った。


「えっと、今、無理です」


「何が?」


「いろいろと」


「? 具合が悪くないならいいんだけど、今日はニーコが午後から来るからね」


「なんだってー」レイはガバッと飛び起きた。



* * *



「なぁ、お前らなんかあった?」


 上機嫌なディーノと離れた椅子に座ってソワソワと落ち着かないレイを交互に見ながらニーコがいぶかし気に聞いてきた。


 ドキッとして思わず体が硬直してしまう。キスをしたことがニーコにバレたら殺されるんじゃないだろうか。マフィアの殺しなんてろくなもんじゃないはずだ。BLゲームのバッドエンドを思い出しブルッと震え上がった。

  

 おかしな態度のレイに何かを感じとってか「別に何にもないよ、レイは二日酔いで調子が悪いんだ」とディーノが誤魔化してくれた。


 そうなのかとニーコが納得してくれたので内心ほっとする。変に意識してニーコに怪しまれるのはまずい。あれは、そうだ、ディーノの気まぐれ、気の迷いだったに違いないのだから。一旦忘れよう。


「ニーコは今日はどうしたの?」レイは気を取り直してニーコに話しかけてみる。


「なんだぁ、用がないと来ちゃいけないのかよ。お前は随分と生意気になったな」とニーコがちょっと不機嫌になったのでレイはしまったと思い「すみません、調子に乗りました」と謝った。動揺して余計な事を言ってしまった。


「ニーコに昨日の事を話そうと思って呼んだんだよ」


「ああ、レイのスーツから何か分かったのか」


「うん、どうやらレイはタカトウグループの御曹司らしい」


 聞き終わるとニーコの顔つきが変わった。おもむろに自分の腰に手を回すと拳銃を取り出して銃口をレイに向ける。


「お前、何者だ。答えによっちゃただじゃすまないぞ」ニーコの目は笑っていない。本気なのだ。


 突然向けられた銃口とニーコの冷たい視線が同時に視野に入りレイは声を上げる事も出来ずにフリーズした。誰かをこんなに怖いと思った事はない。


「ニーコ! どうしたっていうんだ」ディーノはニーコの拳銃を持つ腕を掴む。


「あの日、うちの店でイカサマをやって奴がタカトウと名乗っていた日本人だ。顔は違うがな。一緒にいたギャングは G.P. のミッキー・ゲロだ、知ってるか?」


 レイはかぶりを振って知らないと答えた。


「確かにそいつなら僕も顔をみたけど日本人でも全然違う。きっと名前を騙っているんだろう。レイはこの件に関係ないよ」


「ディーノは甘いんだよ。なんでこいつに肩入れするんだ」


「なんでって、理由なんかないよ。しいて言うなら普通だからだよ」


「普通? なんだそれ」


「僕の仕事は知ってるよね、家の仕事も。僕の周りはおかしな奴らばかりだ。まともな人間なんて数えるくらいしかいない。いい加減うんざりなんだよ」


 それを聞いてニーコは悲痛な顔になり黙り込んだ。ディーノのこれまでの人生を知っているのだろう。レイが知らないディーノの悩みや苦しみ、楽しかった思い出も。レイは何も知らない自分の事が惨めで悲しくなる。


「オヤジさんの仕事の事でお前が辛い思いをしたのは分かってるし知ってるけど、その、ごめん。そんな風に今でも思ってたなんて」ニーコはそれ以上言葉にできないようだった。


「レイの事は最初は責任を感じたからだ、その後は記憶がないから同情もした。けど一緒に暮らしてるうちに何でもない日常に安心してる僕がいたんだよ。レイを悪く言わないで。ねぇお願いだよニーコ」


 今にも泣きそうなディーノの言葉にニーコの方が先に泣きそうだった。眉を寄せて苦しそうにしてるのはニーコの方だ。


「分かった。鷹東怜の事はこっちでも調べる。イカサマをしたミッキーと背後の G.P. もだ」


「ありがとうニーコ。あと、来月なんだけど JB&I 主催のパーティーにレオナルドと一緒に僕とレイも行く事にしたんだ。そこに偽者の鷹東怜が来るはずだから」


 レオナルドの名前が出るとニーコの眉間にしわが寄った。


「なんでレオナルドが出てくるんだ」とニーコがいぶかし気に聞いたことで仕立て屋で起こった事を詳しく話していないことに気が付いたディーノがスーツやウララの件について一部始終を話した。


「おかしな話だな」とニーコも鷹東怜の偽物について首を傾げた。「マフィアに追われているのにパーティーに鷹東怜を騙ってわざわざ出る理由はなんだ?」


 ニーコはああクソっと悪態をついて頭をかく。


「とにかく分かった。心配するな」とディーノに言ってからレイに向き直る。


「レイ、悪かった。お前の事は嫌いじゃない。人畜無害なのも分かってる。ただ気をつけろ、記憶が戻った時に何が起こるかわからないぞ」と言って両肩を強く掴まれた。


 レイは一度にいろいろな事が起こって混乱していた。だけど二人が敵ではなく味方なんだと思うと心の底から嬉しかった。ディーノがあんな風に思ってくれているのも。


 自分もディーノの役に立ちたい、何が出来る事があればいいなと思った。

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