第41話 トラバール
トラバールは必死に駆けていた。
猫獣人達が人間共が攻めてきたと噂していたので、自分も戦闘に参加するべく武器を取りに闘技場に向かっているのだ。
トラバールが生まれた獣人牧場では生後2年で適正や性別によって、戦士や荷役、農業、メイドや娼婦等に選別され、腕力に自身のあったトラバールは戦士に分類された。
牧場で行われていた戦闘訓練を辛いと思ったことは無かった。
常に戦いを強いられて体中傷だらけだったが、それも戦士としての勲章なのだと思っていた。
こんな俺だから強さが全てだと思っていて、弱い奴に頭を下げるのはとても嫌だった。
何度も獣人牧場で反抗したが、その度に首輪が締まり動けなくなったところで叩きのめされ、食事も抜かれた。
そして8歳の時に売られ、行った先は奴隷だけで作った戦闘集団だった。
この集団は消耗品部隊と呼ばれ、常に戦の最前線に送られ、消耗率も高かったがその度に補充が行われていた。
幾度となく死線を越えて生き残ったトラバールは古参兵になっていて、体のあちこちにある古傷は名誉の証だった。
そんな時、理由も知らされず再び売られてやってきたのがこの闘技場だった。
ここでは他の獣人との戦いを観客に見せるという興行をやらされたが、何とか生き延びていた。
そしてあの日、豹獣人のオーバンとの対戦が予定されていた。
お互い連勝を重ねていたので、人間共が最強決定戦と銘打って目玉にしたのだ。
トラバールもオーバンの強さを知っていたので、その日が自分の命日かもしれないと思っていた。
そして武人として最後の戦いに呼ばれるのをじっと檻の中で待っていたのだが、いくら待っても誰も迎えに来なかった。
その日から食事係も誰も来なくなった。
おかげで今までの人生を振り返る時間が出来てしまい、何もないくそったれな人生だったことを思い知ってしまったのだ。
最後に望むことは戦って死ぬという名誉ある死だけだったが、このままではそれも望めなかった。
獣人はその身体能力の高さのため燃費が悪い体質で、食事が止められると数日で餓死してしまうのだ。
既に食べられなくなって随分経つので、もはや起き上がることも出来なくなっていた。
こんなことなら、きわどい勝利だった前の戦いの時に負けていれば名誉ある死が訪れたのにと後悔するようになっていた。
そんなトラバールの耳に願っていた足音が聞えてきた。
ああ、これでようやく自分は楽になれるのだと思ったのだ。
死神は、俺が入っている檻の前まで来ると扉を破壊して中に入ってきた。
そして俺の髪を掴みそのまま上を向かせたので、無防備となった喉を切り裂かれる痛みが来るのを覚悟したが、来たのは冷たい刃物の感触ではなく、カラカラに乾いた口の中に流れ込んだ冷たい水だった。
その瞬間、死を願う俺は消え、生に縋る無様な俺が現れた。
カッと目を見開くと、目の前にある水が入ったコップを掴み一気に飲み干していた。
不思議な事に喉の渇きが潤うと、直ぐに腹の虫が鳴り体が空腹を訴えてきた。
すると俺の目の前には美味しそうな肉が現れたので、無我夢中で噛みついていた。
どうやら来たのは死神ではなく救いの神だったようだ。
俺はその時、傍にいる恩人の気配が立ち去ろうとしていたのを感じて、礼を言うことにした。
「どこの誰だか知らないが礼を言う。俺はトラバールだ」
「私はユニスと言います。こちらはジゼル。それからこの状況を招いたのは私ですから礼は不要ですよ」
「どういう事だ?」
「私がこの町からドーマー辺境伯の手下を追い出しました」
ああ、それで誰も居なくなったのか。
だが、人間達を追い出したという割には、目の前にいる女性はとても戦闘向きとは言えないスタイルをしていた。
俺が何度も反抗し叩きのめされてきた人間共を簡単に追い出した人物が、線の細いエルフだなんて、何だかおかしくなって生まれて初めて大笑いをしたのだ。
トラバールが闘技場に急いでいると、その横を軽やかな足取りで追い越していく豹獣人の姿があった。
「貴様はオーバン、何処に行く?」
オーバンはこちらをちょっと振り返るとニヤリと笑い、さらに加速していた。
畜生、あの野郎、考えている事は俺と一緒か。
「オーバン、またお前か。なんだってお前はいつも俺の邪魔をしようとするんだ?」
「なんの事だ? 俺はこれから闘技場に武器を取りに行ってユニス様の隣で戦うんだ」
そう言うとオーバンは更に加速して俺を抜き去ろうとしていた。
「なんだと、それは聞き捨てならん。それは俺に役目であってお前のではない」
トラバールはそう言って更に加速して何とか追いついたが、オーバンは更に加速していた。
「じゃあなトラバール、俺が先にユニス様に獣人代表として立派にアピールしてくるから、お前はのんびり来るといい」
お、おのれえ、オーバン許すまじ。
俺も必死に走り闘技場でポール・アックスをひっつかむと、エルフの匂いがする方に走り出した。
気が付くと俺の周りには様々な武器を持った獣人達が同じ方向に爆走していた。
その顔は誰もが俺と同じ目的だと分かるような薄い笑みを浮かべていた。
やがて目の前にあの良い匂いのする雌の姿が現れた。
改めて見るその後姿は、ほっそりとした体形だが、短い服の裾から伸びる細くも無く太くも無いすらりと伸びた足が美しかった。
それはまさに絵になる光景だったのだが、それをぶち壊しにするゴミがその隣に居るのだ。
トラバールは慌ててアピールを始めた。
「おい、姐さん。俺も死ぬときは一緒だぜ」
「「「俺達もだ」」」
トラバールは格好良くそう言ったのに、直ぐに追いついてきた他の連中に声を合わせられてしまい、せっかくのアピールが台無しになった事に思わず舌打ちしたい気分になった。
姐さんからは、「ここは大丈夫だからと北にある勝手門の防衛を」とお願いされた。
トラバールは敵が5千と聞いて勝てないと思っていた。
だから最後は俺の誇りを守ってくれた恩人の隣で死にたかったのだ。
それは周りの獣人達も同じだったようで直ぐに騒ぎが起きたが、姐さんは落ち着いて両手を前に出して静まるように身振りで示すとその先を続けた。
「みなさん、落ち着いてください。みなさんのお気持ち嬉しいです。ここは私一人で十分ですが北門までは手が回りません。あなた達には北門を守ってもらいたいのです」
俺は姫さんの顔に悲壮感が全く無いどころか、その顔は楽勝だと言っているのに気が付いた。
長い事死線を潜ってきた俺には、相手の顔がただのハッタリなのか、余裕なのかが分かるのだ。
姐さんの顔は明らかに後者だった。
どうやら姐さんは5千の軍隊をたった一人で相手出来ると本気で思っているようだ。
なんていう自信なのだと呆れるとともに、頼もしくもあった。
俺は他の獣人達を纏めて北門の守りに行くことにした。
「北門に行ってくれますね?」
姐さんがそう念を押してきたので、俺はそれに同意した。
「ああ、分かったぜ」
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